上諏訪から豊橋まで走る飯田線の旅。飯田から後半戦となる。
「鼎」という、何とも据わりのよさそうな名前の駅を過ぎ、飯田の町も少しずつ遠ざかる。ただそれでもまだ「長野県」である。北部の妙高だの飯山、野沢温泉だのから見て、長野県はどんだけ広いんやというところ。
12時48分、天竜峡に到着。天竜川下りの玄関駅ということもあり、ハイカー姿の人たちを含め結構下車する人が多い。やはりこの猛暑の中、川下りに涼を求めようというところか。途中下車して天竜川と楽しむのもありかなと思ったが、今回は乗り通しのためにパス。
さてここからが飯田線の見所である、天竜川の眺めがよい区間である。もちろん厳しい地形の中を行く。川と並走する分トンネルも多くなってきた。幸い私の座っていた進行右側に流れが広がるので座って眺める分には申し分ないが、反対側の乗客も身を乗り出したり、あるいはこちら側の扉のところまで来てその景色を楽しむ。
この区間はいわゆる「秘境駅」の多いところ。まずはその一番手で、崖にへばりつくように造られた田本に到着。ここで下車する、いかにも「秘境駅にあこがれてやってきました」という出で立ちの女性が一人。「ここは秘境駅だよ」といって周りの客も落ち着かない。
そして一番の賑わいを見せたのは、長野、静岡、愛知の県境に接するところにある小和田。かつては、現在の皇太子妃の旧姓と同じ名前ということで人気だったのが、このところはここも「秘境駅」としての人気である。
ホームに着くと乗客の多くがドアに群がり、その駅を一目見よう、カメラに収めようと必死である。またここで下車する人、ここから乗車する人もおり、昨今の「秘境駅」は結構な賑わいである。前回飯田線に乗車した数年前まではこのようなことなどなく、やはり昨今の鉄道ブームとやらである。
・・・個人的な思いとしては、「秘境駅」という言葉を世に広め、自身はサラリーマンの身でありながら「秘境駅」で巨万の富を得ている(まさに「鉄道バブル」ですな)U氏の存在というのは功罪相半ばだと思う。そのせいで「何もない駅」が観光スポットとして旅行者で賑わい、ごく普通に存在する、一般の方が見て「何もない」と思う程度の駅はその筋から「こんなの秘境じゃな~い!」とソッポを向かれ、ごく普通のローカル線は「何の特徴もない三流路線」ということになった。これってどうなんだろう。鉄道旅行って、それでいいのか??・・・まあ、ええんでしょうな。
・・・かくいう私も小和田に到着した時にドアのボタンを押して開けて駅ホームの様子をカメラに収めている、U氏の商法に乗せられたただのおっさん。人のことが言えず余計にイヤになってくる・・・・。
さて渓谷の区間を終えて中部天竜到着。少し前まで「佐久間レールパーク」という鉄道についての博物館があったところ。JR東海が名古屋に新たな博物館を造るということからの措置であるが、果たしてどんなものが出来上がるかが楽しみだ。また殺人的に混雑するんだろうが・・・。
愛知県に入り少しずつ平野が開けてきた。駅ごとにぽつぽつと乗車があり、3両の列車はいつしか名古屋近郊の路線と変わらないような近郊ムードの車内・客層となった。残り時間が少なくなり、そろそろお疲れ気分。ちなみに私の後ろと、通路を挟んで斜め後ろのカップルは岡谷からずっと乗りとおしてきたクチである。本当にお疲れ様。・・・あ、2人でいる時間がそれだけ長くなったからいいのか。
飯田線の各駅停車といえども、豊橋を前にして名鉄との共用線路となった下地、船町は通過。こだわりのある人はここに停車する区間列車を選ぶのだろうが、ここまでくればもうどうでもいい。
15時54分、豊橋到着。何はともあれ、伊那谷を走り抜けてきた列車にお疲れ様である。ここからは東海道線で大垣、米原と経由して関西に戻ることに。あとは太いレールに乗るだけなので、長い長い関東~信州への鉄道旅行ももう終わりのカウントダウンである。長い旅の余韻をかみしめながら西へと帰途に着くのであった・・・・。(終わり!)
(余禄)実をいえば、プランニングの段階である「冒険」をしようかと思っていた。15時54分に豊橋に到着した後、ダッシュで改札を抜け、コンコースから連絡通路を渡り16時ちょうどの豊橋鉄道三河田原行きに乗るというもの。これで田原まで行き、バスに乗り換えて伊良湖岬到着。ここから7分連絡で最終の伊勢湾フェリーで鳥羽まで渡り・・・・。見事に変化にとんだ、どこまでも「往路」という旅の最後である。現在は無事回避されたが、少し前までは「廃止」が決まっていた航路で、惜別の意味もある。
ただ現地にやってきて、「5分の接続で別の建物から出る電車にドタバタして乗るのもイヤやな」と思い、結局このプランは実行しなかった。後は、実際のところ間に合うものなのか。もしそのあたりの情報ご存知、あるいは体験済みの方がいらっしゃればぜひご助言を・・・。