豊橋に到着したのはちょうど昼時。昼食は何にしようかと思う。
何でも豊橋はカレーうどんを街のグルメとしてPRしているという。最近はどこに行ってもB級グルメばやりで、中には「それって、本当に地元の人たちが昔から好んで食べているものなの?」と思うようなものもあるが、カレーうどんとはまたシンプルである。豊橋はうどんの消費量自体は結構多いようである。
まあ、街あげてのPRとならばいただくとしようか。これからまた列車で移動するので駅の中でいいだろうということで、駅ビルのレストラン街へ。うどんや寿司など置いている店で「豊橋カレーうどん」を注文する。メニューには普通のカレーうどんもあるが、その違いは何だろうか。
テーブルに豊橋カレーうどんの特徴が書いてある(豊橋の観光協会のホームページにも記載)。それには5箇条あり、「自家製麺を使用する」「器の底から、ごはん、とろろ、カレーうどんの順に入れる」「豊橋産ウズラ卵を使用する」「福神漬又は壺漬、紅しょうがを添える」「愛情を持って作る」というもの。何でも、カレーうどんというのはどうしてもカレーのルーが残りがちで、残りのルーも美味しく食べてもらうように、うどんの底にごはんを入れているのが特徴とか。げ、そうとは知らず、カレーうどんのアテにということでごはんを一緒に注文してしまっていた。店の人は「こいつどれだけ食べるんだろう」と思っていたりして。
やってきたカレーうどん。ウズラ卵以外にはトッピングの制限はないそうで、この店はトマトや山芋、チーズなどが入り、ちょっと洋風に仕上げている。結構ピリッと来るが、これが食欲をそそる。注文したごはんにも出汁をかけていただく。
うどんを食べ終え、さらに丼の底をつつくとご飯の塊が湧きあがってくる。カレー雑炊とか、北海道のスープカレーを思わせる。1食で二度楽しめるのは名古屋名物の鰻のひつまぶしを思わせ、やはりこの辺りの人の合理的な発想から生まれたメニューなのかなと思う。ただ私はごはんに出汁をかけたものも食べており、かなり豪快なことになっている。おかげで食べ終えた頃には結構汗が出てきた。真夏に食べたらえらいことになってそうな・・・・。
午後は東海道ゆかりの地を訪ねることにしている。予定していたのは豊橋から一駅浜松寄りの二川宿である。会社の健康増進運動で「ウォークラリー」というのをやっており、毎日歩いた歩数を記録し、その歩数に応じて東海道五十三次を旅するというのがあるが、それを見て「本当の東海道に行くのも面白いな」と思ったことがある。
ただその前に、ここまで来たのだし時間もあるということで、二川を通り過ぎて3駅先の新居町まで乗る。ここには箱根と並んで東海道の重要ポイントとなった新居関所の建物が保存されている。新幹線の車窓からも古い建物がチラリと見えるが、そこを訪ねてみようと思う。
新居町駅から国道に沿って10分も歩くと、柵に囲まれた屋敷の建物に出る。中には当時の役人や旅人に扮したガイドの姿も見える。屋敷に上がると関所の番頭をはじめとした役人の人形たちが観光客を取り調べる・・・いや出迎える。
隣接の資料館に入る。この新居関所、浜名湖と遠州灘とが合わさるところにあり、現在では隣の舞阪までは鉄道や道路が長い橋で結ぶところ、昔は渡船で結ばれていた。そのこともあり交通の要衝となったわけだが、当初と今とは位置が違っているとか。江戸期にも地震、津波が発生し、このあたりの土地の形も変わり、2度移転しているという。
関所といえば「入り鉄砲に出女」という言葉があるように厳しい取り調べがなされていたイメージがあるが、今でいうところの取り調べマニュアルのようなものが史料として残されている。鉄砲や女性が往来する際の手続き(通行手形にどのようなことが記載されなければならないか)といったことや、同じ女性でも「禅尼」、「尼」、「比丘尼」、「髪切」、「少女」の区別についても定められていたりする。またそれを読むと「囚人」とか、「首」「死骸」にも通行手形が必要とされている。いや、死骸はまだわからないでもないが、「首」が関所を通るというのも江戸時代的というか・・・。
まあ、いろんな研究を書いたものによると、こうした関所の厳しいイメージは主に武家とか罪人に対するもので、一般の庶民が旅をする分にはそれほどのものではなかったという。現在の国際空港でパスポート持って出入国審査や税関チェックを受けるようなものだろうか。「東海道中膝栗毛」でも関所に関する描写はそうなかったはずだし。そのせいか、庶民の旅の様子を紹介するコーナーは当時の旅の知恵と楽しみに触れられていた。
関所から少し西に行ったところに、紀伊国屋という当時の旅籠を復元した建物がある。二階は階段を囲むように障子があり、その奥に部屋が広がる。大部屋、小部屋、街道に面したほう、日当たりのよいほう、おそらく今のホテルのように料金差があったりするのだろうか。
浴室もあるが、なぜかそこには由美かおるの写真とサインがある。水戸黄門のロケでもやったのだろうか。
関所と旅籠、しばらくの旧街道ムードを楽しみ、新居町の駅に戻る。ちょうど駅の真横、フラットな高さで新幹線の線路があり、列車を待つ間、次々と新幹線が高速で通過するのを見ることができる。この春に導入されたN700Aの車両も通過した。やはりこうして真横で見ると、新幹線って速いなということを今さらながら感じる。
ここで折り返しとして、今度は二川宿に向かうことにする・・・。