このところ、近鉄対南海復刻試合のことや、堺市博物館で南海ホークス関連の企画展示を見学したりと、「南海」がらみの記事が続いている。
だからというわけではないが、南海の本業である鉄道のことも触れてみようと思う。南海と昭和・・・ということで思いついたのが、現在の大阪市内にあって昭和のローカル線風情を残す「汐見橋線」である。汐見橋から岸里玉出までは普通に乗車すればわずか9分というところであるが、せっかくなので沿線との歩きを絡めながら進めてみようと思う。
難波から1駅、阪神なんば線と地下鉄千日前線の駅である桜川。この隣にある四角い建物が汐見橋駅である。桜川駅では南海乗り換えの表示はあるものの、電車に乗っても「南海線はお乗り換えです」とは言われないところが、どこか忘れ去られた感じのする路線である。
この一角だけ「昭和」の空間が残っているように思える。現在でこそこのようなさびれた風情の終着駅であるが、歴史を見れば南海高野線の始発駅である。かつては出札口や売店もあったようだが、現在は閉じられておりポスターの掲示やパンフレット置場になっている。
改札口の上には「昭和30年代のものです」と但し書きのある路線図がある。右上の大阪側にはなんば、汐見橋、そして天王寺とターミナルが3つあり(といっても、ターミナルとしてはなんばの一人勝ちだっただろうが)、さらには阪堺線、上町線、平野線といった支線も見られる。昭和30年代、南海ホークスがパ・リーグの強豪として君臨していた頃である。路線図からも当時の活気のようなものが伝わってくる。
当時はどのくらいの列車が走っていたのかはわからないが、現在は閑散としたもので、列車は日中は30分に1本。1編成の車両が行ったり来たりする路線である。それでも阪神なんば線の開通により、こちらへの乗り換えで利用する客も増えているようである。やってきた電車からの10人あまりの下車客の多くは、阪神桜川駅に続く階段へと吸い込まれていく。
2両編成の車両は「角ズーム」と呼ばれる支線用のもので、昭和45年の製造とある。昼間の時間のこととて、乗客はわずかに4人。ガタゴト言わせて岸里玉出に向けて出発する。
汐見橋駅の駅前から線路脇、そして阪神高速の高架下というのはかつてはホームレスの拠点であったところで、私も以前にこの線に乗った時にはビニールシートやテントや段ボールをでできた住居を目にしたが、このところの再開発事業(阪神なんば線の開通もそうかな)にともない強制排除されたという。線路と道路の間の歩道の中央にも高いフェンスが張り巡らされ、そのフェンスに囲まれたスペースが、人一人が寝るのにちょうどよい空間であったことを物語る。
このまま乗っていてもいいのだが、せっかく時間があるのでどこかで降りてみることにしようか・・・・。