豊橋に宿泊した次の日は、今回のお目当てである天竜浜名湖鉄道である。豊橋から浜松よりに2つ目の新所原が最寄駅で、浜松の向こうの掛川まで行く路線であるが、そのまま新所原から乗るか、あるいは掛川まで行って戻る形にするか。一日がかりで途中下車しながら行けばいいかなというところなので(ただし、途中の天竜二俣にはしかるべき時間にたどり着きたいところ)、どうしようかと思う。
ホテルで朝食を満喫した後、快晴の豊橋駅に出る。この日も天候は良く、暑さすら感じるという予報である。鉄道遺産の宝庫ともいえる天竜浜名湖鉄道(長いので、以下は天浜線とする)を見て回るのにはちょうどいいかなというところである。
ということで豊橋にて浜松方面の列車を待つが、案内板での乗車位置がどうも1両に2つしかないようである。かつて新快速で走っていた117系はもう引退したはずであるが、ひょっとしたら別の車両が来るのか。そして待っているとやってきたのは果たして特急型。
まあ、頭のところのカバーがないなどというのはあるが、格好の車両である。これに乗った時点で、どうせならこのまま浜松まで行ってしまおうという気になった。天浜線はまずは掛川からの乗車である。
前日に訪れた新居町を過ぎ、浜名湖と遠州灘が出会う舞阪、弁天島あたりを鉄橋で渡る。
快適な乗車で浜松に到着。するとここで、静岡行きのホームライナーが出るという。浜松というところも通過ばかりで、実をいうと改札口すら出たことがない。この日も「すぐに出る」という言葉に乗せられて乗り換える。こちらは乗車整理券(かつ座席指定)の別料金310円がかかるというが、急いで乗り換える客も多く、車掌も「とりあえず乗ってください」という仕草をする。
休日のホームライナーで、乗車前にきちんと乗車整理券を購入する人はどのくらいいるのだろうか。ガラガラなのをいいことに、4人掛け、テーブルつきの座席に陣取る。反対側のボックスに座った年配客は慣れた感じで別料金310円をテーブルの上に置いている。やってきた車掌とも顔見知りなのか「あ、どうも」てな感じで挨拶を交わしている。
そしてやってきた掛川駅。10分ないが天浜線の新所原行きが出発する。窓口で全線の一日乗車券を購入する。普通の紙の切符で出ると思いきや、地元産の木材を使用した「巳年一日フリーきっぷ」という、通行手形のようなでかいものが出てきた。水戸黄門の印籠みたいにかざして改札を通ることになる。
1両の車両は座席がほぼ埋まるほどの乗車率。GWということで家族連れなどの姿も目立つ。座れないからというわけではないが、車両の最前部に立って前方風景を眺める。
天浜線は旧国鉄二俣線の風情を残す、沿線全体が鉄道遺産といった感じで、全線で36の施設が国の登録有形文化財に登録されている。また、古い時代の雰囲気が残るということでドラマや映画のロケ地としても多く使われているという。ワンマン列車の案内放送で、そうした鉄道遺産の紹介も入る。沿道にもカメラを構える人がいろいろと出ている。
そんな中で、まず下車したのが遠州森。天浜線で最も早く開業した駅の一つであるという。昭和10年当時の駅舎やホームがそのまま残るところ。駅舎、ホーム、貨物の側線・・・昔ながらの「立派な駅」の佇まいを残す。
周りはそれなりに街並みも広がっているが、駅舎の中はのんびりしたものである。ベンチも開業当時のものがそのまま使われているとか。
ちょうど季節柄か、駅舎の中にツバメの巣があり、エサを求めてせわしなくツバメが飛び交う。クルマで駅の見物にやってきた家族連れも珍しそうにツバメの様子を眺めている。
遠州森で有名なのが、幕末~明治の頃の侠客・森の石松の産まれの地とか。「江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ」というフレーズとか、「旅行けば~」の清水次郎長の浪曲とか、名前は知っているが実のところそのストーリーはよくわからないこの任侠話。だからというわけではないが、駅舎内のテレビでは、浪曲に乗せて清水次郎長のお話を日本昔ばなし風に描いたアニメのビデオが上映されていた。