まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

津和野を歩く(謎解き参加)

2021年05月01日 | 旅行記F・中国

4月29日、広島から高速バスで日原を経由して津和野に向かうところ。

国道9号線沿いにある道の駅「シルクウェイにちはら」のバス停から、石見交通の津和野温泉行きの路線バスに乗る。乗客は私一人だけ。

高速バスとは異なり日原の町の中心部を経由するが、乗り降りはなし。その後、再び9号線に入るもすぐに側道に入る。到着したのは日原駅。停車せずに通過したので画像はないが、日原というところ、駅、町並みはこういうところなのかなと見ることはできた。

しばらく山口線の線路と並走する。残念ながら列車とすれ違う場面はなかった。

前方に見える赤い橋を渡るのかなと思いきや、ここでバスは右手の狭い道を選択する。津和野川沿いの集落を経由するようだ。すれ違うのもやっとという細い道を走る。茶畑なども見る。また、区間によってはフリー乗降区間が設けられ、前方の運賃表示にも「フリーパス」の文字が出る。もっとも、区間を通して乗客はいなかったが。

突然、山口線の線路と合流する。すぐに津和野駅に到着したが、とりあえずそのまま乗り通す。この先、鯉が泳ぐ水路で有名な殿町通りも過ぎるが、バスの車内から見るのも初めてのことだ。

町並みを抜けた先の終点・津和野温泉に到着。道の駅「津和野温泉 なごみの里」の中にある。ここで入浴、昼食の後、津和野駅まで戻る形で歩くことにする。まあ、歩くといっても3キロほどのことだが。

ところが、建物の入口にはこんな表示が。木曜日、温泉のみ定休日とある。4月29日は木曜日。先ほど「津和野温泉に行こうか」と思い立った時には全く気付かなかった。まあ、仕方がない。せめて土産物コーナーを物色する。

ここで見つけたのが、「春の津和野 謎とき散歩」のチラシと参加用紙。3月20日から5月31日まで行われていて、津和野の観光スポットを回り、そこで謎解きをしてキーワードを見つけ出すというもの。解答がわかれば津和野駅前の観光案内所に用紙を持っていき、正解だとくじを引いて津和野町での宿泊券や「SLやまぐち号」のグッズが当たる。

謎解きのヒントとなるポイントは、森鴎外記念館、殿町通り、鷲原八幡宮、津和野駅前にある。具体的な内容はネタバレになるので書かないが、現地に行けば必ずわかる内容である。駅からだと最も離れた鷲原八幡宮まで往復となるが、今回は道の駅から出発なので、ほど近い鷲原八幡宮から駅に戻りながら謎解きができる。

道の駅から津和野川を渡り、鷲原八幡宮に入る。まず見えるのは流鏑馬馬場。鎌倉の鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場を模して造られたそうで、日本で唯一、鎌倉時代からの原形をとどめているという。この時は草生していて、また雨のため地面もぬかるんでいたが、毎年4月の第1日曜日に流鏑馬神事が奉納される。今年に関してはコロナ予防のために無観客で行われたそうだ。

その先の鳥居。扁額の文字には鳩があしらわれている。

鷲原八幡宮は平安時代に宇佐八幡を勧請したのが始まりとされる。南北朝時代に吉見氏が改めて鶴岡八幡を勧請したところで、その後戦乱で焼失したものの、吉見氏、江戸時代の亀井氏らの手により長く保護されてきた。まずはここで手を合わせる。

ここから津和野駅まで戻る形での町歩きである。

駅からは離れているが、鷲原という地名には覚えがあり、かつてユースホステルがあった。私も学生の頃、社会人になりたての頃の2回宿泊している。夕食がカレーだったり、風呂が五右衛門風呂だったな。泊まった2回それぞれ、「安野光雅研究」、「森鷗外研究」という女性と泊まり合わせて、話ができたのも思い出。まあ、若い時のことだ。そのユースホステルも閉館となり、後にはレストランとなったようだが。

石州瓦の並ぶ家並みを歩き、やってきたのは森鷗外記念館。この先は記事を改めることに・・・。

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