5月4日、今回の中国観音霊場の札所めぐりは終わり、後は16時発の広島行きのバスまでの時間を鳥取で過ごす。時刻は12時を回ったところ。
覚寺口からバスで鳥取砂丘に向かおうと思うが、30分以上待ち時間がある。この先「鳥取砂丘 2キロ」の標識もあるが、確かこの先砂丘までは上り道、途中にトンネルもあったように思う。ちょっとハードかなと思いバスを待つことにする。
国道9号線バイパスを挟んだ反対側に、先ほどバスで通過した渡辺美術館というのがある。これまで訪ねたことがなく、どういうところか検索すると、刀剣や甲冑などの展示があるとのこと。覚寺口の一つ手前が渡辺美術館前のバス停なので、バスの待ち時間にちょっとのぞいてみることにする。
渡辺美術館は、鳥取の医師である渡辺元が開いた。昭和初期に台湾に赴任していた際、台湾の仏像の美しさに感銘して収集を始め、以来60余年にわたりさまざまな地域、時代、分野の美術品、民芸品を収集した。来て初めて知ったのだが、その数約3万点に及ぶとある。これを収集するだけでなく、地域社会の教育・文化の振興や、埋もれた地域文化の顕彰のために美術館が設立された。
館内の展示物の写真撮影は自由という。さすがにこれらが国宝や国重要文化財ならば規制がかかるのかもしれないが、「歴史や文化に直接触れてほしい」というのが美術館のスタンスだという。
この時の企画展が「わが館のお宝展」というもので、史料保存の観点から長期間展示できない作品を期間限定で展示している。今回は合戦ものだという。
まず大々的に飾られているのが関ヶ原合戦図。江戸時代のもので、関ヶ原を描いた屏風は歴史の教科書などでも目にするところだが、この構図が珍しいのは、合戦の最終局面で島津義弘が東軍の正面を強行突破した「島津の退き口」を描いているところである。
他には、平家物語から宇治川先陣、義経の弓流れ、那須与一の扇の的といった場面を描いた作品も並ぶ。これらも江戸時代のものだが、物語の世界をどのように絵に表現するか、描き手の想像力、センスが映し出されるところである。
ここからは通常展。まずは因幡・伯耆を治めた鳥取藩池田氏の宝物が並ぶ。池田氏の祖は織田信長の乳母の子である池田恒興で、信長とも仲が良かった。その縁からか、家紋には信長と同じ揚羽蝶をあしらったものを使っていた。池田氏は後に分かれて鳥取藩のほかに岡山藩も治めていたが、家ごとに模様が異なるがベースは揚羽蝶だった。
そして美術館のコレクション・・・だが、そのスペースの広さに圧倒される。それでも展示されているのは3万点のごく一部で、定期的に入れ替えをしているという。
兜もさまざまな装飾が施されており、文字が書かれたもの、動物などをあしらったものなどさまざまだ。中には、武田信玄がかぶっていたとされる白い毛の「諏訪法性兜」などもある。かつての復元天守や歴史博物館に行くと当時の甲冑や刀剣が展示されることが多いが、ここまで多くの数が一同に会するというのもなかなかあるものではない。
美術品のコレクションも多彩で、特に仏教美術に関するものに惹かれる。千手観音や阿弥陀如来があるかと思えば、日本のみならず中国、朝鮮半島、チベット、東南アジア、インド・・各地の大小の仏像もある。
その他、工芸品、彫刻、絵画、陶磁器、民芸品・・など枚挙に暇がない。最初はバスの待ち時間を利用してちょっとのぞいてみようか・・というくらいの気持ちだったが、ここまで来ると砂丘行きのバスを1本遅らせる。写真はこれでもかというくらい撮り、この記事に掲載しているのもその一部だが、ザっと館内を流してもさばききれないくらいの展示。展示品を一つ一つじっくり鑑賞するなら1日で終わるかどうか。
さすがに次のバスに乗らないと砂丘からの折り返しが厳しくなるので、途中で切り上げる形で美術館を後にすることに。そこで出迎えたのは数十体の甲冑たち。最後に甲冑と記念撮影ができるコーナーである。ここまでのサービス?の美術館、博物館など他にないだろう。それにしても、こうして昼間、照明の下で見る分にはいいのだが、夜、暗い中で見ると結構怖い光景ではなかろうか。戦で亡くなった武士・兵士たちの怨念がこもっていて、夜中になるとガチャガチャ動き出したりして・・・。まあ、展示されている甲冑の多くは平和な江戸時代に、美術品・工芸品の意味合いでつくられたものだとはいうが。
鳥取砂丘行きのバスに乗る。時間からして砂の美術館までは無理で、シンプルに砂丘を見るだけかなというところ。終点の砂丘会館では、駐車場に入るクルマが列をなしていた。5月4日、大型連休後半である。天候もいいし、中国地方のみならず関西方面のクルマも多い。ちょうどこの日は、東京、大阪、兵庫、京都の4都府県を対象として、5月11日までの期間で緊急事態宣言が出ていた。ただまあ、過去2回の発令時と比べれば制限も緩いし、世の中の自粛ムードも薄くなっているのは確か。砂丘でも関西弁が多く飛び交っていた。
帰宅後、翌5日のニュースで、「連休中は多くの観光客で賑わっていました」として鳥取砂丘の景色が流れていた。連休中に砂丘を訪ねた観光客もコロナ前の4割程度だったそうだが、それでも昨年に比べれば大幅に増加。しかし地元の土産物店の話として、売り上げが全然回復していないという。いつもなら「旅行に行った」として職場やご近所向けに土産物を買うところだが、やはりこのご時勢、行ったことを公言するのがはばかれるところがある。それもわかるなあ。
多少暑いが、せっかくなので馬の背を目指す。急な勾配、深い砂に苦戦しながら頂上にたどり着く。
多少人混みが密にはなっているが、ここからの日本海の眺めは絶景である。さらに急な勾配を下って海べりまで行く人も多い。私も昔、馬の背から海まで行ったことがあったが、今はそこまでの力はない。
今の楽しみは、この景色を見ながら鳥取の二十世紀なしを味わう・・。
しばらく佇み、砂丘会館まで戻る。鳥取一の名所に来たことでこの旅も締まったと思う。バスのほうもそこそこの乗客があり、そのまま鳥取駅まで戻る。これから広島に戻るのだが、それも長い道中ということで・・・。