打吹地区の町並みをぶらついた後、打吹山の西側に回り込み、この日2ヶ所目の札所である長谷寺に向かう。「開山1300年」の幟が見えたところが長谷寺への上り口である。ちなみに手前には円形劇場くらよしフィギュアミュージアムがあり、これを目印にするのもいいかな。
今から1300年前というと、721年、奈良時代の前期である。元明天皇の勅命で、法道上人が開いたとされる(法道はここにも顔を出すのか)。近くには伯耆の国府、国分寺の跡があり、この辺り、国の中心である。もっとも当初は別の地に開かれたそうだ。古くには七堂伽藍を有していたようだが、はっきりしたことはわからないようだ。現在の寺は鎌倉時代に再興されたという。
長谷寺は打吹山の中腹にあるということで、まずは石段を上る。一部はコンクリートの階段となっており、後はちょっとした上り坂である。道端には地蔵像や丁石が残されている。
途中には不動堂がある。その奥にはちょっとした広場があり東屋もあるが、草生していてちょっと立ち入るのはためらわれるかな。
10分ほど歩き、まず本坊に着く。ただ先にお参りということでそのまま石段を上る。前方に、舞台造りの建物が見えてきた。先ほど「開山1300年」の幟とともにあしらわれていたのがこの本堂の舞台である。
いったん本堂を下から見上げた後、山門に向かう。改めて境内に入ると、年月を経た狛犬や石仏に交じって、真新しい狛犬が建つ。銘を見ると令和3年とあり、開山1300年ということで新たに奉納されたようだ。後でわかったが、先日の4月18日に記念法要が執り行われ、、本尊十一面観音の御開帳や絵馬堂の公開があったばかりとのこと。
こちらの本堂は室町時代に建てられ、戦国時代の兵乱で周りの建物が焼失したもののここだけが唯一残ったという。それが観音様のご利益ということでより多くの信仰を集めたそうだ。その後何度かの改築を経て現在にいたる。昔は多くの絵馬が奉納されており、絵馬の寺とも言われていた。この絵馬は本堂の奥で保存されており、見学は要予約(ただし当日でも住職の都合が合えばOK)とある。まあ・・・そこまではいいかな。
ちょうど舞台の外から吹き込む風が心地よく、椅子に腰かけてのお勤めとする。絵馬もそうだが、柱にもさまざまな札が打ち付けられている。
ここは天台宗の寺院であるが、なぜか本堂の中に弘法大師が祀られている。歴史的に何かがあったのだろうか。
納経帳ということで一度石段を下りて本坊に向かう。これで倉吉シリーズを終え、中国観音霊場めぐりも、鳥取市内の残り3ヶ所だけとなった。倉吉といえば打吹山の麓の町並みのイメージが強かったが、中腹にこうした古刹があるとは今回初めて知った。大和の長谷寺にも少し通じるところがあったようにも思う。
ここから市街地に戻るが、打吹公園の中を通って行くことにする。長谷寺の続きということで西国三十三所や四国八十八ヶ所の石仏、大山の下山大明神の祠が並ぶ。
途中に景色が開けたポイントがあり、西の方向に高い山々がそびえる。その真ん中で雪をかぶっているのは大山だろうか。
打吹公園はかつての打吹城という山城の跡地である。南北朝時代~室町時代に山名氏の守護所となったところ。後に毛利氏、南条氏が治めたが大坂の陣の後の一国一城令で取り壊しとなった。倉吉は江戸時代、鳥取池田藩の家老だった荒尾氏が町中に陣屋を置いて統治することになった。先ほど長谷寺に向かう途中にあった広い空き地は、当時の打吹城の出丸の一つだったそうだ。
公園ということもあって歩道も整備されていて、ゆるやかな下りが続き、新緑の中を歩いていく。やがて市役所や倉吉博物館などが建つ一角に出る。博物館に入ってみようかとも思ったが、実態は博物館というよりは美術館の色合いが強いうだ。この時の企画展は「片岡鶴太郎展」。タレント、芸術家として活躍されている方だが、今ここで作品を鑑賞しよう・・・とまでは思わない。
これで琴櫻の銅像まで戻ってきた。時刻はまだ13時半近いところで、当初の予定として倉吉で1日・・といった割には半日少しで札所も回り終え、実質終了である。一応、三朝温泉や倉吉の町並みも見たし、ホテルへのチェックインにはまだ早い。かといって、山陰線に乗ってどこかに出かけるには中途半端な時間だ。もう一度三佛寺投入堂にチャレンジ?・・・ないない。
ともあれ、バスで駅に戻ることにする。そもそも、昼食がまだである。私の旅では昼食を食いっぱぐれることがしばしばあるのだが、白壁の町並み地区には失礼ながら入ろうと思わせる食事処がなく、駅近辺のほうがまだ何かしらあったかなと思う。そんな中、駅前に戻るバスの中から「牛骨ラーメン」の看板が見えたので行ってみる。牛骨ラーメン、どこにもありそうだが実態は鳥取県の中でも西部、つまり伯耆の国で食べられる一品だという。
訪ねたのは「ラーメン幸雅」。「なつ旨ラーメン」の文字が書かれている。昼食のピーク時はとっくに過ぎているが客足が絶えることない。この「なつ旨」とは「なつかしくて旨い」の意味だそうだ。ラーメンにしては結構待った後に出てきたのは牛骨から取った出汁をベースにした塩ラーメン。懐かしいかどうかはともかく、あっさりした中でしっかり味が出ていた。
この一帯で牛骨ラーメンが流行したのは諸説あるそうだが、かつて大山の麓で「牛馬市」というのがあったことにも現れるように牛の流通が多く、そのため鶏ガラより牛の骨のほうが容易に手に入ったからというのが有力だそうだ。他にも、牛骨のほうが長時間煮込んでも出汁がよく取れて経済的だというのもあったとか。それなら他の牛の産地でも同様に広まってもよさそうなものだが、今のところご当地メニューとしてPRしているのは鳥取独特のようだ。
食事をするうちにそろそろホテルのチェックイン可能の時間、15時である。この日は早々とチェックインして、しばらく部屋でゆっくりすることに・・・。