第31番の三佛寺の参詣を終え、倉吉の市街地に戻る前に三朝温泉で下車する。
三朝温泉は「三たび朝を迎えると元気になる」といわれるラジウム温泉。三徳川沿いに温泉宿が並び、河原の露天風呂もある。もっとも奇数日の午前中は清掃のため入浴は不可とのこと。もっとも、入浴可といっても素っ裸で入るには結構勇気がいりそうだが。
観光案内所のバス停の目の前に「たまわりの湯」という公衆浴場を見つけたので、手っ取り早くこちらに入る。シャンプー、ボディソープの備え付けが受付で買い求める。その浴槽もそれほど広くなく、入浴客はそれなりにいるのに先客が四隅で長居していてそれほど居心地はよくない。まあ、三朝の湯にちょこっとだけ浸かったことにしてそそくさと出る。「六感治癒」にはちと遠かったかな。
再びバスに乗るのだが、ちょうど三朝温泉から打吹にある白壁の町並み方面に向かう路線があるのを見つけた。先ほどの三佛寺の方もご存知なかったようだが、やはり観光地同士を結ぶバス路線があってもおかしくない。これで多少ショートカットして打吹に向かう。
長谷寺を回る前に町歩きとする。まず向かったのはバス停の北にある倉吉線鉄道記念館。かつて、倉吉から関金を経て山守まで走っていた国鉄倉吉線の打吹駅跡地に建つ。駅とその周辺の廃線跡は打吹公園として活用され、現代アートも展示されている。
館内はかつての倉吉線の写真がいろいろと展示されている。かつては姫新線の中国勝山まで延ばす計画があったが断念、また打吹、西倉吉と倉吉の中心部を走る路線だったが、周辺の道路整備が進み、バスやマイカーの利用者が増えたことで全面廃止となった。現在でも一部区間は当時の線路が残されていて、年に数回開放してウォーキングイベントも開かれる。案内を見るとちょうどこの日(5月3日)も開催が予定されていたが、このところの感染拡大の影響で中止になったとある。
今度は打吹山の方面に向かう。かつては打吹駅からのメインストリートだったところ。
その道の突き当りに、両手を高く広げた力士の像が建つ。倉吉出身の第53代横綱・琴櫻である。現役時代は「猛牛」という愛称もあった。
すぐ近く、白壁の町並みの中の一軒の家が琴櫻記念館として開放されている。横綱土俵入りで使った化粧まわし、優勝額、トロフィーなどが数多く展示されている。私は琴櫻の現役当時の相撲は見ていないが、佐渡ヶ嶽親方・審判部長の印象が強い。親方としては琴風をはじめ数多くの関取を育てたし、審判部長として土俵下で睨みを利かせていたのもテレビで覚えている。千秋楽を終えて新たな横綱・大関が誕生することが確実になった時に、「佐渡ヶ嶽審判部長が臨時理事会の招集を要請しました」という形で放送されていたなあ。
定年にともない娘婿の琴ノ若に部屋を譲り、現在、その琴ノ若の息子が同じ四股名で幕内で活躍している。その関係か、佐渡ヶ嶽部屋の力士の3月場所の手書きの星取表も掲示されている。
鳥取県出身の力士でもっとも出世したのは琴櫻と言えるが、現在では鳥取城北高校出身の力士が活躍している。鳥取県出身として番付に出ているのは父が相撲部の監督を務める石浦が知られるが、モンゴルからの留学組ではこのたび大関に復帰した照ノ富士、逸ノ城、水戸龍などがいる。国内では沖縄出身の美ノ海・木﨑海の兄弟力士も鳥取城北出身だ。さらに引退組では元大関の琴光喜、貴ノ岩などもいる。
この後は白壁の町歩き。元々は室町時代に造られた打吹城の城下町で、江戸時代には陣屋町として整備されたところ。白い壁と、赤い石州瓦の組み合わせが味を出している。
その町屋を利用してさまざまな店が開かれている。倉吉は最近「フィギュアの町」としてPRしており、関連した商品も多く並ぶ。