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まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

二川宿にて

2013年05月08日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn0464東海道線の二川で下車する。ここも在来線と新幹線が並走するところで、新幹線の車両がまた風を切るような音を立てて高速で通過していく。

Dscn0466Dscn0470ここから二川宿の中心である本陣資料館までは1キロほどの距離である。駅からしばらく歩くと道幅が狭くなる。そこが旧街道の入口ということだろうか。両側には江戸時代とは言わないが明治、大正の風情を思わせる木造の格子造りの建物がまだまだ多く残されている。

Dscn0467古い建物、新しい家屋にかかわらず、「二川宿」という文字や紋の入ったのれんが掲げられている家を結構目にする。東海道五十三次の風情を残す宿場町の様子を後々に伝えようという地元の人たちの姿勢を感じる。

時折新幹線の空気を切る音が聞こえる中を歩くうち、道幅が狭い中であるがクルマの通行が結構多いのに気づく。それほど徐行するわけでなく、さも通り慣れた道のようである。国道のバイパスというのもちょっと違うような気がするが。

Dscn0471そんな中、周りの家屋を圧倒するかのような立派な木造建物に出会う。これが二川宿の本陣と旅籠である。これは宿場町の風情を多くの人に味わってもらおうということで復元されたものである。正面は柵で仕切られているので、中を見学するには本陣資料館に入ってということになる。

Dscn0475先ほどの新居関所の資料館は関所に関する展示がメインだったが、こちら本陣資料館は当時の旅全般に関することが紹介されている。この二川は元々二川村と大岩村という二つの村が一つの宿としての役割をなしていたのが、参勤交代の制度化で交通量が増加し、助郷などの役務を効率よく行うために、宿場町として集落を現在の地に集約したという経緯がある。

Dscn0479当時の宿場の一日を模型と映像で紹介するコーナーもある。今はひっそりとした風情であるが当時がどのようなものだったか、交通量としてはどうだったのか、タイムスリップでもしてのぞいてみたいものである。

特別展示で、「旅人、川を渡る」と題して、川を渡る手段であった橋、渡船、徒渡しの様子を浮世絵で紹介するのがあった。東海道にはいく筋もの大きな川があったが、幕府の施策もあり橋の建設は限定的なものであった。ただその少ない大きな橋に豊川にかかる橋があり、この橋が当時の吉田に代わって現在の豊橋の名の由来であるという。

弥次喜多道中で有名な「東海道中膝栗毛」でも川を渡るのは旅の重要なシーンで、あちこちの川渡しや舟の中でヘマをしたり、あるいは川止めにあったりと、話のネタになりやすいところである。実際は川を渡るだけでも相当苦労したことだろうが、それらを浮世絵で見るのも楽しいものである。

Dscn0484Dscn0486資料館を見た後で、いよいよ本陣と旅籠に向かう。本陣ではちょうど五月人形の展示が行われ、人形の雄壮な顔立ちや、秀吉や加藤清正らをあしらった幟、兜などを楽しむ。

Dscn0482本陣に接する旅籠は当時として上級のところか、落ち着いた佇まいである。玄関から街道を眺めると実に落ち着いたところで、クルマの行き来もさほど気にならなくなる。

Dscn0491少し先に味噌など扱った立派な商家があるとのことで行ってみた。ただ表の一部を残してシートで覆われており、保全工事中であった。塀の隙間から除くと結構縦に長く、当時の豊かさをうかがわせる。

Dscn0473例えば木曽の馬籠や妻籠のように通り全体が昔の姿をとどめるわけではないが、観光地としてではなく、普通の生活と建物がうまくマッチしているなと思う。今は普通の商店や家屋にも「○○屋」という屋号の札が掲げられているのも、町の人たちのさりげない歴史のアピールなのかもしれない。

Dscn0489同じ道を歩いて駅に戻る。ここから豊橋までは新幹線と並走して一駅。かつての吉田宿の宿場町の風情は残されてないそうが、三河の表玄関として賑わいを見せる豊橋、この日は駅近くのビジネスホテルに投宿する・・・。

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豊橋カレーうどんと新居関所

2013年05月06日 | 旅行記D・東海北陸

豊橋に到着したのはちょうど昼時。昼食は何にしようかと思う。

何でも豊橋はカレーうどんを街のグルメとしてPRしているという。最近はどこに行ってもB級グルメばやりで、中には「それって、本当に地元の人たちが昔から好んで食べているものなの?」と思うようなものもあるが、カレーうどんとはまたシンプルである。豊橋はうどんの消費量自体は結構多いようである。

まあ、街あげてのPRとならばいただくとしようか。これからまた列車で移動するので駅の中でいいだろうということで、駅ビルのレストラン街へ。うどんや寿司など置いている店で「豊橋カレーうどん」を注文する。メニューには普通のカレーうどんもあるが、その違いは何だろうか。

テーブルに豊橋カレーうどんの特徴が書いてある(豊橋の観光協会のホームページにも記載)。それには5箇条あり、「自家製麺を使用する」「器の底から、ごはん、とろろ、カレーうどんの順に入れる」「豊橋産ウズラ卵を使用する」「福神漬又は壺漬、紅しょうがを添える」「愛情を持って作る」というもの。何でも、カレーうどんというのはどうしてもカレーのルーが残りがちで、残りのルーも美味しく食べてもらうように、うどんの底にごはんを入れているのが特徴とか。げ、そうとは知らず、カレーうどんのアテにということでごはんを一緒に注文してしまっていた。店の人は「こいつどれだけ食べるんだろう」と思っていたりして。

Dscn0439やってきたカレーうどん。ウズラ卵以外にはトッピングの制限はないそうで、この店はトマトや山芋、チーズなどが入り、ちょっと洋風に仕上げている。結構ピリッと来るが、これが食欲をそそる。注文したごはんにも出汁をかけていただく。

うどんを食べ終え、さらに丼の底をつつくとご飯の塊が湧きあがってくる。カレー雑炊とか、北海道のスープカレーを思わせる。1食で二度楽しめるのは名古屋名物の鰻のひつまぶしを思わせ、やはりこの辺りの人の合理的な発想から生まれたメニューなのかなと思う。ただ私はごはんに出汁をかけたものも食べており、かなり豪快なことになっている。おかげで食べ終えた頃には結構汗が出てきた。真夏に食べたらえらいことになってそうな・・・・。

Dscn0440午後は東海道ゆかりの地を訪ねることにしている。予定していたのは豊橋から一駅浜松寄りの二川宿である。会社の健康増進運動で「ウォークラリー」というのをやっており、毎日歩いた歩数を記録し、その歩数に応じて東海道五十三次を旅するというのがあるが、それを見て「本当の東海道に行くのも面白いな」と思ったことがある。

ただその前に、ここまで来たのだし時間もあるということで、二川を通り過ぎて3駅先の新居町まで乗る。ここには箱根と並んで東海道の重要ポイントとなった新居関所の建物が保存されている。新幹線の車窓からも古い建物がチラリと見えるが、そこを訪ねてみようと思う。

Dscn0444Dscn0446新居町駅から国道に沿って10分も歩くと、柵に囲まれた屋敷の建物に出る。中には当時の役人や旅人に扮したガイドの姿も見える。屋敷に上がると関所の番頭をはじめとした役人の人形たちが観光客を取り調べる・・・いや出迎える。

隣接の資料館に入る。この新居関所、浜名湖と遠州灘とが合わさるところにあり、現在では隣の舞阪までは鉄道や道路が長い橋で結ぶところ、昔は渡船で結ばれていた。そのこともあり交通の要衝となったわけだが、当初と今とは位置が違っているとか。江戸期にも地震、津波が発生し、このあたりの土地の形も変わり、2度移転しているという。

関所といえば「入り鉄砲に出女」という言葉があるように厳しい取り調べがなされていたイメージがあるが、今でいうところの取り調べマニュアルのようなものが史料として残されている。鉄砲や女性が往来する際の手続き(通行手形にどのようなことが記載されなければならないか)といったことや、同じ女性でも「禅尼」、「尼」、「比丘尼」、「髪切」、「少女」の区別についても定められていたりする。またそれを読むと「囚人」とか、「首」「死骸」にも通行手形が必要とされている。いや、死骸はまだわからないでもないが、「首」が関所を通るというのも江戸時代的というか・・・。

Dscn0463まあ、いろんな研究を書いたものによると、こうした関所の厳しいイメージは主に武家とか罪人に対するもので、一般の庶民が旅をする分にはそれほどのものではなかったという。現在の国際空港でパスポート持って出入国審査や税関チェックを受けるようなものだろうか。「東海道中膝栗毛」でも関所に関する描写はそうなかったはずだし。そのせいか、庶民の旅の様子を紹介するコーナーは当時の旅の知恵と楽しみに触れられていた。

Dscn0454Dscn0461関所から少し西に行ったところに、紀伊国屋という当時の旅籠を復元した建物がある。二階は階段を囲むように障子があり、その奥に部屋が広がる。大部屋、小部屋、街道に面したほう、日当たりのよいほう、おそらく今のホテルのように料金差があったりするのだろうか。

Dscn0460浴室もあるが、なぜかそこには由美かおるの写真とサインがある。水戸黄門のロケでもやったのだろうか。

関所と旅籠、しばらくの旧街道ムードを楽しみ、新居町の駅に戻る。ちょうど駅の真横、フラットな高さで新幹線の線路があり、列車を待つ間、次々と新幹線が高速で通過するのを見ることができる。この春に導入されたN700Aの車両も通過した。やはりこうして真横で見ると、新幹線って速いなということを今さらながら感じる。

ここで折り返しとして、今度は二川宿に向かうことにする・・・。

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中村ノリ、2000本安打達成

2013年05月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

5月5日という日に決めてしまうところが、この人らしい。

横浜DeNAの中村紀洋がナゴヤドームでの中日戦で2000本安打を達成。同じく2000本まで残り2本としていた谷繁から花束を受けるという、微笑ましいお祝いがあった。

いや、昨日豊橋に泊まっていたのだから、行き先を変えてナゴヤドームに行けばよかったかな・・・。

この日東京ドームで行われた長嶋茂雄、松井秀喜両氏の国民栄誉賞授賞式。まあ報道はこちらが中心になるのは当然かもしれない。両氏とも野球を通して国民に深い感動と広い希望を与えたということが受賞理由であるが、私個人、いや野球ファンのある程度の層というのは、中村ノリのフルスイングと波乱万丈の野球人生に、また違った意味で感動を受けたのではないかと思う。

同じ年生まれということで近鉄時代から応援していたし、あの、2001年の優勝へのマジックを1とした、西武・松坂から放った逆転サヨナラ本塁打をはじめとしたいくつものミラクルアーチに魅せられたものだ。着るユニフォームが次々と変わっても、銭に汚いとかトラブルメーカーだと言われても、育成扱いや戦力外扱いを受けても、いつまでもしぶとく野球やってる姿。これも長嶋、松井両氏とはまた違った個性である。こういう野球選手がいてもいい。

改めて、おめでとうございます。

今季はDeNAの主軸として、チームの「躍進」にも貢献している。まだまだ現役でやれるのではないだろうか。これからも頑張ってほしいものである。

(蛇足)・・・現在のオリックスには、こういうしぶとい選手が必要ではないだろうか・・・・。

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豊橋への道

2013年05月05日 | 旅行記D・東海北陸

豊橋に行こうと思う。

目的地は豊橋から東海道線で2つ目の新所原から出る天竜浜名湖鉄道である。その前に、豊橋というところも通過するばかりということもあり、一度宿泊してみようと思う。

ここまではどうやって行こうか。もっとも速いのはもちろん新幹線であるが、在来線で行ってもいいし、近鉄特急で名古屋まで行き、名鉄に乗り継ぐのも面白そうだ。別に急ぐわけではない。

Dscn0362早朝、近鉄難波を特急で出発する。・・・ただし乗ったのは名古屋行きではなく、賢島行き。別にこれは乗り間違いをしたわけではなく、どうせならとコースを選んだのは、鳥羽まで出て伊勢湾フェリーに乗り、伊良湖岬から豊橋鉄道のバスに乗り継ぐというもの。変化をつけるということもあるし、フェリーで潮風に吹かれたかったということもある。近鉄特急の「しまかぜ」にはなかなか乗れないが、フェリーでは本当の「島風」に触れることができる。

鳥羽駅から歩いてフェリー乗り場に向かう。早い時間であるが、隣接する鳥羽水族館のチケットを買い求める家族連れの姿も多い。

チケット売り場でフェリーと豊橋鉄道の乗車券がセットとなった割引券を購入。これで2000円ということでかなり割安となっている。連休中ということで便を増発している。

伊良湖岬からの便がやってきた。あちらはかなりの乗船があるようで、甲板でも大勢の客が着岸の様子を眺めている。吐き出される車を見ると愛知方面だけでなく、関東方面のナンバーも目立つ。高速道路の混雑を避けるのと気分転換で伊勢湾フェリーという選択肢がある。それとも、今年遷宮の大祭がある伊勢神宮への参拝目的か。一時は航路廃止の噂もあったが、こういうルートは交通手段の多様化の面からも、観光面からも残してほしいものである。

Dscn0371さて伊良湖岬行きは9時に出航。こちらは一転してガラガラ。まあ、時間帯にもよるのかもしれないが、ゆったりとして50分の船旅を楽しむことにする。このくらいの時間の航海となると船室よりは甲板に出て潮風、島風を味わうのがよい。

Dscn0368伊勢といえば伊勢茶でも有名だし、対岸の渥美半島もお茶の産地ということか、それぞれの産地で製造されたお茶のペットボトルを購入する。これで飲み比べということにしよう。

Dscn0378出航して真珠島を抜けると、前方に巨大な客船を見る。コスタ・ビクトリアというこのイタリア豪華客船、GWのクルーズということで、横浜を出航し、韓国の済州島、長崎を経由してこの日は鳥羽に寄港とか。こちらのツアー客も伊勢神宮への参拝の予定である。ああいう豪華客船の旅、結構高いだろうし、船内の食事などもドレスコードがあって気を使うというイメージがある。それでも一度はああいう旅をしてみたいなと思う。

Dscn0402Dscn0391好天の下、答志島や神島といった島の景色を眺める。他の乗船客も甲板に上がって記念撮影などする。中には一種の高所恐怖症なのか、甲板脇のフェンスに行くのもこわごわといった感じでぎゃあぎゃあ言っている女性も。「大丈夫だよ落ちるわけないよ」と、旦那さんや親御さんから半ば笑われながら記念撮影に収まっていた。確かに船の場合は板子一枚下は地獄・・・かもしれないので気持ちはわからなくもない。私も高所恐怖症の気があるもんで・・・。

Dscn0418

Dscn0429好天ということで志摩半島、渥美半島、そして知多半島の陸地も見通せる中、伊良湖岬に到着。こちらのターミナルはドライブ客でごった返している。乗船手続きにも行列ができており、次の便は満員、1本後の便の案内となっているようである。

Dscn0432こちらはバスに乗り継ぐがしばらく時間があるので海沿いを少し歩く。伊良湖岬といえば唱歌「椰子の実」で有名であるが、南の海から流れ着くのは何も椰子の実だけではなく、飲み物や洗剤のペットボトルやら木屑やらである。日本海側だとハングルで書かれたものが結構流れ着くのだが、こちらではパッと見た限りでは英語や中国語のものはないようだ。

この後はバスに乗り継ぐ。渥美半島の先端は広い平地が続き、広大な畑が広がる。休暇村などを抜け、田原の市街地に入る。

田原駅前のバス停に到着。バスは豊橋駅前まで行くが、「お急ぎの方は電車のご利用が便利です」とのアナウンス。購入した割引切符も、豊橋まではバス1本で行ってもいいし、ここで電車に乗り換えても有効で、普通に利用すれば当然別々の料金だからさらにお得である。

Dscn0437電車とバスなら、電車の定時性の利点が出てくる。元東急の電車にガタゴト揺られる。途中交換する電車の車両には花を彩ったデザインの塗装が施されている。豊橋鉄道もこうしたところに力を入れるなどして、地元の足として地道ではあるが頑張っているところである。

ちょうど12時前に豊橋駅に到着。この日の午後は豊橋からもう少し足を延ばすが、その前に昼食ということで・・・・。

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レフトスタンド、ロッテファンに揉まれながら観戦

2013年05月04日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

5月3日の大正ドームのオリックス対ロッテ戦。この日は会社の先輩であり、熱心なロッテファンであるⅠ氏ご一家とともに観戦である。Ⅰ氏、奥さん、そしてお子さん2人(お姉ちゃんと弟さん、いずれも小学生)ともロッテファンという一家で、わざわざ早朝に四国高松をフェリーで出航しての来阪である。

昨年のGWもそうだったのだが、今回も私がホスト役ということで外野自由席の前売りチケットを準備し、当日の席取りに並ぶ・・・レフトスタンドに。ロッテ側に座るということでいつものバファローズのユニフォームは封印して、とりあえず上から下まで黒でコーディネートする。タオルは・・・かつて千葉で観戦した折に購入した、同じ「M」でも「毎日オリオンズ」のユニフォームをデザインしたものを持参。Ⅰ氏と2人だけであれば内野席でのんびり観戦であるが「チビたちに、外野の熱心な応援を体験させたくて」ということである。

Dscn0267混雑が予想されるということで早めには行ったのだが、すでにレフト入場口のデッキは順番待ちの人と荷物でほぼいっぱいの状態。私のすぐ後に来た人は下段に続く階段から下に並ばされていた。開門と同時にレフトスタンドはみるみるうちに埋まる。

Dscn0274何とか下段席の最もバックスクリーン寄り、隣が中継用カメラというブロックに陣取る。バックスクリーン下を挟んで左側はオリックスファンであるが、前、右、後、上はいずれもロッテの黒いユニフォームをまとったファンたちで、「ホームなのにアウェーの中」での観戦となる。まあ、年に一度くらいは「おもてなし」でこういうのもありかなと思う。これが西宮の黄色い集団の中に放り込まれたら精神に異常をきたすかもしれないが、ロッテファンの中であれば「あの独特の応援を体験できるのか」と、そんなに悪い気はしない。ただ、応援歌に合わせてのコールは行わなかったが・・・。

Dscn0278この日はキッズデーということで子ども向けイベントがさまざまである。試合前には谷花音ちゃんというのが登場してダンスが行われる。Ⅰ氏の奥さんやお子さんに訊くと「ポンキッキーズとか、CMとか出てますよ」とのこと。で、曲の歌詞に「猫ニャンニャンニャン犬ワンワンワン、カエルもアヒルもガーガーガー」と、かつての「あのねのね」のやつがあったのだが、うーん・・・。

Dscn0296さて試合、オリックスの先発は左腕の海田。ところが相変わらずというか、制球が定まらずにボールが先行する。根元の四球、角中のヒットなどで一死一・三塁となり、4番井口にライトへの犠牲フライを打たれる。

Dscn02923タテ目指して幸先よい先制に、初回からロッテファンのボルテージは上がる。この調子で9回まで行くのだから、こりゃ結構体力がいるな。

Dscn0302ただオリックスも負けていない。ロッテ先発の唐川も立ち上がり制球が定まらず、坂口の四球、糸井の死球でチャンスをつくり、李大浩のタイムリーで早速同点に追いつく。この日も乱打戦になるかどうか。

ただこの後は両投手とも少しずつ立ち直り、ランナーを出すものの粘りの投球を見せる。Ⅰ氏とともに両チームの選手の情報交換を行いながら見る一方で、子どもたちはと言えば、何だか隣に座った同じ年くらいの子どもと意気投合したようで、ゲーム機で一緒に遊んだりしている。まあ、野球を見に来たといってもテレビで見るより選手も小さく見えるし、ひょっとしたら立ち上がって応援する周りの大人たちに囲まれてグラウンドの様子もなかなかわかりにくかったかな。でもスタンドの雰囲気を楽しんでいる様子である。

Dscn0306イニング間の「さかくぢ」による私の運勢はこちら。・・・この日は酒とともに人に酔いそうです・・・・。

Dscn0322試合が動いたのは6回。井口に左中間への一発が出る。勝ち越しということでお祭り状態のレフトスタンド。Ⅰ氏ご夫妻も周りの人たちとハイタッチを交わす。その中で一人苦虫をかみつぶす私。

Dscn0325ところが今度はその裏。盗塁時に負傷した糸井に代わって出場の川端がヒットで足場をつくり、バルディリス。これが打った瞬間にわかるレフト上段への一発。逆転の一打にこの時は思わず「ヨッシャっ!」と一人叫ぶ。

Dscn0334そして「ウイラブマリーンズ」の大合唱の後の運命の7回表。清田の二塁打などで二死一・二塁となり、左の根元を迎えたところで海田が交代。「この場面で交代って、誰が投げるん?」とⅠ氏に尋ねられ、「8回だったら岸田でしょうが、ここで頼れるあと一枚が足りないんですよね。左・・・まさか松本とか」と話すうち、コールされたのはその松本。これにはレフトスタンドから拍手が起こる。といっても、昨年までロッテにいた投手だからということではなく、「これで儲けた」という歓迎の意味のようだ。逆にライトスタンドからは「何で松本やねん。また試合壊すんとちゃうか」という不安ムード。

そして、本当にその通りになってしまう。根元にはヒットで満塁となり、角中にセンター前に2点タイムリーを許す。これで4対3、ロッテ再逆転である。続いて登場の比嘉は押し出し・・・。本当、この2人は何をしに出てきたのか。やはりあの場面、左腕エースへの試練として海田で何とか乗り切るか、まだ信頼できる岸田でしのぐかというところではなかったか・・・と結果論で言ってみる。オリックスファン諸兄もこの継投ミスはかなり問題視しているようで。

これで流れは完全にロッテ。7、8、9回とオリックスもヒットで出塁して粘りを見せるが併殺でチャンスをつぶす。特に8回、ランナー一塁でバルディリスのところ、ここで唐川からスイッチした松永が1球で併殺に抑えたのを見せられると、中継ぎ、継投の差かなとため息が出る。

Dscn03489回はロッテ抑えの益田。チャンスをつくるものの最後は坂口がセカンドライナーに倒れ、ゲームセット。ロッテに3タテを許し、何だかこのまま「大型連休」で最下位街道をズルズルと行きそうな展開。

Dscn0357試合終了後は子どもイベントのフィールドランニングに参加。子どもたちのために整理券をあらかじめもらっており、付添ということで私もグラウンドに降りる。なかなか多忙なⅠ氏であるが、GWの家族の楽しみということで楽しんでいただいたようで何よりである。

「一回、子どもに白いユニ着させて観戦したいのね」。試合後、先に奥さんとお子さんをホテルに入らせて2人でミナミで飲んだ時にⅠ氏が言っていた。「今まで大阪とか広島とか、ビジターでしか連れて行ったことがなくて、黒いのしか着てないから」と。親子揃っての観戦、いいじゃないですか。さて私、この先そんな言葉を発する時が来るだろうか。いやその前に、相手を見つけなければね・・・・。

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汐見橋線に乗ったり降りたり

2013年05月02日 | まち歩き

南海汐見橋線の乗り歩き。

Dscn0185汐見橋を出た2両編成の電車はガタゴト言いながら南へ走る。左手には阪神高速の高架と、かつてホームレスが寝起きしていたスペースの歩道が続く。そうするうちに前方にJR大阪環状線の高架。日々の通勤で使っている環状線からこの汐見橋線の線路はよく見えるのだが、こうして高架を仰ぐのも逆に新鮮に見える。それをくぐってすぐのところで芦原町駅に到着。環状線と交差するところに駅がないのが不思議に思う。

Dscn0190続いて停まるのは木津川駅。ここで下車する。

Dscn0195Dscn0194現在は島式ホームが一本使われているだけだが、駅舎に至るまでに2本の側線跡を渡る。その昔、汐見橋線が高野線として元気だった頃のことだろうか、貨物の取り扱いで賑わったというらしい。紀伊山地で伐採された材木を橋本あたりから貨物列車で運び、水運の利のあるこの木津川から舟に積み換えられ、周囲の工場に運ばれていった歴史がある。

Dscn0192ただそれも今は昔。線路も草むしており、野良猫が自由気ままに構内を遊びまわるところ。この駅の構内だけが大阪市内にあって時間が停まっているかのようである。見ようによってはこれも立派な「秘境駅」ではないかと思う。都会型のそれとして・・・。

Dscn0196日中のこんな時間に降り立つのは私一人、と思うが、駅舎のほうから水の流れる音がする。水洗トイレのそれとは違うようだが、いざ駅舎に入るとびっくり。駅の片隅の水道を使って何やらしているおっちゃん一人。一瞬の出来事に「顔を合わせたら何を言われるかわからん」ということでそそくさと改札を出る。何せ、どうみても「部外者」という出で立ちで降り立ったものだし。

そして外から見た木津川駅。駅前の道は何と砂利道。自転車やらクルマやらはいっぱい停まっているのだが、果たしてこれ、駅を利用するために停めているのはどのくらいあるのだろうか。高速道路や市営住宅は遠くに見えるが、駅の周りは実に殺風景なものである。

Dscn0199さてここからは隣の津守まで歩いてみることに。砂利道の駅前から舗装された道に出て、南の方角に歩く。時折ダンプカーや高級乗用車が通り抜ける。この辺りは水運の利もあるのか、運輸関係、そして町の鉄工所といった建物が並ぶ。降り立ったこの日は平日だったので、機械の動く音があちこちから聞こえるのだが、これが日曜日にでも訪れようものなら、人っ子一人いない、それこそ誰とも出会うことのない殺風景な景色に映るのだろうなと思う。都会の中の秘境といってもいいだろう。

Dscn0200それでも津守駅に向かうにつれて工場も大きくなる。昔ながらの佇まいの建物も見る。今でも現役で頑張っているのだろう。

Dscn0201線路を渡ったり、昔ながらの住宅街を抜ける。すぐ横に錆びれた線路を見るが、これも大阪の一つの顔なのだなと改めて思う。西成高校、そして西成公園にやってくるが、学校や公園の周囲は高いフェンスで囲まれている。よくは見なかったが、公園の向こう側にはテントが見える。行政がホームレスの公園への侵入を防ぐために取った措置だろう。

Dscn0205津守駅と公園が向かい合うところであるが、公園のほうから私をギロリと睨む複数の視線を感じる。カメラはバッグの奥深くにしまい、駅の中に入る。

Dscn0207列車を待つうちに、おそらくロシアとか東欧の人なのかなと思う女性二人連れがやってくる。先ほど乗ってきた車両に乗り込み、次の西天下茶屋で下車する。

Dscn0211この辺りまで来ると、先ほどまでの地区とかホームレスとかいう言葉は脇に飛ぶことになる。大阪の中でもディープなところというか、下町風情満載のところである。ちょうど昼時ということで地元の人たちも買い物に出てくる頃合いである。

Dscn0214私は見ていないのでよくわからないが、NHKの朝のドラマでも舞台になったというこの西天下茶屋商店街。さまざまな店が軒を連ね、スピーカーからは昭和風情の歌謡曲が流れる。私も一時、昔ながらの風情に身を任せる。これが日曜日なら一斉に店を閉じて、訪れる者には「シャッター商店街」と揶揄されるところだろうが、平日となればまだまだ活気のあるところである。

Dscn0219商店街をそのまま通り抜けると線路から遠ざかるので、適当なところで方向を立て直す。途中、高さ1.8mというところをくぐる。こういうところが残っていること自体、汐見橋線の昭和風情は侮れないなと感心する。

Dscn0223このまま終点の岸里玉出まで歩く。途中、国道26号線をまたぐ昔ながらの鉄橋がある。それに沿う歩道橋に陣取って、やってきた2両の列車を撮影する。30分に1本、思い出したようにやってきて、渋滞の国道26号線をあざ笑うかのように通過する風情もいいものである。南海らしいといえば、実に南海らしいなと思う。

結局岸里玉出には歩いて到着。南海本線のホームに上がる。難波方面に向かって左前に、この日のメインの汐見橋線ホーム。ちょうど、汐見橋に向けて出発するところであった。一方で右前方にあるのは高野線ホーム。今や汐見橋という駅なぞ知らないと言わんばかりに、次々に列車がホームを通過していく。これらも時代の流れだろうか・・・?

Dscn0225これで汐見橋線の乗車記は終わり。ただ南海はグループ会社を含め、私にとってまだまだよく知らない路線が多いところ。これから少しずつ知識を深めるとともに、純粋な気持ちで高野山をはじめとしたあちこちのスポットと訪れてみたい。その一方で大阪下町の居酒屋訪問も続けてみたいところである。

まだまだ、鉄路の旅は続く・・・・。

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南海汐見橋駅

2013年05月01日 | まち歩き

このところ、近鉄対南海復刻試合のことや、堺市博物館で南海ホークス関連の企画展示を見学したりと、「南海」がらみの記事が続いている。

だからというわけではないが、南海の本業である鉄道のことも触れてみようと思う。南海と昭和・・・ということで思いついたのが、現在の大阪市内にあって昭和のローカル線風情を残す「汐見橋線」である。汐見橋から岸里玉出までは普通に乗車すればわずか9分というところであるが、せっかくなので沿線との歩きを絡めながら進めてみようと思う。

Dscn0154難波から1駅、阪神なんば線と地下鉄千日前線の駅である桜川。この隣にある四角い建物が汐見橋駅である。桜川駅では南海乗り換えの表示はあるものの、電車に乗っても「南海線はお乗り換えです」とは言われないところが、どこか忘れ去られた感じのする路線である。

Dscn0156この一角だけ「昭和」の空間が残っているように思える。現在でこそこのようなさびれた風情の終着駅であるが、歴史を見れば南海高野線の始発駅である。かつては出札口や売店もあったようだが、現在は閉じられておりポスターの掲示やパンフレット置場になっている。

Dscn0165改札口の上には「昭和30年代のものです」と但し書きのある路線図がある。右上の大阪側にはなんば、汐見橋、そして天王寺とターミナルが3つあり(といっても、ターミナルとしてはなんばの一人勝ちだっただろうが)、さらには阪堺線、上町線、平野線といった支線も見られる。昭和30年代、南海ホークスがパ・リーグの強豪として君臨していた頃である。路線図からも当時の活気のようなものが伝わってくる。

Dscn0172Dscn0179当時はどのくらいの列車が走っていたのかはわからないが、現在は閑散としたもので、列車は日中は30分に1本。1編成の車両が行ったり来たりする路線である。それでも阪神なんば線の開通により、こちらへの乗り換えで利用する客も増えているようである。やってきた電車からの10人あまりの下車客の多くは、阪神桜川駅に続く階段へと吸い込まれていく。

Dscn01802両編成の車両は「角ズーム」と呼ばれる支線用のもので、昭和45年の製造とある。昼間の時間のこととて、乗客はわずかに4人。ガタゴト言わせて岸里玉出に向けて出発する。

Dscn0183汐見橋駅の駅前から線路脇、そして阪神高速の高架下というのはかつてはホームレスの拠点であったところで、私も以前にこの線に乗った時にはビニールシートやテントや段ボールをでできた住居を目にしたが、このところの再開発事業(阪神なんば線の開通もそうかな)にともない強制排除されたという。線路と道路の間の歩道の中央にも高いフェンスが張り巡らされ、そのフェンスに囲まれたスペースが、人一人が寝るのにちょうどよい空間であったことを物語る。

このまま乗っていてもいいのだが、せっかく時間があるのでどこかで降りてみることにしようか・・・・。

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