あっちょんぶりけ~!昨日に続いて、今日もカープが巨人に勝ちました!!
9回になってまさかの逆転負け!?な雰囲気に陥りましたが、何とか逃げ切ってホッ!ヤキモキ&ハラハラさせてくれるのが、まあカープらしいですが。CSへの執念を感じさせるこの頃のカープ、でも油断大敵!勝って兜の緒を締めて、正念場を切り抜けてほしいですね。頑張れカープ!ああ~。マツダスタジアムに応援に行きたいのお!今年になって、まだ一回も行っとらんけん
「愛すれど哀しく」
19世紀末のイタリア・ミラノ。純真な少女ベルトは、パン職人のブブと恋に落ちる。だがブブは働かなくなり、ヒモとなってベルトに体を売って稼ぐよう強制。ブブの愛をつなぎとめるため、ベルトは娼婦となるが…
「わが青春のフロレンス」や「沈黙の官能」など、叙情的な時代劇メロドラマの名手だったマウロ・ボロニーニ監督作品。
うう~ん。くらたまも驚くだろう“だめんず女”の物語でした。愛する男のため、愛する男を失いたくないから、男を盲信したり言いなりになる、という“惚れた弱み”的なイタい心理や言動は、理解も共感もできますが…いくらなんでも、売春婦になるのはちょっと…カラダ売って俺を養え!なんて言ってくる男を、どうして愛することができるのでしょうか。でも実際、世の中いっぱいいますよねえ。どうしようもないクズ男のために、自分を犠牲にする哀れで愚かな女性って。翻弄され傷つけられることも、ほどほどなら刺激的な恋愛のスパイスになるけど、肉体も精神も人生もズタボロになるような破滅に身を委ねないと愛を実感できないなんて。殴られても冷たくされても病気になっても、棄てないで~!何でもするから~!とすがりつくベルトのドMっぷりは、何だか病的で怖かった。自分がなくなってしまう、相手しか見えないという状態。本当の愛は、ひょっとしたら病気のようなものなのか?健全すぎる私には、一生罹らない病気かもしれません。それはそれで、何だか寂しいような気もしますが。
ブブの最低なヒモっぷりは、ある意味あっぱれ。あそこまで非情で身勝手な人でなしになれるなんて。最低なクズ野郎なんだけど、俺は働きたくない!それの何が悪い!俺を愛してるなら、俺を養うのは当然!という首尾一貫した揺るぎなき思考回路、卑屈にならず堂々としてるところなど、呆れつつも感心。ヒモって最低だけど、悪い意味で選ばれた者しかなれない人種ですよね。美しいだけ、頭がいいだけじゃ無理だし。女をメロメロにしたりマインドコントロールしたりするには、顔とかアソコとか肉体的にも恵まれてないといけないし、口八丁手八丁な才覚も必要だし。ブブの、ベルトへのアメ(甘~く情熱的な言葉と愛撫)とムチ(殴る蹴る)の使い分けが見事だった。私だって、もし悪賢いイケメンに生まれてたら、まともに働くよりヒモになる道を選んでるかも…って、私も最低ですねでも正直、ヒモにはなりたいが、ヒモられる女には絶対なりたくない…
ベルト役は、ボロニーニ監督の「わが青春のフロレンス」でカンヌ女優賞を受賞したオッタヴィア・ピッコロ。当時22、3歳?米倉涼子を可憐にエロくした感じ?脱ぎっぷりも見事でした。悲惨な境遇にいても、陰惨で無残な暗さはあまり感じさせず、たくましく愛らしいヒロインだったのが好感。汚れても堕ちても、透明感や瑞々しさを失わないところは、彼女の天性の魅力なのでしょうか。オッタヴィアさん、いま現在も女優として活躍してるのかな?可愛いおばちゃんになってそうだが…
可愛い男には毒がある、なブブ役のアントニオ・ファルジが、なかなかのイケメン。マイケル・ファスベンダーを可愛く濃く潤わせた感じ?それにしてもイタリアの美男って、どこの国の美男よりヒモが似合いますね。ベルトを愛する客の青年ピエール役、「わが青春のフロレンス」では主人公を演じてたマッシモ・ラニエリもイケメン。日本でリメイクされるとしたら、ブブは青柳翔、ピエールは池松壮亮がいいかも♪ベルトはもちろん、松たけ子で
19世紀のミラノの街並みが趣深く、娼婦たちの衣装も目を楽しませてくれます。
9回になってまさかの逆転負け!?な雰囲気に陥りましたが、何とか逃げ切ってホッ!ヤキモキ&ハラハラさせてくれるのが、まあカープらしいですが。CSへの執念を感じさせるこの頃のカープ、でも油断大敵!勝って兜の緒を締めて、正念場を切り抜けてほしいですね。頑張れカープ!ああ~。マツダスタジアムに応援に行きたいのお!今年になって、まだ一回も行っとらんけん
「愛すれど哀しく」
19世紀末のイタリア・ミラノ。純真な少女ベルトは、パン職人のブブと恋に落ちる。だがブブは働かなくなり、ヒモとなってベルトに体を売って稼ぐよう強制。ブブの愛をつなぎとめるため、ベルトは娼婦となるが…
「わが青春のフロレンス」や「沈黙の官能」など、叙情的な時代劇メロドラマの名手だったマウロ・ボロニーニ監督作品。
うう~ん。くらたまも驚くだろう“だめんず女”の物語でした。愛する男のため、愛する男を失いたくないから、男を盲信したり言いなりになる、という“惚れた弱み”的なイタい心理や言動は、理解も共感もできますが…いくらなんでも、売春婦になるのはちょっと…カラダ売って俺を養え!なんて言ってくる男を、どうして愛することができるのでしょうか。でも実際、世の中いっぱいいますよねえ。どうしようもないクズ男のために、自分を犠牲にする哀れで愚かな女性って。翻弄され傷つけられることも、ほどほどなら刺激的な恋愛のスパイスになるけど、肉体も精神も人生もズタボロになるような破滅に身を委ねないと愛を実感できないなんて。殴られても冷たくされても病気になっても、棄てないで~!何でもするから~!とすがりつくベルトのドMっぷりは、何だか病的で怖かった。自分がなくなってしまう、相手しか見えないという状態。本当の愛は、ひょっとしたら病気のようなものなのか?健全すぎる私には、一生罹らない病気かもしれません。それはそれで、何だか寂しいような気もしますが。
ブブの最低なヒモっぷりは、ある意味あっぱれ。あそこまで非情で身勝手な人でなしになれるなんて。最低なクズ野郎なんだけど、俺は働きたくない!それの何が悪い!俺を愛してるなら、俺を養うのは当然!という首尾一貫した揺るぎなき思考回路、卑屈にならず堂々としてるところなど、呆れつつも感心。ヒモって最低だけど、悪い意味で選ばれた者しかなれない人種ですよね。美しいだけ、頭がいいだけじゃ無理だし。女をメロメロにしたりマインドコントロールしたりするには、顔とかアソコとか肉体的にも恵まれてないといけないし、口八丁手八丁な才覚も必要だし。ブブの、ベルトへのアメ(甘~く情熱的な言葉と愛撫)とムチ(殴る蹴る)の使い分けが見事だった。私だって、もし悪賢いイケメンに生まれてたら、まともに働くよりヒモになる道を選んでるかも…って、私も最低ですねでも正直、ヒモにはなりたいが、ヒモられる女には絶対なりたくない…
ベルト役は、ボロニーニ監督の「わが青春のフロレンス」でカンヌ女優賞を受賞したオッタヴィア・ピッコロ。当時22、3歳?米倉涼子を可憐にエロくした感じ?脱ぎっぷりも見事でした。悲惨な境遇にいても、陰惨で無残な暗さはあまり感じさせず、たくましく愛らしいヒロインだったのが好感。汚れても堕ちても、透明感や瑞々しさを失わないところは、彼女の天性の魅力なのでしょうか。オッタヴィアさん、いま現在も女優として活躍してるのかな?可愛いおばちゃんになってそうだが…
可愛い男には毒がある、なブブ役のアントニオ・ファルジが、なかなかのイケメン。マイケル・ファスベンダーを可愛く濃く潤わせた感じ?それにしてもイタリアの美男って、どこの国の美男よりヒモが似合いますね。ベルトを愛する客の青年ピエール役、「わが青春のフロレンス」では主人公を演じてたマッシモ・ラニエリもイケメン。日本でリメイクされるとしたら、ブブは青柳翔、ピエールは池松壮亮がいいかも♪ベルトはもちろん、松たけ子で
19世紀のミラノの街並みが趣深く、娼婦たちの衣装も目を楽しませてくれます。