「イン・ザ・カット」
ニューヨークで暮らす大学教授のフラニーは、連続猟奇殺人事件を捜査する刑事マイロと深い関係になる。やがてフラニーは殺人犯が身近にいると感じ始め、不安と疑心暗鬼に陥るが…
かつてラブコメの女王として一世を風靡したメグ・ライアンが、演技派女優になろうと目論んで挑んだ官能サイコサスペンス。あのメグ・ライアンが脱いだ!ことで話題になりました。残念ながら、蓋を開けてみると作品の評価も興行成績も芳しくなく、メグさんにとってはかなり不本意な結果になってしまいました。ストーリーも展開もありきたりな猟奇サスペンスなのに、ヘンに思わせぶりなシーンや芸術映画っぽい雰囲気、台詞などが意識高い気取りで鼻につくし、肝心のメグ・ライアンが全然魅力的じゃないのがトホホです。メグさん、ちょっと早計というか浅薄な決断をしてしまいましたね。いい年していつまでもチャラいラブコメなんかやってらんない!オスカー欲しい!という焦りと欲が、この映画に彼女を導いてしまったみたい。心に闇を抱え、変態的な性愛に身もだえるというヒロイン役は、メグさんの見た目と演技力では無理だった。ラブコメではあんなにイキイキとチャーミングだったのに、この映画では驚くほどのデクノボウ演技でした。
メグさん、顔もガタイもたくましいので、たまに女装した男に見えた。なので露出の高い服を着ても全裸になっても、全然エロくないんです。けだるくアンニュイな雰囲気を出そうとしてましたが、ただの根暗なイタいこじらせおばさんにしか見えなかった。あの役はオールアメリカンなメグさんではなく、もっと繊細でエレガントで冷ややかな毒がある女優向け。イザベル・ユペールが得意とするヒロインですが、ユペールならまた違った異色ヒロイン、犯人よりヤバい笑えるヒロインになってたでしょうけど。とにかくミスキャストすぎて、ただもう痛々しいだけのメグさんでした。無謀で分不相応な賭けに失敗してしまったメグさんですが、あそこまでやったチャレンジ精神、女優魂には感服しました。
30年後も同じことやってそうな綾瀬はるかとか石原さとみに比べると、無謀で分不相応でも新しく険しい道を選んだメグさんの気概は、まさに女優の鏡と言えます。瑞々しい生命力に輝く若い女でもなく、腐りかけの果物みたいな妖艶な熟女でもない、観客に気まずい思いをさせる痛ましいだけの崩れた全裸をさらした勇気に感嘆。大物女優が必要以上に脱ぎ、男にアンなことコンなことされたりしたりする痴態って、最近のポリコレ蔓延なハリウッド映画ではもう見られないので、いい時代だったな~と感慨深いものが。往年のメグさんを思うと、全盛期とのギャップに何もここまでしなくても…と呆れたり悲しくなりました。ここまでやって失敗してしまうなんて、お気の毒としか言いようがありません。極端すぎるチャレンジではなく、もっとご自分の魅力と個性を大事にしたキャリアを目指してほしかったです。ダイアン・キートンとかゴールディー・ホーン路線でよかったのに。最近すっかり見かけなくなったメグ・ライアン、今も女優を続けてるのかしらん?
マイロ役は、注目されかけてた頃のマーク・ラファロ。若い!けど、今とそんなに変わってないかも?
半グレでちょっと怪しい、ワケアリっぽい刑事役ですが、やっぱ優しそう誠実そうで悪や狂気の臭いなど全然なく、ぜったい犯人じゃないという確信を始めっから抱かせてくれます。彼もボカシ入りの全裸になって、卑猥なことをしたり言ったりするのですが、かなり無理してる感があります。彼もエロとか官能とかには無縁な俳優。どっしりして毛むくじゃらな裸は、男くさいぬいぐるみを連想させます。抱かれたらさぞや癒されるだろうな~。
メグ・ライアンの妹役はジェニファー・ジェイソン・リー、ストーカー男役はケヴィン・ベーコン、と個性の強い役者たちが脇を固めてます。彼らをあまり活かせてなかったのも、この映画の惜しい点。ニューヨークが悪意があるとしか思えないほど薄汚く危険な街として撮られていて、ぜったいここには住みたくないと思わせました。「ピアノ・レッスン」で高く評価されたジェーン・カンピオン監督作品。新作が途絶えてるようですが、カンピオン監督にはまた女優魂に圧倒される映画を作ってほしいものです。
ニューヨークで暮らす大学教授のフラニーは、連続猟奇殺人事件を捜査する刑事マイロと深い関係になる。やがてフラニーは殺人犯が身近にいると感じ始め、不安と疑心暗鬼に陥るが…
かつてラブコメの女王として一世を風靡したメグ・ライアンが、演技派女優になろうと目論んで挑んだ官能サイコサスペンス。あのメグ・ライアンが脱いだ!ことで話題になりました。残念ながら、蓋を開けてみると作品の評価も興行成績も芳しくなく、メグさんにとってはかなり不本意な結果になってしまいました。ストーリーも展開もありきたりな猟奇サスペンスなのに、ヘンに思わせぶりなシーンや芸術映画っぽい雰囲気、台詞などが意識高い気取りで鼻につくし、肝心のメグ・ライアンが全然魅力的じゃないのがトホホです。メグさん、ちょっと早計というか浅薄な決断をしてしまいましたね。いい年していつまでもチャラいラブコメなんかやってらんない!オスカー欲しい!という焦りと欲が、この映画に彼女を導いてしまったみたい。心に闇を抱え、変態的な性愛に身もだえるというヒロイン役は、メグさんの見た目と演技力では無理だった。ラブコメではあんなにイキイキとチャーミングだったのに、この映画では驚くほどのデクノボウ演技でした。
メグさん、顔もガタイもたくましいので、たまに女装した男に見えた。なので露出の高い服を着ても全裸になっても、全然エロくないんです。けだるくアンニュイな雰囲気を出そうとしてましたが、ただの根暗なイタいこじらせおばさんにしか見えなかった。あの役はオールアメリカンなメグさんではなく、もっと繊細でエレガントで冷ややかな毒がある女優向け。イザベル・ユペールが得意とするヒロインですが、ユペールならまた違った異色ヒロイン、犯人よりヤバい笑えるヒロインになってたでしょうけど。とにかくミスキャストすぎて、ただもう痛々しいだけのメグさんでした。無謀で分不相応な賭けに失敗してしまったメグさんですが、あそこまでやったチャレンジ精神、女優魂には感服しました。
30年後も同じことやってそうな綾瀬はるかとか石原さとみに比べると、無謀で分不相応でも新しく険しい道を選んだメグさんの気概は、まさに女優の鏡と言えます。瑞々しい生命力に輝く若い女でもなく、腐りかけの果物みたいな妖艶な熟女でもない、観客に気まずい思いをさせる痛ましいだけの崩れた全裸をさらした勇気に感嘆。大物女優が必要以上に脱ぎ、男にアンなことコンなことされたりしたりする痴態って、最近のポリコレ蔓延なハリウッド映画ではもう見られないので、いい時代だったな~と感慨深いものが。往年のメグさんを思うと、全盛期とのギャップに何もここまでしなくても…と呆れたり悲しくなりました。ここまでやって失敗してしまうなんて、お気の毒としか言いようがありません。極端すぎるチャレンジではなく、もっとご自分の魅力と個性を大事にしたキャリアを目指してほしかったです。ダイアン・キートンとかゴールディー・ホーン路線でよかったのに。最近すっかり見かけなくなったメグ・ライアン、今も女優を続けてるのかしらん?
マイロ役は、注目されかけてた頃のマーク・ラファロ。若い!けど、今とそんなに変わってないかも?
半グレでちょっと怪しい、ワケアリっぽい刑事役ですが、やっぱ優しそう誠実そうで悪や狂気の臭いなど全然なく、ぜったい犯人じゃないという確信を始めっから抱かせてくれます。彼もボカシ入りの全裸になって、卑猥なことをしたり言ったりするのですが、かなり無理してる感があります。彼もエロとか官能とかには無縁な俳優。どっしりして毛むくじゃらな裸は、男くさいぬいぐるみを連想させます。抱かれたらさぞや癒されるだろうな~。
メグ・ライアンの妹役はジェニファー・ジェイソン・リー、ストーカー男役はケヴィン・ベーコン、と個性の強い役者たちが脇を固めてます。彼らをあまり活かせてなかったのも、この映画の惜しい点。ニューヨークが悪意があるとしか思えないほど薄汚く危険な街として撮られていて、ぜったいここには住みたくないと思わせました。「ピアノ・レッスン」で高く評価されたジェーン・カンピオン監督作品。新作が途絶えてるようですが、カンピオン監督にはまた女優魂に圧倒される映画を作ってほしいものです。