ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ありがとうポール

2010年09月24日 | 友達とわたし


ポールに、ありがとうとさよならを言いに行ってきた。

全くそんなつもりのなかった終わりが、彼の人生に濃い影をさしている。

ポール、と名を呼ぶと、意識の無いはずの彼の呼吸が急に激しくなり、驚いているような顔をした。

聞こえているんだね、ポール。

先日、難しい癌が見つかって、医者から余命6ヶ月を宣言されたピンキーが、夫のポールの頭のてっぺんを優しく撫でている。

「こうやってわたしが彼を看取ることができてよかった」ピンキーが静かに言った。
「昨日ホスピスから戻ってきたの。あちらではかなりストレスがあったようだけど、家に戻ってきてからとても落ち着いたの。やっぱり家がいいものね。わたし達ここで52年も暮らしたんだもの。ここに帰りたかったんだと思う。帰らせてあげられてよかった」

ここに引っ越してきた次の日に、ドアをノックしてくれたポール。

「僕はポール。タウンミーティングがあるから一緒に行こう」

なんていきなり唐突なことを言い出す人なんだろうか……と一瞬たじろいだが、それが彼流のウェルカムの表現だった。

まだ少し肌寒い朝早くから、バシャバシャと水音をたてて泳いでいたポール。

「いつになったら泳ぎに来るんだい?」と、少し怒っているような表情を作っていたポール。

わたしがピアノを弾き始めると、決まって外に出てきて、なにがしかの用事をしていたポール。

わたしがその話をすると、「彼ね、『またまうみは窓を閉めて弾いてるよ。開けてくれりゃいいのに』ってしょっちゅう文句言ってた」とピンキーが話してくれた。

彼の温かな手を握りながら、わたしは精一杯お礼を言った。泣けて泣けて、ほとんど言葉にならなかったけれど。

「ポール、ありがとう。ポールがわたし達をこの地域にスッと馴染ませてくれた人だよ。いつも親切にしてくれてありがとう。プールに一度も入りに行かなくてごめんね。いつもピアノを聞いてくれてありがとう。これからもピアノを弾くたびに、ポールのことを思うよ。忘れないからね」


「わたし達は仲良しのお隣さんだからね。少し短かったけど……」

わたしをギュッと抱きしめながら、ピンキーがそう言った。わたしは頷くだけでなにも言えなかった。

でも、今一番悲しんでいるピンキーが必死にしっかりしようとしているんだもの、わたしがしっかりしないでどうする?

彼の家の庭を挟んだピアノの部屋の真向かいの部屋で、ポールは眠っている。いや、眠っているんではなくて覚醒できない意識と闘っている。

ピアノ、弾くからね。聞いていてね。午後からはあさこと合わせるから、きれいなソプラノも聞こえるよ。

「『カーネギーだってさ。すごいよなあ~まうみ』と、とても嬉しそうに話していたわよ。聞きに行こうって思ってたと思う」とピンキーが教えてくれた。

ホールに直接来られないポールのために、彼の耳に届くほど響かせてみせる!ポール、聞いててよ!
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更年期→黄金期

2010年09月23日 | ひとりごと
ついこのあいだ、おでこが災難に遭っていることを書いた。
それはあれからも細々と続いていた。
それが最近では、いきなり、爪先から頭のてっぺんまでの内側に、遠赤外線コタツのヒーターが内臓されてしまったような、なんともいえないホカホカ感(いや、そんな気持ちのいい感じではなく、かなり気色が悪い)に襲われて、じっとりと汗ばむようになった。
それがどうも、突然といっても、なにかしら気が焦っていたり、急いでいたり、もっと単純に、シャワーの後だったりすることに気がついた。
せっかくシャワーに入って汗をすっきり流し、すっきりと乾いた頃に突如、コタツが作動するもんだからたまらない。
途端に汗が体中の毛穴からにじみ出てきて、すっかりネバネバ星人になってしまう。
石けんやシャンプーや、それからせっせと洗った労力とお湯が、実にもったいな~いっ!と思う瞬間である。

眠っている間に突然汗みどろになって、パジャマもシーツもびっしょびしょ!?というのは、随分前に突然1回経験しただけで、それ以降は音沙汰が無い。
あれは本当に衝撃的な、まるでオネショでもしてしまったかっ?!と動転するほどの事件だったので、そうちょくちょくやってきてもらっても困る。

とにかく、わたしは今更年期の真っ最中で、いろんな『けったいなん』が来てくれるようになった。
まあ別にその『けったいなん』の連中も、好きでわたしのところに来てるわけではないだろうから、そう邪険に扱うのもどうかと思うが、実のところかなり鬱陶しい。

昨日はちょいと早めの『インディアンサマー』っぽい、蒸し暑い日になった。
夕方に突如、雷と大雨がやってきて、風と一緒に大暴れした後、少し気温が下がったけれど、寝る直前にシャワーに入ってしまったわたしには、暑くて暑くて、とても寝苦しい夜になった。
それで今朝は、首の付け根は痛いわ、鼻風邪で息が詰まっているわ、寝不足だわで、かなり怠い気分でいたのだが、これを見て俄然元気になった。



昨日、旦那が買ってきてくれたコストコのパンプキンパイ。
日本でも多分売っていると思うけれど、このサイズで5ドル。破格の値段である。
大きさをわかってもらおうと、隣にうちの大皿を置いたのだけど……わかってもらえるかしらん……。
味もどうしてだかうまい!甘さも程よく、苦手なシナモンも微妙に許せる範囲。
旦那が煎れてくれた美味しぃ~いコーヒーと一緒に、パクパクいだたいてすっかりご機嫌。



更年期の次の黄金期まで、とりあえずこんなふうに、なにか楽しいことを目の前にぶら下げて生きてくっきゃない、のかな?

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被爆ピアノを弾いて

2010年09月22日 | 世界とわたし
被爆ピアノのニューヨークコンサートで演奏して、一躍有名(花火のように一瞬でしたが)になったエラとオーウェン。
こちらの地元の新聞にも載り、ユーチューブにも掲載され、インタビューも盛りだくさん。

特に、某N◯Kの取材班の皆さんは、日本人以外の演奏者の取材をすると決めておられたので、彼らのことをたくさん取り上げていただいた。

で、第一夜の教会でのインタビューの時、うまく進行しているかどうかを心配した旦那は、すぐ近くに立ち、事の成り行きを見守っていた。
その時、彼が、なんとな~くキナ臭く感じたことがひとつだけあった。
正しくないかもしれない。そこにはそんなことなど、あるいは、そんなつもりなど、微塵もなかったかもしれない。あるいは、聞き間違っているのかもしれない。
けれども、「原爆について、ネガティブな意見がアメリカ人の口から出るのを期待しているような気がする」と旦那は感じたようだ。


『原爆を落としたことは正しかった』


確かに、そう言ってはばからない人はこの国にはいる。目の前でそう言っているのを聞いたこともある。
それで、「いくらそれで戦争を終わらせることができたとしても、あの原爆という物が起こした惨状を正しかったとどうして言えるんですか?」と詰め寄っても話にならなかった。

この国は、他の国から攻め込まれたり、爆弾を落とされたりした経験が無い。
常によその国の高い空の上から、自分達には全く影響が及ばないほど離れた所から、ボタンをポンと押して爆弾を落とし、地上のすべてを破壊する。
自分の体を使って、自分もある程度傷を負って、返り血を浴びて、人の肉や筋や骨を切ったり砕いたり焼いたりしたなら、多分もう少し考え方が変わるかもしれない。
実際に今、地上で戦っている若い兵士達の中には、そういう経験を否応無く持たされて、心の病にかかったり自殺したりしている人がとてもたくさんいる。

でも、軍とは全く関係の無い世界で生きてきた人達や、軍でも命令だけしていればいい人達の中には、戦争がいかに愚かで惨たらしいことかを理解できない人がいる。
想像力が足りない人に、どれだけの写真を見せても、どれだけの言葉で説明しても、どれだけの手間をかけても、わかってもらうことは難しい。

エラは、つい最近、学校の授業で、原爆のことを学んだ。そのことについて、わたしはまだ彼女に、どういうふうに感じたのか尋ねていない。
その彼女に昨夜、日本から直接、ラジオのインタビューの依頼が入った。まずはわたしのところに確認の電話がかかり、わたしが彼女に事の詳細を伝えた。
やはりN◯Kのラジオ局だった。
彼女は13才だが、とてもしっかりしているし、自分の意見をちゃんと持っている子なので、インタビューは全く問題無いと思い、彼女も快諾してくれた。
そのインタビューが行われている時に、旦那がふと、「生で彼女の声が流れるのに、大丈夫かなあ」と心配した。
多分また、あのことを心配しているんだろうと思ったけれど、彼女は原爆を正しかったなどと思う子ではないと確信していたので、「大丈夫」と旦那に言った。

インタビューは和やかに、順調に進み、受け答えしている娘の様子を見ていた両親も、自分の娘がなかなかしっかりしていると再認識した、と嬉しそうに言っていた。
ただ、インタビュー中、9.11のことが一言も無く、原爆のことを何回か聞かれたのは少し解せなかった、とエラは言っていた。


正しいと思おうが、正しくないと思おうが、核兵器なんてものがこの世に存在することは絶対に間違っている。

それを必死で、本当に死に物狂いで、声を大にして伝えていかなければならないと思う。

わたしは日本人で、広島と長崎の魂を背負っている者のひとりとして、これからもずっとずっと、核兵器がこの地球上から消えてしまうまで、できることを見つけて続けていきたいと思う。

エラとオーウェンは、あのコンサートに参加したことで、日本にとても興味が出て、日本の歴史を学ぶクラスを選んだり、文化教室に通い始めた。
それでハッと気がついた。
そうだ、わたしは職業柄、アメリカの子供達と接する機会がたくさんある。
ピアノのレッスンをするだけではなく、別の時間を作って、日本の音楽や文化を伝えたり、平和の大切さを一緒に考えたりできたら……。

被爆ピアノは、ただ弾いたことだけでは終わらない、なにか不思議な意識の種を、わたし達に植えつけてくれたような気がする。


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ありがとう郵便局さん!

2010年09月21日 | ひとりごと
長い長い旅(3ヶ月とちょっと)を終えて、わたしが出した、宛名を大間違いした小包が、やっとこさ家に戻ってきてくれた。

箱はベコベコ、あちこちが黒ずんでいて、かなり悲惨な姿ではあるけれど、確かにわたしが送り出したあの箱だ。
旅行先で迷い仔になってしまい、何ヶ月もかかって彷徨いながら戻ってきたワンちゃんを出迎えたように、わたしは箱を胸にかき抱き、よう戻ってきたなあ~とナデナデしてあげた。

ほとんど諦めかけていた。

でも、もしかしたら……という希望の灯火が消えないように気をつけてはいた。

この箱の中には、思い出のアルバムが入っている。そしてお金もちょこっと。現金はともかく買い替えのできない物だった。だから本当に嬉しい。

日米両国の郵便局のみなさん、本当に本当にありがとうございました
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カーネギーの空気を震わせたい!

2010年09月20日 | 音楽とわたし
チケットです。



53枚のチケットを、買ってくださった方々に、できるだけ座り心地の良いように振り分けなければなりません。



あれこれ考え、知恵を絞り、やっとこさ終了しました。

ああ、近づいてきたなあ……と、少しドキドキしました。
最終の、100%の出来が要求されるリハーサルは、今週の金曜日の夜、本番と同じ開始時間で行われます。

今日、練習していて、ハッと気がつきました。
伴奏という字に惑わされていたことに。

『伴奏』= 楽曲の主旋律や主声部を支え引き立てるために、他の楽器で補助的に演奏すること。また、その楽器。

などと、辞書には書かれています。

わたしはその『支え引き立てる』、ということに徹しなければ!と思い込み過ぎていたのです。
でも、あさこと練習を共にし出してから、彼女が求めているものは、支えられ引き立てられることだけではなく(もちろんそれは必要だけど)、もっと違うところにあるんじゃないか、と思うようになりました。

彼女はわたしに伝えたいことがあるたび、小さな体でジャンプしたり、大波を描くように大きなカーブを描いたり、そりゃもうすごい動きを見せてくれます。
そうやって、音の行方や、響きの広がりを目で見させてくれるのです。
それで思わず、自発的に、自分の歌いたいように、確固としたイメージを抱いて、曲の最後の音まで、次に次に、とにかく次に進みたくて仕方が無くなるまで心をつないで弾いていると、「そうなの!これなの!」と嬉しそうな声が聞こえてきました。

最後の音を弾き終わり、はぁ~っと残りの息を吐き出した時、なんともいえない心地良い疲れを感じました。
でも、あれ?わたしっていつの間に最後まで弾いたんだっけ?
不思議なことに、あまり覚えていないのでした。
途中で、音が大き過ぎたり、タイミングが合わなかったりしたような気もするなあ。とボソボソ独り言を言っていると、
「でしょ?そういうことがもう、どうでも良くなっちゃうんだよね。でも、それでいいんだよ。それがいいんだよ」とあさこ。

うちの部屋とカーネギーの空間は、とんでもなく違うけれど、この感じだけは覚えて、あの場所でも再現できたらいいなあ。

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スポゥドの挑戦

2010年09月19日 | 音楽とわたし
引っ越しの手伝いの後、友人と会う約束のあるTと、友人のライブに行く予定のある我々は、それが偶然にも同じ通り上だったので一緒にマンハッタンに戻りました。

スポゥドは、このブログにもちょくちょく登場する、旦那の大学時代からの友人で、わたしの50才の誕生日に、大雨洪水警報が出ていたにも関わらずお祝いに来てくれて、彼の作り立てホヤホヤの、すてきなラブソングを歌ってくれたのでした。

「窓の外では雨がざあざあ降っている。そして僕の心の中には、君への愛があふれている」

この曲を彼のCDやライブで聞くたびに、あの日の、部屋の窓をつたう雨と、50才になった日を特別な日にしてくれた旦那の優しさと、酷い雨にも関わらず祝いにやって来てくれた友人や家族への感謝の気持ちがパアッと甦ってきます。
そして、地下が浸水し、何日もお湯も電気も使えなかった辛さと、翌日にTの大学の学部で乱射事件があり、どうしようもない怒りと哀しみと混乱に狼狽えたことも。

スポゥドは、普段は穏やかで物静かに話す男なのに、一旦舞台に立つと、すごいカリスマを感じさせるプロのシンガーソングライターです。
どうして彼がポピュラーにならないのか、それが本当に理解できません。
けれども今、彼にとって、とても大きなチャンスが到来しました。ミュージカルを6日間、マンハッタンの劇場で上演することになったのです!
それで今は、てんやわんやの大騒ぎで、準備や練習に必死なのですが、とにかくお金が足りません。それで、今夜は募金の協力のお願いも兼ねたライブになりました。



今夜の演奏は、いつにも増して研ぎ澄まされていました。メンバーとの息もぴったり。



「ピアノ弾きのまうみの前で弾きたくないんだけど」と、うちに来て披露してくれた、その時はまだ未完成だった歌もしっかりと出来上がっていました。



彼らの本番は、わたしのカーネギーの2日後。わたしも頑張るからね、あなたの苦労はわたしのなんかとは桁が違うけど、スポゥド、応援してるからね!


コンサートに来てくれたあさこのお勧めで、3人でブラジル料理店に行きました。



めっちゃくちゃ美味しくて、思わず3人とも食べ過ぎ!最近の週末はこんなのが続いています。危ないなあ……。
 
帰りの道から見えた、名前がはっきりしないけれど、ライトがきれいだった橋です。



さて、明日からは仕事以外はふらふらと出歩くのはやめて、気合いを入れて、コンサートの練習と、生徒達の発表会の曲決めをします。



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立つ鳥あとを濁さず

2010年09月19日 | 家族とわたし
♪ツタのぉ~からまぁ~るチャペェ~ルで、祈りぃ~を捧ぁ~げた日ぃ~♪



などと、気分良く歌っている場合ではないのです!ツタはレンガを浸食するので、また這い上がってこないよう、旦那が必死に引っこ抜いております。



とてもいいお天気です。暑くもなく寒くもない。昨日は全く手伝えなかった旦那とわたし。今日はTと3人で荷物運びをしました。
 


ニュージャージーからクィーンズに行くには、まずマンハッタンに入り、街を西から東に横断して、また橋を渡るかトンネルを走ります。
道が混んでいなければ、うちから45分で行けますが、こんなお天気の良いマンハッタンは曲者。
今日は特に、オバマ大統領がマンハッタン入りしていて、おまけにメキシコの方々のパレードなんかもあって、すごい混み様でした。トホホ。

これが息子Tの、人生初めての自分だけのアパートメント。
周りにはいろんなお店が混み合うにぎやかで活気のある通りがあり、アパートメントが続く静かな通りも、なかなか安全でいい感じです。



中はこんな感じ。窓が大きくて明るい部屋です。わたしの好きなガラスのタイルで仕切られたベッドルームが気に入りました。



窓の向こうはアパートメントの中庭です。部屋は半地下にあるので、地面がちょっと高い所にあります。



バスルームなんて、うちより何倍もきれいだし……。



自分の甲斐性で暮らしを立てていく息子T。武者震いしているのかな?




ところで、Tの引っ越しに際して、またひとつ学びました。
それは、このことわざ。『立つ鳥あとを濁さず』

Tは大学の寮生活が始まってから急に、部屋の掃除に無頓着になり、そりゃもう悲惨な状態でも平気で暮らしておりました。
彼がどこかに引っ越したり移動したりするたびに、わけのわからない残り物やゴミがわんさか!
それを仕方なくわたしが掃除していたのですが、今回はそんなことにならないよう、事前からうるさく言っていたのでした。
「あんたがここに帰ってきた時と同じ状態の部屋にしてから引っ越してや!」と。
そしてその時、自信満々で、50代の威厳を漂わせながら、「ほれ、『立つ鳥あとを汚さず』ってことわざにもあるやろ!」と付け加えたのでした。

「汚さずって……濁さずやし……」
「へ?」
「人に説教してるのに間違うてるし……」
「へ?」

いや、そんなことはない、汚さずやし。いや、絶対に濁さずやし。と言い合いしながら、パソコンで検索すると……、

「濁さずやったし……」

お、おっほん!濁さずでも汚さずでもどっちゃでもよろしい。とにかく意味は一緒やし!

引っ越しの完了は、インターネットが使えるようになる来週の土曜日までおあずけです。
まあ別に焦る必要があるわけでもなし、ぼちぼちやっていったらええやん。と、母のわたしはそれとなく、延期を楽しんでおります。





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うたよ、響きわたれ!

2010年09月19日 | 音楽とわたし
「あのさ、こういう感じよ、ここにバケツがあって、そこにはお水がいっぱい入ってるわけ。それをこんなふうに持ち上げて、バッチャ~ンと遠いところにぶっちゃけるんだけど、その時の体とお水が描く放物線の、先の先を目指すっていうか、留まらないでポーンと飛んでいくんだよね」

「まうみ、例えばこんなふうに山があるわけ(と言いながら、楽譜で山の形を作るあさこ)。んで、まうみの弾く、すご~く幅のある跳躍音の一番高い音は、実はこの山の頂上にはなくて、ああ着いたぁ~なんて気持ち良くドスンと着地したらだめなの。それはあくまでも通過点に過ぎないんだから」

もっと先に、もっと遠くに。

アクセントは強く叩かなくても、流れの中で大切に大切に心を込めて弾いてあげればいい。響きはきっとそれで通じる。

抽象的なことだけではなく、それを実際の音に仕上げていくために、ひとつひとつの音の瞬間を分解して、この音からこの音までこんなふうに弾いてみて、といろいろと試させてくれるあさこ。
すごいスピードで要求されるのだけど、それに乗って、わたしも自我を忘れてイメージの世界に飛び込んでいくと、いい意味で枠が外されていく。

きれいな音を出すにはどうしたらいいか。
お客さまに感動していただくにはどんなふうに弾いたらいいか。

そんなことをごちゃごちゃ考えて練習していたわたしに、ゴツンとゲンコツを食らわせてくれたH師匠とあさこ。
あの日を境に、わたしは自分の心の中をもっと見つめるようになり、楽譜上の音符ではなく、その音符を音にする一瞬の間に、さて自分はどんなふうに歌いたいのかを考えながら、録音の中の自分と問答しながら練習をするようになった。
そしてなによりも、自分の音を本当の意味で『聞く』ようになった。
今までのわたしは、歌ってると思い込んでいるだけで、それは自己満足の世界の中の歌で、自我の外に向けて歌を歌っていなかった。
響きについてもとてもいい加減で、だいたいのイメージしか持ち合わせていなくて、それが実際に、イメージ通りに、響きとして実現できているのかどうか、その確認すらしていなかった。

痛いゲンコツを食らったおかげで『被爆ピアノコンサート』では生まれて初めて、「まうみのピアノの音は少し特別」という感想を、多くの方々に持っていただくことができた。
当のあさこも、「あんなふうにピアノが弾けるのに、どうして伴奏はあんなだろうね、と思ったよ」と、酷かったわたしの演奏を直に聞いた者としての、正直な感想を言ってくれた。

昨日また、音の行方について、すごく学べたような気がする。
すばらしいパートナーに巡り会えて、本当に幸せ!

満開の桜の妖艶な景色の中で、儚い恋を、少し拗ねたようなこともつぶやきながら思い出している女。
自由への束縛と憧れと哀しみをこめて、歌わずにはいられないジプシーかたぎを浪々と歌う男。
母になることの哀しみを、心のひだのすべてを震わせて歌う女。

「いや~歌いやすくなったわまうみ!いいねいいね~!でもさ、同じフレーズがあっても、わたしの真似とかし過ぎなくていいんだよ。お、あんたはそう歌うのか、じゃ、わたしはこういくぜ~、みたいに、好きなように歌っていいんだよ。そうやってお互いに刺激し合いながら演奏しないと面白くないじゃん」

気がつくと、小さなことにくよくよしなくなっていた。
強弱やらタイミングやら、たまに全然従ってなかったり合わなかったりするんだけれど、それがまるで気にならなくて、次に行きたくて仕方がない。
もっともっと、先に先に、遠くに。
そしてあっと言う間に歌が終わっていて、なんともいえない爽快感が体中を駆け巡っている。

さぁ~、今週の金曜日、最終合同リハーサルに向けて、仕上がり度100%を目指して頑張るぞぉ~おぉ~
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両親&息子Tのニューヨークデビュー

2010年09月18日 | 家族とわたし
旦那の両親が、マンハッタンはセントラルパークのすぐ横、ダコタハウスのお隣に引っ越してきた。

といっても、丸々の引っ越しではなくて、セカンドハウスとして。

わたし達がブロックパーティに行っている間も、うちで歌の練習をしていたあさこと一緒に3人で、いざいざマンハッタンへ!



いつ見てもやっぱり雰囲気のあるダコタハウス。



あさこの言うことにゃ、ヨーコ・オノはこの建物の60%を所有していて、彼女がオッケーする人でないと住めないのだそうだ。なんてこった。

で、ほんとのお隣。



玄関口はまるでホテルのよう。



1960年からの、超アンティークなオーブンとガスコンロ。コンロは引き出しになっていて、使う時だけ引っ張り出します。コンロの前にはまな板のような板と、あっつい鍋やフライパンを置けるステンレス板。めちゃくちゃかっこいぃ~!



「もしかしたらこれは新しい物と入れ替えるかも」という母に、「そんときゃ売ってね」とお願いしておきました。

天気もいいし、屋上でワインを飲もうぜ~!と、ワイングラスを各自持ってエレベーターで38階へ。
屋上手前の階段の踊り場に、でっかい注意書きのパネルがあって、ふむふむ、と読んでいると、ワインもグラスも、思いっきり禁止されてしまっておりました。
せっかくなので、景色でも楽しもうと外に出ると、絶景ぃ~!!



ダコタハウスを上から見下ろしたのは初めてです!ヨーコさん、あなたはどこで暮らしているんでしょか?



セントラルパークも全景が見渡せました。



みんな、最後の夏を楽しんでます。




今日は息子Tの引っ越しが始まりました。
まずはこの家の掃除をして、何週間もためにためていた洗濯をして、パッキングをして、向こうに行って軽く掃除をしながら寸法を計る。
 
旦那母は、昨日からマンハッタン入りしていて、部屋の造り置きの棚のペンキ塗りの後始末や掃除をしていました。
父は仕事が忙しくて来られなかったので、母がひとり、ペンシルバニアからマンハッタンまで運転して来たそうです。

わたしは自分の仕事と練習でいっぱいいっぱいで、どちらの引っ越しの手伝いもできませんでした。

息子も母も、いろいろやらなければならなくて大変です。
それで疲れているのだけれど、新しいことは楽しくて、刺激があって、ワクワクドキドキしているのがそばでいるだけでわかります。

2010年9月。両親と息子が、ピッカピカのニューヨーカー1年生になりました。







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米国ブロックパーティ事情

2010年09月18日 | 米国○○事情
この通りに引っ越してきて早1年と3ヶ月。
これまで何回も誘ってもらっていたにも関わらず一度も行ってなかったブロックパーティに、今日は初めて参加しました。

ブロックパーティというのは、通りの一区画の端から端までを道路封鎖して、その通りに住む家族が一同に集まり、それぞれのお得意の料理を一品持参し、他にかかる費用を会費で補い、おしゃべりしたり、子供達に遊びを提供したりしながら、半日一緒に楽しむ会のことです。

旦那とわたしの家からいうと、この通りは、うちを通り過ぎてすぐに突き当たる道です。
うちがある通りに出ると、すでに辺りはバーベキューのいい匂いが漂っています。
突き当たりを左に曲がると、



おぉ~、やってるやってる。シリアルでおなじみのトラ君が、芝生の上に寝っころがっておりました。



ご近所といえど、まだ一度も話をしたことがない人達。ちょっと緊張しながら中に入って行きます。



あ~ようこそ!さあさあ、好きな物をどんどん食べて!
 


今朝はあさこが練習の合わせに来てくれていて、練習やら合わせやらで午前中はバタバタしていたので、簡単にちらし寿司の素を使い、上に枝豆と海老の甘煮と錦糸卵を乗っけて持っていきました。
こちらの人達は、錦糸卵だけ見ても「すごぉ~い!」と盛り上がってくれるので助かります。

ちっちゃな子供がとてもたくさん居て、その中の、少し年上のお兄ちゃんお姉ちゃんは、といっても10才ぐらいなのだけど、一所懸命、ちっちゃな子達の世話をしたり、遊んであげたり、親にとっては束の間の休憩になったようです。




通りは違えど、うちの後ろの庭が、この通りの家4軒の後ろの庭と、フェンス一枚でつながっています。
それぞれの家の人達から、「いつもすてきな音楽をありがとう!」などと言ってもらい、ホッと胸を撫で下ろしました。
夏の間は窓を全開にして弾いていたので、この4軒の家の人達が庭に出て何かをしていたり、パーティなどをしている時には、さぞかし迷惑だろうなあ……と心配しいしい弾いたことが多々あったからです。

ご近所に恵まれたことを感謝しながら、午後からの予定があるので、早めに退散。
家の前で、ポール&ピンキー夫妻の娘さん夫婦とばったり出会いました。
ピンキーが末期癌に冒されていると聞いていたので、「ピンキーの、その後の容態は?」と旦那が聞くと、
「母よりも今父が大変なの。数日前に、心臓の開胸手術を受けたのだけど、術中に容態が悪くなって昏睡状態なの。でも父は前々から、なにかあっても延命処置をしてくれるなって言ってたので、今はただ、できるだけ自然な形にしているの」と話をしてくれました。
あまりのことにショックを受けていると、「でも父は、いい人生を生きたわ。この家に越してきて、わたし達を育て、わたし達の孫と遊んで、充分に楽しい時間を過ごしたと思うの。だから、これも仕方が無いと思えるの」と、静かに哀しみを堪えながら話してくれました。

ポール……ほんの1週間前、わたしが焦ってコンサートの練習をしていた時、あなたは庭に出て、プールの周りをゆっくり歩いていたね。
「僕が庭に出たら、いつでもピアノの練習をしておくれよ」と、いたずらっぽくあなたが言ってくれて、それからは気兼ねなく、練習に精出すことができたのでした。
その日もわたし、ポール、聞こえてる?この曲をいつか、ピンキーとあなたを家に呼んで、あなた方だけのために心を込めて弾くからね。と、心の中で話しかけながら弾いていました。
なのに……わたしったら……ほんとに行動に移すのがノロいんだから……。

ごめんね。でも、もしも、もしもあなたに奇跡が起きて、ピンキーとふたりで聞きにきてもらえたら。

祈ります。あなたのために。そしてあなたの最愛のピンキーのために。




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