ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

我らのんきなViolators(違反者達)!

2010年09月17日 | 家族とわたし
『旦那の場合』

マンハッタンの町中の、謎解きのような、免許取得時の筆記試験問題のような、難解極まりないジョークのような道路標識を読み誤った。
車は牽引され、引き取りにプールまで行き、感激の再会を果たしたが、牽引と保管代をぶったくられ、違反チケットの分は未払いのままだった。


『息子Kの場合』

別に珍しくもない彼の違反。この家一番の安全運転をするくせに、駐車違反が半端ではない。今回はフィラデルフィアからの催促。


『そしてわたし』

H師匠をニューアーク空港まで送る道中、カーナビの指示に従い、それまでに入り込んだことのない町の通りを走っていた。
まだ夜明け前の真っ暗な中、車もほとんど走っていない。黄色だとは知っていたけれど、いつものノリで通り過ぎようとした。
そしたら、さすが夜明け前、黄色の点灯時間が異常に短かった。(←勝手な言い訳ではございません。車の量によって時間が変わるのです!)
まるで、誰かが嬉しそうにクラッカーの紐を引っ張ったような、明るい光が3回、信号を通り過ぎるわずかな時間に炸裂した。
「あ……」とわたし。
「光ったね」と師匠。
その時の、見事なまでの現場証拠写真が送られてきて……85ドルの罰金なり!




その3通の、ありがたい通知書が、今日、同じ日に送られてきて、わたし達は家族揃って立ったまま、自分の名前が記された封筒を開け、深いため息をつきながら、そこに書かれている文章をじっくりと読んだ。
家(塀)の中の懲りない面々とは、まさに我々のような人間のことなのだろう
反省しま~す
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作家な気分?

2010年09月17日 | ひとりごと
気にかかってはいた。
もちろん考えてもいた。
けれども、気が抜けていたばかりか、放っておいた事がてんこ盛り。
それで、ついつい、後回しにしてしまっていた。

原稿だよぉ~!!

中国新聞の記者の方から、『被爆ピアノコンサート』に出演したことについて、きっかけや準備の様子、それから本番を終えての感想などをまとめて、送って欲しいと依頼されていた。

はぁ~い!!

などと威勢良く返事したくせに、終わってもう三日も経ってしまったというのに、作業を始めていなかった。
記事ってのは生もの。そんな、何日も経ってしまってからのことを、誰も読みたくはなかろうに。などとクヨクヨ思いながら……。

今夜、寝る前に、念のためにメールのチェックをした。今夜はたまたまジャンクメールのチェックまでした。
すると、事もあろうに、ジャンクメールの中に記者さんからのメールが紛れ込んでしまっていて、そこにはすごぉ~く控え目に、けれどもきっぱりと、今週中に送っていただけますか、というお願いが書かれていた。

やばい!!あかんでこりゃ!!寝てる場合ちゃうで!!

ということで、今まで頑張って書いていた。

わたしはタラタラと、書きたいように書くのは平気なのだが、文字数の制限があると途端にへなちょこになってしまう。
きちんとまとめなければならないからだ。もともと、記事とはそういうものなんだけど……。
なので、ウンウン唸りながら頑張ってみたのだけど、いかん、どうしてもオーバーしてしまう。
でも、そろそろ頭が限界に近づいていたので、とりあえず送らせてもらった。

S田さん、この三日間、やきもきさせてしまって本当にごめんなさい!
パソコンおんちなもんで、もしかしたらとんでもない送り方してしまっていて、全く読めなかったらどうしよう……などと思いつつ、まぶたがどうにもこうにもくっついてしまうので、ちょっと寝ちゃいます。ごめんなさ~い!
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茗荷うんちく話

2010年09月16日 | ひとりごと
昨夜、さあ寝ようという時に、
「まうみ、くつろいでる場合じゃないよ。カーネギーがもうあと2週間後だよ!」という天の声が聞こえてきました。
ぐゎ~ん信じたくないけれど本当です。あと15日しかありません。しかも、最終リハは来週末……

今朝は久しぶりのピラテスに行き、戻ってきてすぐに、これまた久しぶりの、日本人限定美人?会のお茶会に行ってきました。
うちにあったおかきを持参して行っただけの、ほぼ食い逃げ状態。小1時間だったけれど、美味しいケーキやフルーツをお茶と一緒にいただきました。
メンバーの中に、野菜や果物の栽培にかけては天才のN子さんがいて、今日もこれ、茗荷をいっぱい持ってきてくれました!



あぁ~愛しの茗荷ちゃん!会いたかったよぉ~!
こちらでも、ジャパニーズマーケットに行けば買えないことはないけれど、こういうのが3つ入っているだけで$5もするので手が出ません。
なので、N子さんの茗荷は、1年か2年に1度のありがたい恵みなのです。

「うれしいからって、あんまり食べ過ぎちゃいかんよ。物忘れが今より酷くなったら困るっしょ」と、背中に声をかけられながら家に戻り仕事開始。
でも、『物忘れ』という言葉が妙~に引っかかります。なんせ、これからまたまた舞台ですから。
今度のは、高いチケットを買ってくださった方々が、わたし達の演奏を聞くために、わざわざ足を運んで来てくださるコンサートです。
物忘れなんかしている場合ではありません。


ちょっと調べてみました。

『茗荷(みょうが)は俗に、食べると物忘れがひどくなると言われていますが、栄養学的にそのような成分は含まれていません。
そこで、茗荷を食べて記憶力テストを行ってみました。
脳を調べて見ると、記憶や集中力をつかさどる前頭前野という部分が普段よりも活発に働いていました。
専門家によると、ミョウガに含まれる辛味成分などが、脳に刺激を与えている可能性がある、ということでした』

ふむふむ、いい感じ。

さらに、茗荷の名前の由来を調べてみると、

『釈迦の弟子である周梨槃特(スリバンドク)が、物忘れがひどく、自分の名前を忘れてしまうため、釈迦が首に名札をかけさせたのですが、名札をかけたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前をおぼえることができませんでした。
その後、死んだ周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草がはえていたので、「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、「名」を「荷う」ことから、茗荷という名前がつけられたことによるもの』と書かれてありました。

ちょっと切ないけれど、お釈迦さまのあたたかな思いやりが感じられるいい話ですね。

ということで、これ以上物忘れがひどくならないようなので、今夜はお味噌汁に入れて楽しませてもらおうと思います。ばんざ~い

今日はとても寒くて、朝などは気温が10℃しかありませんでした。

まだまだいっぱい花が咲いてくれているのだけれど、お水をかけるのが可哀想なぐらい冷え込みました。
実際、花はどう思っているのかなあ。ひや~!寒ぅ~!なんて思わないのかなあ。




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アタシの特等席

2010年09月15日 | 家族とわたし
かあちゃんが忙しくなると、いっちばん放っとかれるのはアタシ。



まあ、他の連中もそれなりに放っとかれてるみたいやけどさ……。

昨日はまだ、かあちゃん現実に戻ってなかったみたいで、顔もボケてたけど、今日は朝から、アタシの大っ嫌いなうるさい白い巨大ネズミ(注・掃除機)と一緒にあっちゃこっちゃ動き回ってたり、宇宙船みたいなクルクル回るやつ(洗濯機)の周りでうろうろしてたり、お花にじゃあじゃあ水あげたり……。
あ、そうそう、アタシのおトイレ、三日もお掃除サボってて、それもやっと、今日きれいにしてくれたけどさ。

今も、久しぶりにゆっくり、ちょっとだらしない顔でパソコン遊びしてるかあちゃんの横で、アタシはご令嬢座り。見て見て、この上品なお手々。



かあちゃんがゆったりしてるとアタシもゆったり。寝といたろ。

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みどりの輪

2010年09月15日 | 世界とわたし
青桐の種もいただきました。

小さな袋に、小さな折り鶴とともに、五つの種が入っていました。



タネのまき方や土の種類、それから水やりの方法などが、とてもわかりやすく書かれています。



そこに、まいて2~3年かかって発芽することもあるので、捨ててしまわないように、とも書かれています。
へえ~、2~3年もかかって芽を出すこともあるんだなあと、なんだか不思議な気持ちになりました。
青桐が植えられた土の中にはきっと、わたし達が生きている場所とは違う、ゆったりとした時間が流れているんでしょうね。

これは今回、アメリカでのコンサートということで、英語で書かれた育て方です。



うちから始まる緑の輪。ちょっぴり緊張しています。
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たくされた命

2010年09月14日 | 世界とわたし
総合ディレクターの竹本さんから、アオギリの木の苗をいただきました。

ぜひぜひこのアメリカの地で育て、大きく成長させてほしい。
種を採れたら、この種は、再生への強い希望と平和への祈りがこもっていることをつたえながら、多くの人に配って欲しい。

厳しい検疫を受けて運び込まれてきた苗は3本。



1本はコネチカットの日本人学校に、そしてあとの2本はうちに植えさせていただくことになりました。



2本のうちの1本は、残念なことにほとんど根腐りしてしまっていて、甦ることができるかどうか今の時点ではわかりません。

この苗たちの親木のことを、わたしはあまり詳しく知らなかったので、少し調べてみました。



「原爆投下で、人々は自分のことで精一杯。木々に事などは、まったく気遣うことすらできなかったのです
広島には75年間草木は生えないといわれてました。

ところがその翌年の春に、爆撃を受けて幹が半分になってしまっていた3本のアオギリが、みずみずしい新芽を出しました。

原爆に負けずたくましく生きるアオギリは、当時、原爆の怪我・後遺症で苦しみ、絶望のドン底にいた人々に、大きな生きる希望を与えてくれました。

少しずつ時間が経ち、人々はアオギリがまだ生き続けていることに気づきました。
本来は大きく成長する木なのですが、背丈は延びません。
しかし、生きるアオギリの木を見て、自分達の生きるエネルギーに写しかせねたそうです」


★被爆アオギリの木★

1945(昭和20)年8月6日に広島に原爆(リトルボーイ)が投下され、「広島には75年間草木も生えないだろう」といわれていた。

そんな中、爆心地から約1300mのところにある広島市基町(現:中区東白島町)の広島逓信局(現:日本郵政公社中国支社)の中庭の被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられたアオギリは、翌1946年の春に芽吹いた。

原爆の悲劇にも負けずにたくましく育ったアオギリは、当時絶望の中にいた人々に生きる希望を与え、現在もその傷跡を包むようにして成長を続けている。

その(被爆した)アオギリは、1973(昭和48)年5月に平和記念公園・平和記念資料館東館北側緑地帯へ移植された。
移設されたのは当初3本であったが後に1本は枯れ、現在は2本。


大きく育ってほしいと、心から願っています。
成長の様子を写真に撮って知らせてほしいとおっしゃった竹本さん。
わたしが園芸オンチなのをご存知ではありません……でも……がんばります!
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うたうミサコのピアノ

2010年09月13日 | 音楽とわたし
昨日は被爆ピアノによるニューヨークコンサートの最終日でした。
打ち上げの途中、名残惜しい気持ちを振り切って家に戻り、夜中の2時半までかかって書いた記事が、投稿ボタンを押した途端にどこかに消えてしまい、泣きそうな気持ちで探してみたのだけれど復活せず、かといって書き直すエネルギーも残っておらず……呆然としたまま眠ったのでした。
だから、悔しいので、昨日の時点での現在完了形で書きたいと思います。


今日は『被爆ピアノコンサート IN NEW YORK』の最終日です。
平日の4時に集合、ということで、今回はひとりで電車に乗って向かいました。
マンハッタンと近郊のニュージャージーの町を結ぶ電車は、渋滞の心配をする必要のないありがたい存在なのだけど、渋滞無しの車よりも時間がかかる、まことにゆったりとした走りをモットー?としています。
延々と続く湿地帯と工場の風景。これもニュージャージー州の特徴だと言われています。



住宅街がある所は、まるで山の中のように緑がいっぱい。ガーデンステート(公園の州)と呼ばれる所以です。
が、一方では、様々な臭いが広い範囲で漂う地域も広いので、アームピッツステート(脇の下の州)と呼んでバカにする人もいます。

今日もいい天気。国連ビルが青空に映えて美しい。



今日の演奏会場は、国連ビルの真向かいにある、とても清楚でフレンドリーな、国連チャーチセンターです。



最後の演奏会を前に、調律に余念のない矢川さん。



会の進行をチェックする総合責任者の竹本さん。



もう最後になっちゃいましたね。淋しいですね。このまま続ける、なんて不可能なことだとわかっているけれど、別れたくないですね。

演奏者同士、顔を合わせるとこんなことを言い合いながら、4日間の、心の奥深いところで触れ合えた、長いようで短かった時間を思いを馳せながら、それぞれがそれぞれのベストを尽くし、お客さまにもとても喜んでいただけたと思います。

戦争の愚かさを、音楽の素晴らしさを、すてきな声で語ってくださった飯島さん。
『ミサコの被爆ピアノ』のお話に、自分で作った音楽を添えて、いつか飯島さんと一緒に演じることができたらなあと夢想しています。

スタンディングオベーションをしないわけにはいかない気持ちを、聞いているすべての人に持たせる歌を聞かせてくれた柴田さん。
いろいろな困難を乗り越えてきた柴田さんだからこそ、心のひだのすみずみにまで触れ、揺さぶることができるのですね。
今度また、一緒に演奏させていただける日を、心から楽しみにしています。

ずっと被爆ピアノに寄り添って演奏されてきた向井さん。
被爆ピアノに優しく語りかけるように歌う北村さん。
広島在住の彼女達はこれからも、被爆ピアノと一緒にいろんな所に出向き、平和への祈りを広めるために演奏していかれるのでしょう。

毎日新聞の記者として取材に来られながら、ピアノの演奏まで披露された矢島さん。
また次回は演奏者として参加されることを楽しみにしています。『さくらさくら変奏曲』、すてきでした。

ボストン在住の歌手あゆみちゃん、りさちゃん、ひろみちゃん。
のびやかで優しい、けれども力強い声を聞かせてくれてありがとう。あなた方の心のこもった歌声のひとつひとつを、ピアノも楽しんでいるようでした。

西海岸在住のみさとさん。
キラキラとしたピアノの音がすてきでした。ブラームスのあの曲、ぜひぜひトライしてみてください。

地元で平和のための活動に人生を捧げているディーナ。
『ピース・オン・アース』の歌がまだ頭の中でぐるぐる回っています。
あなたがピアノのお腹に向かって歌った時、その声をピアノが嬉しそうに受け取って、今度はピアノが歌い出しました。素晴らしい瞬間でした。

同じく地元からのラッセル。
『Tower of Light』の歌を聞くたびに、あの日ウエストエンドの通りに立って、灰色の煙にすっぽりと覆われた街を見上げていたわたしを思い出します。

ニューヨーク在住の大江千里さん。
本願寺での大江さんの即興演奏が、即興とは思えないほどに、わたしの心の中にしみ込んでいます。
『ミサコの被爆ピアノ』のお話の中の、原爆が落ちた瞬間が語られていた時に、たった一音、高い音を選ばれた大江さんを気持ちを受け取ったピアノ。その一音に、言葉では言い尽くせない、原爆で命を絶たれた方々の叫びが集約されているように思いました。

そして原田真二さん。
あなたの気さくな、けれどもとことんプロフェッショナルな姿を、短い期間でしたが目の当たりにすることができました。
わたしがつい、軽い気持ちで、原田さんのことを「芸能人だから」と言った時、「僕は芸能人じゃ無い。決して無い!」と、真剣に抗議されてびっくりしたけれど、その言葉の中に、とても大きな意味があると感じました。
原田さんはいつもトリを務めなくてはならないのだけれど、いつだって他の出演者と一緒の所に座って待ち(それが半端な時間ではなくてとても長い!)、待ち疲れてヘトヘトになっているはずなのに、元気一杯で登場し、瞬時にその場をHARADAワールドにしてしまう。そのプロフェッショナル魂を間近に見ることができて幸せでした。


このニューヨーク公演の実現に向けて、多大な協力をしてくださった中垣住職。大阪弁で話せて心がほっこりしました。



住職の著書『マンハッタン坊主 つれづれ日記』、たくさん売れるといいですね。

会場の熱気から離れて街に出ると、空気がとても澄んでいました。
演奏会が始まる直前に大きな雷が鳴り、とてもたくさんの雨が降ったようです。



最後の打ち上げを、コリアン街のレストランでしました。

『ミサコのピアノ』は、当時のままに残されている、とても貴重なピアノなのだと、そこで初めて知りました。
今でも、初めて鍵盤を触った時の感触、押した時のショックが、鮮明にわたしの指先に残っています。

あなたはどんなふうに歌いたいの?

ピアノの方から、あんなふうに、あれほど直接に、尋ねられたことが無かったわたしは、本当に驚いて狼狽えてしまいました。
けれども、耳だけじゃなく、心を澄ませてピアノの言葉を聞いているうち、ピアノはわたしを抱きしめようとしてくれているのだとわかりました。
そうしてひとつになって、わたしの歌をピアノが歌い、ピアノの歌をわたしが歌う。そんなふうに、とても楽しい共同作業ができました。

最後の日、曲の真ん中あたりで突然、もうこれでお別れなのか……と胸がいっぱいになってしまい、歌が途切れてしまいました。
それで、しばらくミスタッチが続いたのだけれど、そんなこと無いよ、また会えるんだから、さあ歌おうと、ピアノに引き戻してもらいました。


このような、本当に素晴らしい企画を作り、それを実行してくださった竹本さん、矢川さん、中垣住職、山中さん、本当にありがとうございました。
そして、その実現のために無償で支えてくださったボランティアの皆さん、重いカメラを担ぎ、長い時間立ち回っておられた撮影隊の皆さん、ニューヨークの関係者の皆さん、そして演奏者達、本当にお疲れさまでした。おかげでとても素晴らしい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

このチャンスをつかむきっかけをくれたブログ友達のみなさん、わたしと一緒にドキドキしながら応援してくれた読者の皆さん、急なお知らせだったにも関わらず、直接会場まで聞きに来てくれた文恵ちゃん、伸子さん、すがこさん、そして中山ファミリー、そしてあさこ、本当に嬉しかったです!ありがとうございました。

そして最後に、こんな機会を見つけても、ピアノが弾けなかったら参加できませんでした。
わたしにピアノをきっちりと学ぶチャンスを与えてくれた両親、うるさい練習を我慢して聞いてくれた弟、出来の悪い生徒のわたしを忍耐でもって教えてくださった先生方、家事やなんやかや全部を放っといて、あれやこれやと試行錯誤しながら練習するうるさいピアノの音を、我慢してくれた家族、特に付き人までやってくれた旦那、

わたしは本当に幸せ者だと思います。心から感謝!
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革靴味のパン

2010年09月13日 | ひとりごと
コンサートが続いている。
今日は最終日。朝早くから、コネチカット州にある日本人学校でコンサートが開かれている。
わたしはその後、国連ビルの教会に移動されたピアノを弾かせていただくことになっている。
最終日の、一番疲れている日に二回公演。ピアノの移動もさることながら、重いカメラを背負って立ち回っている方々の疲労はすごいだろうと思う。
あともう少し!微々たる手伝いではあるけれど、わたしにできることをさせてもらおうと思っている。


さて、ここでちょっと、音楽やコンサートのことではないお話をひとつ。

それは、ある可哀想な黒ごまパンのお話。

一昨日の灯籠流しの日、旦那は、わたしと一緒に電車に乗って、会場のピア40付近の地下鉄駅まで一緒に来てくれたのだけど、それからは別行動だった。
彼は今までずうっとずうっと買い替えたかった靴を買ったり、ウェストヴィレッジの町の散策に出かけて行った。
やっと念願の、足に合う気に入った靴を二足手に入れ、おまけにチャイナタウンで格安のヘアカットも済ませ、なかなかのご機嫌で会場にやってきた旦那。
それからスパニッシュのレストランに行き、すっかり酔っぱらいと化した女をなだめながら、少しでも気を落ち着かせようと入った喫茶店に、その黒ごまパンはあった。

また地下鉄に乗り、折しも、電車より格段に便利なバスは、ストライキに突入していて利用不可能。週末は二時間に一本しかないトホホな電車に乗って家に帰った。
わたしはまだ少し酔いが残っていて、家に着いた頃には頭がちょいと痛み出していた。

昨日の朝、旦那のいれてくれたコーヒーと黒ごまパンを食べるのを楽しみに起きた。
キッチンに入ってパンを探すと……あらへんやん?
イヤな予感がして、玄関を入ってすぐの所にある物置の場所に行くと、そこに昨日旦那が買った靴を入れた紙袋があり、それを見た途端、もっともっとイヤな予感雲がムクムクと胸の中にわき上がってきた。

旦那はいつも、箱やら袋やらの、どうせゴミになるものを嫌うので、靴はきっと生か、薄い紙で包んであるだけだろう。

その通りであった。袋の中の二足の靴は薄っぺらい紙で軽く包まれていて、そのすぐ上に、わたしの愛しの黒ごまパンの入った小さな袋が、居心地悪そうにチョコンと乗っかっていた。

モォ~……と思いつつ、なにせ酔っぱらっていただけにえらそうに文句も言えず(言ったけど……)、袋から出して軽くトーストした。
すると……トースターから、なんだか奇妙な匂いが漂ってきたではないか?なんだ?
まさか……と思った。いや、単にそう思いたかったのだと思う。信じたくなかったんだと思う。
それはまさしく、皮靴の匂いだった。いや、革靴に塗り込められたクリームと革の匂い、と言うべきか。
でも多分、それはきっと、パンの外側だけのことであって、食べたら大丈夫だろう。と思いたかったわたしは、思い切ってひとかじりしてみた。
もぐもぐ、もぐもぐ。

うへぇ~!!
恐るべし革靴!マズ過ぎ!革靴味のパン

またひとつ学んだような気がする。人生はかくもすばらしい失敗と学びと前進の連続なのだ!そうなのだ!これでいいのだ
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被爆ピアノコンサート IN NYC 三日目

2010年09月12日 | 音楽とわたし
たった半日ばかりで、よくもこんなにたくさんの雲が空を覆えることよ……と呆れるくらい曇っています



旦那はなんと、三日連ちゃんで、まるで付き人のように送り迎えをしてくれて、わたしはありがたくてありがたくて、足を向けては眠れません。同じベッドなのだから、足を向けろと言われても無理なんですが……。

昨夜、あのビルの間から、ツインタワーの代わりに青い光が天を指していました。



ニューヨーク本願寺は、ハドソン河沿道に建つ古いビルの中にありました。



ニューヨーク本願寺は1938年に設立されました。
大晦日には除夜の鐘を鳴らしたり、元旦のお参りもできるそうです。
そしてそのビルディングの前に、親鸞聖人の像が安置されています。



この銅像はもともと大阪の実業家広瀬精一氏によって、1937年に建立されました。
1945年(昭和20年)8月6日、世界で初めて原子爆弾が広島に投下された時、この親鸞聖人像は、広島市の北西、爆心地から約2.5キロの三滝聖ケ丘に安置されていました。
広島別院に向かって建てられた聖人像は真正面から原爆の強烈な熱線を受け、正面全体が赤く焼けただれました。
原爆によって銅像の周りの草木が焼け落ち、炎の燃える中にスックと現れた親鸞聖人立像は、当時の広島の人々に希望の光を与えたと聞きました。

雨が今にも降りそうでしたが、ピアノをどうしても親鸞聖人の銅像の前に置き、そこでこのピアノに歌わせたい、という広島からのスタッフの方々の想いを実現しようと、出演者が皆、それぞれに、リハーサルを兼ねて演奏しました。



実はわたし、とってもドジなことをしてしまいまして……昨日の会場に、事もあろうに、ブラームスの本を置き忘れてきてしまい、皆が「そういやあったあった」と言ってくれるのだけど、誰も行方は知らない、ということで……曲目の変更を余儀なくされてしまいました。自業自得ですね。
 
大江千里さんもスナップ撮影。



中垣住職と矢川さんのツーショット。



今日はお昼の2時スタートのコンサートだったこと、コンサート直前まであったお祭りに来ておられた方々がそのまま残って聞いてくださったこともあり、会場は満席。
確固とした音楽のスタイルをコツコツと築いておられる原田さんと大江さんお二人の演奏に大いに盛り上がり、ソプラノ歌手の柴田さんの『千の風になって』やトスカのアリアに涙し、我々ピアノ弾きもそれぞれに頑張りまして、皆さんとても喜んで帰られました。

そしてなんと、今日の司会進行をしてくださったのは、現在ニューヨーク在住の久下アナウンサー(久下香織さん)なのでした!べっぴぃ~ん!
彼女は原田さんの大ファンで、突如会場に現れ、平和の実現のために奔走する彼を手伝おうと、司会をしてくださったのでした。
ちゃんと彼女自身の一番好きな歌を原田さんにリクエストして、彼もきっちりそれに応え、プログラムを変更して歌っておられました。
大江千里さんは、朗読の時のピアノ演奏を即興で。ほんの数時間前に一回合わせただけとは思えない、とても息の合った演奏でした。

さて、今日はオーウェンは欠席。明日からの学校が気になって演奏会どころではありません。
エラは参加してくれたのだけど、演奏会直前になってひっかかり出した所が気になって気になって、今日は少し残念な演奏になってしまいました。
けれど、彼らが、『ミサコのピアノ』を演奏した一番最初のアメリカ人の子供達だということで、ピアノの関係者の皆さんがとても喜んでくださっていることを伝えると、表情がパアッと明るくなりホッと一安心。また頑張ろうね、エラ!

今日は近くのイタリアンへ。
一人分のカラマリがあまりに多かったので、記念にパチリ。



そうだ!昨日、わたしは何十年かぶりに酔っぱらいました!
昨日は朝早くに一回食事をしただけで、夜の9時まで、お水一滴さえもお腹に入れることができなかったのでした。
旦那と合流して、スパニッシュのレストランに行き、とにかく飲み物を、ということで、こともあろうにマルガリータを注文。飲んだ瞬間に「濃っ!!」と思ったのだけど、喉が渇いていたし、お腹も空き切っていたので、ゴクゴクと……。
へへへ~、酔っぱらってきたみたいぃ~と思いながらもさらにゴクゴク。食事が終わってトイレに行こうとしたら、あらら?足もつれてません?
ということで、見た目は普通(by旦那)なのに、通りに出てもデッカイ声で超アホ&ヤバい言葉を英語で連発?!旦那はかなり困ったそうな……。
もちろん、なにを言ったかも、とめる気ゼロだったこともきっちり覚えておりまして、確信犯の酔っぱらいだったのであります。

さて、とうとう雨も本格的に降り始め、



かと思うと止み、そしてじゃじゃ降りに。



忙しくてお水やりもできていなかったわたしは、神様にお礼を言ったのでありました。

明日はとうとう最後のコンサート。国連ビル前の教会が会場です。
日本からやって来て、連日強行のスタッフの皆さんの疲れがピークに達している様子を見ているわたしには、疲れたなんて申し訳なくて言えないのだけど、
けど、内緒でちょこっとだけ……ちょっとしんどくなってきたぞぉ~


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理不尽に奪われたすべての魂よ

2010年09月11日 | 世界とわたし
今日は演奏の予定は無い。
あの日から9年目を迎える9.11のメモリアルセレモニーの一環としての灯籠流しとのコラボコンサートなので、常連の方達とプロの歌手の皆さんでプログラムが組まれているからだ。
でも、そんなことはかまわない。
わたしは今日、あの日、わたしの目の前で、銀色の粉になって、幾十もの鮮やかなオレンジ色の炎の輪の中に、キラキラと輝きながら亡くなった人達の魂のため、思いを込めて祈りに行くのだから。

この日だけは、この青空がとても胸にしみる。あの日、8時頃に見上げた空と同じ青だから。


報道関係者の方々の、撮影時の音量調整のテストのため、演奏をした。


ふと目を上げると、あの日、家に戻る唯一の選択技だったフェリーに乗るため、多くの、ただただ途方に暮れていた人達と一緒に並んだ道から、すっかり崩れ落ちたふたつの背い高ノッポの双子ビルの、最後の叫び声がモクモクと雲のように見えた、まさにその場所だった。


中垣住職が慰霊のために運ばれた御焼香と鐘。


朗読のリハーサルが淡々と行われている。


広島の子供達からのメッセージと折り鶴を紹介する、調律師の矢川さん。


灯籠が到着。


「Why could you do this?」

あの日、どの人も、空を見上げては呪文のようにつぶやいていたこの言葉の中の「you」……いったい誰に向かって言っていたんだろう。


日がずいぶん落ちてきた。


中垣住職の鎮魂の鐘により、セレモニーが始まった。


さまざまな宗教、肌の色、文化が集まり、互いを尊重し認め合おう。そんなメッセージがひしひしと伝わってくる。


すっかり日が暮れて、


いよいよコンサートの始まり。


今日の朗読は英語の詞から始まった。


Amazing Grace(アメイジング・グレイス)を熱唱する原田さん。


ツインタワーがあった所から、恒例の、青い光の塔が天を指す。


灯籠流しが始まった。ニューヨークカヌー協会の方々のご協力により、少しずつ少しずつ、ハドソン河に流されていく灯籠。


あの日、あの時、一瞬にでも、きれいだなあ、なんて思ったりしてごめんなさい。わたしはきっと、一生忘れません。


そして、広島や長崎のように、二度と同じような過ちを犯さない、犯させないために、たとえとても小さなことでも、平和の実現のために行動を起こしたい。
ディレクターの竹本さんが、ご自分の体験談の中でこんなことを話してくれた。
「とても苦しかった時に、ある人がこんなことを僕に言ってくれました。過去は変えられないけれど、未来は変えられる。その言葉を聞いて僕は変わることができたんです」

本当だ。過去はもう、どんなことをしても変えられないけれど、これからの未来は変えられる。わたし達次第で。
それこそが、9年前のこの日だけではく、世界中の、この世から理不尽に消されてしまった命への、強い祈りへと通じやしないだろうか。



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