ざまあみやがれい!
4年後、癌を発症した子供達が、ガイガーカウンターの役目を果たし、ホットスポットが判明する。
今のままだと、確実にこの流れになる。
チェルノブイリの悲劇から、日本は何も学んでいなかった。
あれはよその、己の保身ばかりに執着する、醜い政治家や学者がウジャウジャ居るロシアだからこその出来事だったと思っていた。
隠匿と汚職が蔓延する国だからこその現実だと思っていた。
そんな国に生まれた子供達と、その親は、いくら運命だといっても、気の毒過ぎると思っていた。
平和ボケしていたんだなあ。
ははは、はははは。
そんな自分がバカらしくて笑えてくる。
「ちょうどその時風下にあったベラルーシが、死の灰の70%落ちてしまったんですね。
私(野呂美加氏)たちが救援に入ってるのはこのベラルーシ共和国です。
ベラルーシってのは海も山もない平野の国です。ずっと平地ばっかり続いてる。
でその国で、この黄色が何なのかっていうとですね。
これが全部放射能です。
これ飛び地になって、ホットスポットって言われてるんですけれども。
このホットスポットがあとからあとから見つかってきます。
でこれはどうやって見つかっていくかとですね、子供たちの体調が悪くなってそれで見つかってくんです。
集団で、そのエリアの子供たちが集団で病気を発症して、それでホットスポットが見つかるっていう。
こういう遠くまで誰もマークしませんよね。
全村調査なんて出来ないでしょ?
今の日本の状態も見ればわかりますよね。
子供たちが具合悪くなって発病してわかるんです。
子どもの体を放射能のカウンター替わりにしてるんですよ。
で、この黄色それからですね、オレンジ、紫、紫になるとドンドン放射能が濃くなってくんですけど,
遠くに飛んだ放射能のほうが始末が悪いんです。
こういう所の放射能の粒子のほうが、おんなじストロンチウムでも細かい粒子で、植物にものすごい吸収されて、
子供たちの体内の汚染値は、こっちの遠いこのほうが、すごい蓄積されているってこともあったんですね。
で、逆にこっちの近くに落ちてる粒子ってのは大きくて重くて、そういうことものちのち研究でわかってきました。
ただ、この地図が国民に公開されたのは、事故から3年後です。
いろんな困難があって公開されました。
それまでは、その担当部署の役人の保身のためだけに隠されていたんですね。
失脚したくないとか、事故を小さく見せたいとか、ね、そういう事で国民に発表されませんでした。
だからここの地域の子供達は、ここはゾーンで移住させられましたけど、
あのー強制移住されなかった汚染地帯の人は、何も知らないで汚染されたものをずっと食べ続けていました」
まるで絵に描き写したように、同じ愚行を続ける日本。
この、まさに国難の時に、政権争いに必死になっているあなた方の姿を、わたしは一生忘れない。
4年後、癌を発症した子供達が、ガイガーカウンターの役目を果たし、ホットスポットが判明する。
今のままだと、確実にこの流れになる。
チェルノブイリの悲劇から、日本は何も学んでいなかった。
あれはよその、己の保身ばかりに執着する、醜い政治家や学者がウジャウジャ居るロシアだからこその出来事だったと思っていた。
隠匿と汚職が蔓延する国だからこその現実だと思っていた。
そんな国に生まれた子供達と、その親は、いくら運命だといっても、気の毒過ぎると思っていた。
平和ボケしていたんだなあ。
ははは、はははは。
そんな自分がバカらしくて笑えてくる。
「ちょうどその時風下にあったベラルーシが、死の灰の70%落ちてしまったんですね。
私(野呂美加氏)たちが救援に入ってるのはこのベラルーシ共和国です。
ベラルーシってのは海も山もない平野の国です。ずっと平地ばっかり続いてる。
でその国で、この黄色が何なのかっていうとですね。
これが全部放射能です。
これ飛び地になって、ホットスポットって言われてるんですけれども。
このホットスポットがあとからあとから見つかってきます。
でこれはどうやって見つかっていくかとですね、子供たちの体調が悪くなってそれで見つかってくんです。
集団で、そのエリアの子供たちが集団で病気を発症して、それでホットスポットが見つかるっていう。
こういう遠くまで誰もマークしませんよね。
全村調査なんて出来ないでしょ?
今の日本の状態も見ればわかりますよね。
子供たちが具合悪くなって発病してわかるんです。
子どもの体を放射能のカウンター替わりにしてるんですよ。
で、この黄色それからですね、オレンジ、紫、紫になるとドンドン放射能が濃くなってくんですけど,
遠くに飛んだ放射能のほうが始末が悪いんです。
こういう所の放射能の粒子のほうが、おんなじストロンチウムでも細かい粒子で、植物にものすごい吸収されて、
子供たちの体内の汚染値は、こっちの遠いこのほうが、すごい蓄積されているってこともあったんですね。
で、逆にこっちの近くに落ちてる粒子ってのは大きくて重くて、そういうことものちのち研究でわかってきました。
ただ、この地図が国民に公開されたのは、事故から3年後です。
いろんな困難があって公開されました。
それまでは、その担当部署の役人の保身のためだけに隠されていたんですね。
失脚したくないとか、事故を小さく見せたいとか、ね、そういう事で国民に発表されませんでした。
だからここの地域の子供達は、ここはゾーンで移住させられましたけど、
あのー強制移住されなかった汚染地帯の人は、何も知らないで汚染されたものをずっと食べ続けていました」
まるで絵に描き写したように、同じ愚行を続ける日本。
この、まさに国難の時に、政権争いに必死になっているあなた方の姿を、わたしは一生忘れない。