紹介するのが遅くなりましたが、7/19(日)はMT-03で出撃です。目的地は福崎・加西方面ですが、高速代節約のため西明石から明姫幹線。
加古川を渡り、K43を北上。やがて投松交差点。前日にもこのあたりをウロウロと・・・最近、同じところばかり走っています。(^^)

やがて福崎町に入り、こんな神社に到着。

ここは熊野神社です。家内からのミッションで御朱印です。^^


賽銭を入れてお参り後、御朱印をお願いしようとすると、宮司さんが急いでクルマに乗り込もうとしています。「御朱印をお願いします」と伝えると。大急ぎで約束の場所に向かわないといけないとのこと。
「申し訳ないです。2時間ほどしたら、またお越しください」と言われても、暑い中、またこの神社に戻るのは面倒・・・福崎には来ることが多いので、次回ということにしました。
せっかく来たので、境内をウロウロです。すると会社近くにもある「忠魂碑」がありました。忠魂碑とは、明治維新以降、日清戦争や日露戦争をはじめとする戦争や事変に出征し、戦死した地域出身の兵士の記念のために建てられた記念碑です。(ウィキによる)

裏側を見ると、こんなところ。明治3年11月に建てられ、「御大典記念」、「帝国在郷軍人會 田原村分會建之」という文字が読み取れます。

ここで「御大典」とは、天皇陛下の即位の礼・大嘗祭など、一連の儀式を合わせて御大典(ごたいてん)と呼ばれるそうです。明治3年であれば前述の日清戦争・日露戦争前ですから、この「忠魂碑」は明治天皇即位を記念して建てられたものでしょう。もっとも、その後は日清戦争や日露戦争などで戦死した、郷土の方のために用いられたのかもしれません。
それでは、暑くなった来たので出発しましょうか。続いて到着したのは、加西市の鶉野飛行場跡です。この日は第3日曜日ということで、レプリカ紫電改の公開日でした。10時からの公開ですが、既に格納庫の前には多くの見学者の皆さん。

駐車場・バイク置場は満車で、昨年同様、土の臨時バイク置場にMT-03を停めます。隣には、MT-03を購入する時に候補車種となったVTR-Fです。(Vツインだからスリム!)

ちょうど紫電改を格納庫から出す時でした。動画でどうぞ。
それでは紫電改の画像をどうぞ。詳細については、昨年の「鶉野飛行場のレプリカ紫電改を観察する。」の記事を参照です。





垂直尾翼に、343空の所属部隊数字が入りました。343空とは「第三四三海軍航空隊」のことで、敗戦も濃厚となった1944年に、生き残っていたエース・パイロット(いわゆる撃墜王)を各部隊から集めたオールスター航空隊でした。このため、機材も最新鋭の紫電改を優先して配備したのです。
周りを見渡すと、何故か白バイが・・・安全運転キャンペーンでした。^^

次に向かおうとすると、さらにクルマもバイクも増えていました。この度のレプリカ紫電改は大正解だったと言えるでしょう。

この後、鶉野飛行場から100mほど離れた西側の田んぼの中に置かれた、「96式25mm対空機銃」(映画“男たちの大和”で使われた映画セット)が気になってので見に行くと、ガラスケースに入れられ健在でした。

さらに、何やらズングリと太めの九七式艦上攻撃機ぽい飛行機が置いてあるではないですか。(垂直尾翼の“ツ”は、筑波(練習)航空隊を表す)


この場所は無蓋(上部の覆いが無い)掩体壕があった場所で、

鶉野飛行場から飛び立った特別攻撃隊(白鷺隊。沖縄海上のアメリカ機動部隊に突入し散華)に用いられた、九七式艦上攻撃機の代わりに置かれているようです。
この飛行機は実機で、海上自衛隊からの払い下げです。「T-6 テキサン」と呼ばれる練習機ですが、映画「トラ・トラ・トラ」や「パールハーバー」では、外観を少し変えて零戦や九七式艦上攻撃機として登場しました。

エンジン部分が実物であることを物語っています。

続いて到着したのは、ブロ友のグッチさんからの情報で、鶉野飛行場に隣接した場所にオープンしたカフェです。


されど駐車場は、ほぼ満車。さらに入口が開き店内を見ると、満席ぽい雰囲気。こりゃ諦めましょう。お腹を空いてきたので昼食に向かいます。
到着したのは、毎度の「がいな製麺所」。しかし、11時とは思えない行列。(涙)


暑い中、20分ぐらい並んで、やっと店内に入れました。何故かビリケン像が置かれていました。(ここは通天閣ではございません)

メニューは、好物の「バター釜玉」+「かやくご飯小」なり。やっぱり、ここの「バター釜玉」は超美味しいです。

食後の後は真夏の暑さとなったので、早々にR175で帰宅。R175は熱風の中を走っていました。完全に夏が来ましたね。それでも久しぶりの晴天ということで、大量のツーリング・バイクを見かけたものです。
加古川を渡り、K43を北上。やがて投松交差点。前日にもこのあたりをウロウロと・・・最近、同じところばかり走っています。(^^)

やがて福崎町に入り、こんな神社に到着。

ここは熊野神社です。家内からのミッションで御朱印です。^^


賽銭を入れてお参り後、御朱印をお願いしようとすると、宮司さんが急いでクルマに乗り込もうとしています。「御朱印をお願いします」と伝えると。大急ぎで約束の場所に向かわないといけないとのこと。
「申し訳ないです。2時間ほどしたら、またお越しください」と言われても、暑い中、またこの神社に戻るのは面倒・・・福崎には来ることが多いので、次回ということにしました。
せっかく来たので、境内をウロウロです。すると会社近くにもある「忠魂碑」がありました。忠魂碑とは、明治維新以降、日清戦争や日露戦争をはじめとする戦争や事変に出征し、戦死した地域出身の兵士の記念のために建てられた記念碑です。(ウィキによる)

裏側を見ると、こんなところ。明治3年11月に建てられ、「御大典記念」、「帝国在郷軍人會 田原村分會建之」という文字が読み取れます。

ここで「御大典」とは、天皇陛下の即位の礼・大嘗祭など、一連の儀式を合わせて御大典(ごたいてん)と呼ばれるそうです。明治3年であれば前述の日清戦争・日露戦争前ですから、この「忠魂碑」は明治天皇即位を記念して建てられたものでしょう。もっとも、その後は日清戦争や日露戦争などで戦死した、郷土の方のために用いられたのかもしれません。
それでは、暑くなった来たので出発しましょうか。続いて到着したのは、加西市の鶉野飛行場跡です。この日は第3日曜日ということで、レプリカ紫電改の公開日でした。10時からの公開ですが、既に格納庫の前には多くの見学者の皆さん。

駐車場・バイク置場は満車で、昨年同様、土の臨時バイク置場にMT-03を停めます。隣には、MT-03を購入する時に候補車種となったVTR-Fです。(Vツインだからスリム!)

ちょうど紫電改を格納庫から出す時でした。動画でどうぞ。
それでは紫電改の画像をどうぞ。詳細については、昨年の「鶉野飛行場のレプリカ紫電改を観察する。」の記事を参照です。





垂直尾翼に、343空の所属部隊数字が入りました。343空とは「第三四三海軍航空隊」のことで、敗戦も濃厚となった1944年に、生き残っていたエース・パイロット(いわゆる撃墜王)を各部隊から集めたオールスター航空隊でした。このため、機材も最新鋭の紫電改を優先して配備したのです。
周りを見渡すと、何故か白バイが・・・安全運転キャンペーンでした。^^

次に向かおうとすると、さらにクルマもバイクも増えていました。この度のレプリカ紫電改は大正解だったと言えるでしょう。

この後、鶉野飛行場から100mほど離れた西側の田んぼの中に置かれた、「96式25mm対空機銃」(映画“男たちの大和”で使われた映画セット)が気になってので見に行くと、ガラスケースに入れられ健在でした。

さらに、何やらズングリと太めの九七式艦上攻撃機ぽい飛行機が置いてあるではないですか。(垂直尾翼の“ツ”は、筑波(練習)航空隊を表す)


この場所は無蓋(上部の覆いが無い)掩体壕があった場所で、

鶉野飛行場から飛び立った特別攻撃隊(白鷺隊。沖縄海上のアメリカ機動部隊に突入し散華)に用いられた、九七式艦上攻撃機の代わりに置かれているようです。
この飛行機は実機で、海上自衛隊からの払い下げです。「T-6 テキサン」と呼ばれる練習機ですが、映画「トラ・トラ・トラ」や「パールハーバー」では、外観を少し変えて零戦や九七式艦上攻撃機として登場しました。

エンジン部分が実物であることを物語っています。

続いて到着したのは、ブロ友のグッチさんからの情報で、鶉野飛行場に隣接した場所にオープンしたカフェです。


されど駐車場は、ほぼ満車。さらに入口が開き店内を見ると、満席ぽい雰囲気。こりゃ諦めましょう。お腹を空いてきたので昼食に向かいます。
到着したのは、毎度の「がいな製麺所」。しかし、11時とは思えない行列。(涙)


暑い中、20分ぐらい並んで、やっと店内に入れました。何故かビリケン像が置かれていました。(ここは通天閣ではございません)

メニューは、好物の「バター釜玉」+「かやくご飯小」なり。やっぱり、ここの「バター釜玉」は超美味しいです。

食後の後は真夏の暑さとなったので、早々にR175で帰宅。R175は熱風の中を走っていました。完全に夏が来ましたね。それでも久しぶりの晴天ということで、大量のツーリング・バイクを見かけたものです。