2/18(土)は、家内と新快速に乗ってお出かけ。目的は、神戸で家内の誕生日食事会です。
家内は三ノ宮駅まで行きましたが、私は神戸駅で下車です。
神戸駅には、朝夕の運転本数が多い時だけに使われる1番ホームがあります。この1番ホームですが、新幹線開業(昭和39年)前まで東京発の特急「こだま」で用いられました。まだ戦前の特急である、「燕」「鴎」の停車ホームでもありました。
ちなみに、これが戦前の特急「燕」です。西明石~大久保駅間を回送中の写真ですが、流線型C53形蒸気機関車が牽引する貴重な写真です。
これが1番線乗降口。日中は閉鎖されています。
私の1番線の思い出は、「日立ポンパ号」というイベント列車の見学です。1970~1971年に日立と国鉄がタイアップしたイベント列車ですが、内部は日立(家電)の動く企業ミュージアムでした。「ポンパ」は当時の日立カラーテレビ(キドカラー)のブランド名です。
これが神戸駅に停車する、日立ポンパ号。C11蒸気機関車が牽引していたとは驚きです。全然、憶えていません。(^^)
神戸駅の内部です。神戸駅の駅舎は昭和5年(1930年)に建築された歴史ある駅舎。近代化遺産に指定されています。
現在、神戸の中心駅は三ノ宮でしょうが、戦前は神戸駅が神戸の中心でした。これは外国客船や国内客船が、メリケン波止場で出入航していたのも要因です。
このため、神戸駅には皇室が利用していた貴賓室があったのですが、現在はこちらの「がんこ寿司」の客席の一部として利用されています。
が、しかし・・・なに?閉店???う~ん、残念です。お寿司が食べれないよりも、貴賓室で入れないのが残念です。(涙)
神戸駅の全景です(iPhoneの超広角で撮影)。何か小樽駅や上野駅に近い雰囲気。戦前の主要駅は、こんな駅舎が多いです。
続いて訪れたのは、神戸駅南東に置かれているD51蒸気機関車です。このブログでは2回目の登場です。
このD51-1072号機は戦時型というタイプですが、太平洋戦争末期の物資の無い頃に製造されたため一部は木製でした。このデフレクター(除煙板)も、製造時には木製だったと思います。
戦時型のためか、何か形式・車番のナンバプレートの厚みが薄いような気がします。(気のせいかな?)
この度は、このD51から蒸気機関車の細部を説明しましょう。先ずサスペンションです。見辛いですが、動輪とテンダー車の板バネです。クルマのリーフリジットと同じです。
黄色が動輪ブレーキです。そして青四角のパイプは?
青四角は砂が出るパイプです。雨でレールが濡れていたり牽引車両が多くなると、発進時、よく蒸気機関車の動輪は空転しました。この空転防止のため、摩擦係数を上げるよう砂を出していました。
蒸気機関車の上部にはコブがありますが、ここに砂が入っています。ただ重力で砂を落とすのではなく、蒸気を使ってスプレーのように砂を噴出していました。
またブレーキの作動は、クルマやバイクのように油圧で作動させるのではなく、蒸気でコンプレッサーを動かし圧縮空気で作動させます。この丸い筒がレシーバータンクです。
よく蒸気機関車が発車する前、動輪のあたりから水や水蒸気が出ますが、これは圧縮空気のドレン水を排出しているからです。
これが発電機。運転席の照明やヘッドライト用です。もちろん蒸気でタービンを回して発電します。
これがヘッドライト。70年前に製造された車両ですので、もちろんLEDやハロゲン球ではなく、シールド球です。
レール幅は狭軌(1067mm)ですので、大きく車体が左右にはみ出ています。
このD51ですが、こんなプレートのとおり神戸駅前に展示されています。
しかし調べてみると、D51-1072号機は製造後から廃車まで北海道だけを走っており、神戸駅というか山陽・東海道本線は一度も走っていません。えっ?という感じですが、ちょうど展示するのに最適だったため、北海道から運ばれたのでしょう。
これは駅前の蒸気機関車で有名な、新橋駅前のC11蒸気機関車も同じ。
このC11-292号機は、製造されてから廃車となるまで姫路機関区に所属し、播但線や姫新線を走っていました。つまり私の故郷である播州地方を走っていた蒸気機関車です。一度も東京方面を走ったことはございません。姫路に帰してください。^^
何か家内とのお出かけが「鉄道」カテゴリーとなりましたが、次回は元町商店街の紹介と、家内との食事会を紹介します。
家内は三ノ宮駅まで行きましたが、私は神戸駅で下車です。
神戸駅には、朝夕の運転本数が多い時だけに使われる1番ホームがあります。この1番ホームですが、新幹線開業(昭和39年)前まで東京発の特急「こだま」で用いられました。まだ戦前の特急である、「燕」「鴎」の停車ホームでもありました。
ちなみに、これが戦前の特急「燕」です。西明石~大久保駅間を回送中の写真ですが、流線型C53形蒸気機関車が牽引する貴重な写真です。
これが1番線乗降口。日中は閉鎖されています。
私の1番線の思い出は、「日立ポンパ号」というイベント列車の見学です。1970~1971年に日立と国鉄がタイアップしたイベント列車ですが、内部は日立(家電)の動く企業ミュージアムでした。「ポンパ」は当時の日立カラーテレビ(キドカラー)のブランド名です。
これが神戸駅に停車する、日立ポンパ号。C11蒸気機関車が牽引していたとは驚きです。全然、憶えていません。(^^)
神戸駅の内部です。神戸駅の駅舎は昭和5年(1930年)に建築された歴史ある駅舎。近代化遺産に指定されています。
現在、神戸の中心駅は三ノ宮でしょうが、戦前は神戸駅が神戸の中心でした。これは外国客船や国内客船が、メリケン波止場で出入航していたのも要因です。
このため、神戸駅には皇室が利用していた貴賓室があったのですが、現在はこちらの「がんこ寿司」の客席の一部として利用されています。
が、しかし・・・なに?閉店???う~ん、残念です。お寿司が食べれないよりも、貴賓室で入れないのが残念です。(涙)
神戸駅の全景です(iPhoneの超広角で撮影)。何か小樽駅や上野駅に近い雰囲気。戦前の主要駅は、こんな駅舎が多いです。
続いて訪れたのは、神戸駅南東に置かれているD51蒸気機関車です。このブログでは2回目の登場です。
このD51-1072号機は戦時型というタイプですが、太平洋戦争末期の物資の無い頃に製造されたため一部は木製でした。このデフレクター(除煙板)も、製造時には木製だったと思います。
戦時型のためか、何か形式・車番のナンバプレートの厚みが薄いような気がします。(気のせいかな?)
この度は、このD51から蒸気機関車の細部を説明しましょう。先ずサスペンションです。見辛いですが、動輪とテンダー車の板バネです。クルマのリーフリジットと同じです。
黄色が動輪ブレーキです。そして青四角のパイプは?
青四角は砂が出るパイプです。雨でレールが濡れていたり牽引車両が多くなると、発進時、よく蒸気機関車の動輪は空転しました。この空転防止のため、摩擦係数を上げるよう砂を出していました。
蒸気機関車の上部にはコブがありますが、ここに砂が入っています。ただ重力で砂を落とすのではなく、蒸気を使ってスプレーのように砂を噴出していました。
またブレーキの作動は、クルマやバイクのように油圧で作動させるのではなく、蒸気でコンプレッサーを動かし圧縮空気で作動させます。この丸い筒がレシーバータンクです。
よく蒸気機関車が発車する前、動輪のあたりから水や水蒸気が出ますが、これは圧縮空気のドレン水を排出しているからです。
これが発電機。運転席の照明やヘッドライト用です。もちろん蒸気でタービンを回して発電します。
これがヘッドライト。70年前に製造された車両ですので、もちろんLEDやハロゲン球ではなく、シールド球です。
レール幅は狭軌(1067mm)ですので、大きく車体が左右にはみ出ています。
このD51ですが、こんなプレートのとおり神戸駅前に展示されています。
しかし調べてみると、D51-1072号機は製造後から廃車まで北海道だけを走っており、神戸駅というか山陽・東海道本線は一度も走っていません。えっ?という感じですが、ちょうど展示するのに最適だったため、北海道から運ばれたのでしょう。
これは駅前の蒸気機関車で有名な、新橋駅前のC11蒸気機関車も同じ。
このC11-292号機は、製造されてから廃車となるまで姫路機関区に所属し、播但線や姫新線を走っていました。つまり私の故郷である播州地方を走っていた蒸気機関車です。一度も東京方面を走ったことはございません。姫路に帰してください。^^
何か家内とのお出かけが「鉄道」カテゴリーとなりましたが、次回は元町商店街の紹介と、家内との食事会を紹介します。