昨日は夏休みを取って、先ずはVINO(ビーノ)を駅前のバイク置場に停めます。
XJR400が停まっていました。マジェスティ(4D9)を買うときに迷ったバイク。空冷4気筒・4連キャブ。今所有していれば、超高価買取のバイクです。こんなバイクが復活して欲しいものです。
続いて到着したのはJR明石駅。ADV150で目的地に行こうと思ったのですが、あまりの暑さと夕立が気になるのでJRです。
時間的には8時頃でしたので、通勤のピークは過ぎていたものの、それでもホームは上下線とも通勤客で一杯。
当然、座れることもなく三ノ宮駅に到着。
続いて「さんちか」ですが、こちらも通勤の皆さんで一杯。右側を歩いている方の大部分は、神戸市役所の職員さんです。(^^)
目的地に到着。神戸国際会館です。もう何年も前に映画に来て以来です。
今回の目的も、11階の映画館(kino cinéma神戸国際)です。
映画は9時半からですが、エレベーターの11階のボタンを押しても点灯しません。これは開館時間を制限しているからです。それでも30分前になれば行けるだろうと思いきや、30分前でも反応せず。(涙)
同じように映画に来ていた若い方や有馬からのご夫婦と、「遅いな~」とか「開館時間を表示していない」と不満続出!(怒)
止む無く私は国際会館の周りを散策ですが、目の前には、神戸市役所がそびえ建ちます。
さらに、こんな飲食店ビル。
ん?ニューミュンヘンがあるのではないですか。こちらの唐揚げは絶品。
こちらは「西村屋」です。城崎温泉の老舗旅館である「西村屋」の飲食店です。そんなところで、冬場のカニ料理がお勧め。
9:10になって戻ると、大体、30人ぐらいの方が映画館へのエレベーター待ち。こりゃダメだろ!ということで、電話をしても上映案内の音声メッセージが流れるだけ。(再怒)
他にも電話された方がおられ、その方も「一体、どうなっているんや」と怒り心頭!
結局、上映15分前にやっとエレベーターが動き出し、11階に到着すると、チケット購入する方の行列!私はギリ上映時間に間に合いましたが、私より後の方(約20人)は間に合わなかったと思います。
あまり文句は言いたくありませんが、この映画館はあまりに不親切。こちらの映画館は、以前に来た時も接客態度に問題があり怒ったのですが、今回も同じようなところ。正直、「もう来ることは無い」と心に誓いました。(再々怒)
で、観る映画は「島守の塔」です。こちらの映画館での上映は昨日のみ。そして今日の元町映画館で、神戸での上映は終わります。そんなこともあり、朝から多くのお客さんが集まったものです。
この映画は、5月ぐらいから地元新聞で何度も紹介されました。
この映画の主人公は、太平洋戦争末期、沖縄戦時の沖縄県知事である島田叡さん。神戸市須磨区出身で、旧第三高等学校(現在の兵庫高校)を卒業後、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部へ入学し卒業。内務省を経て沖縄県知事となりました。
沖縄に米軍が上陸するのは必至の状況の中、島田叡さんは沖縄県知事を引き受け、沖縄戦の前から県民の安全確保と食料確保に奔走しましたが、沖縄戦が始まると県民の命を守ることと、日本軍守備隊である第32軍からの住民への命令が相反することから、心労を重ねることとなります。そして沖縄戦の終了間際に行方不明となりました。
前置きが長くなりましたが、映画「島守の塔」の予告編をどうぞ。
映画を観終わった私の感想ですが、残念ながら映画としては「★★☆☆☆」としましょう。先ず沖縄戦の状況を理解していないと、この映画のストーリー展開は難しいでしょう。なぜ首里攻防を諦め、司令部が南部に移動したか?その結果、さらに多くの県民を巻き込む戦いとなったか?です。
このあたりは、同じ沖縄戦を描いた映画「激動の昭和史 沖縄決戦」を先に観られた方がいいでしょう。ただ子供が観るには、あまりに悲惨な場面が多いです。
沖縄戦は、サイパンの戦い同様、住民を巻き込む戦いとなりました。沖縄県民がどのような状況であったかは、沖縄戦も終わりに近づく6/6に発信した、海軍陸戦隊大田実海軍少将の電文で分かります。少々長いですがお読みください。
海軍次官宛の電報(現代訳:ウィキより引用)
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。沖縄県民はこのように戦い抜いた。県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。
映画を観終わると、三ノ宮駅内の御座候と551の肉団子を買って、
ささっと三ノ宮を離れ明石に帰着。三ノ宮駅周辺には喫煙所が無いので、先ずは明石駅前の喫煙所。^^
続いて、ピオレ内の「すし道場」で昼食。
こちらのサービスランチがお目当て。(^^)
他にも、こんなランチメニューがあります。
お酒のメニュー。冷酒を飲みたいところですが、バイクですので我慢。明石の地酒である「来楽」がお勧め。
この刺身やお寿司に使う「たまり」は、東京方面では見かけないですね。東京の居酒屋で刺盛を注文して、普通の醤油で食すのはあまりに味気ない。(涙)
東京方面の方から「濃口醤油ですか?」と聞かれるかもしれませんが、濃口醤油ではございません。別に濃口醤油は置かれています。(冷奴用かな?)
サービスランチ(上盛合せ)が出てきました。こちらのお寿司屋さんですが、握りよりも穴胡巻が美味しいです。
この後は雨雲が迫ってきたので、ダッシュで帰宅。何とか雨に当たらず済みました。とりあえず有意義な夏休みを過ごせました。
8月になると終戦の日ということで、先の太平洋戦争関係のTV番組が増えます。終戦から77年。ミリタリーの飛行機や戦車が好きな私から語るのは僭越ですが、戦争とはいかに悲惨なことであることを、あらためて太平洋戦争から学ぶ必要があると思います。
XJR400が停まっていました。マジェスティ(4D9)を買うときに迷ったバイク。空冷4気筒・4連キャブ。今所有していれば、超高価買取のバイクです。こんなバイクが復活して欲しいものです。
続いて到着したのはJR明石駅。ADV150で目的地に行こうと思ったのですが、あまりの暑さと夕立が気になるのでJRです。
時間的には8時頃でしたので、通勤のピークは過ぎていたものの、それでもホームは上下線とも通勤客で一杯。
当然、座れることもなく三ノ宮駅に到着。
続いて「さんちか」ですが、こちらも通勤の皆さんで一杯。右側を歩いている方の大部分は、神戸市役所の職員さんです。(^^)
目的地に到着。神戸国際会館です。もう何年も前に映画に来て以来です。
今回の目的も、11階の映画館(kino cinéma神戸国際)です。
映画は9時半からですが、エレベーターの11階のボタンを押しても点灯しません。これは開館時間を制限しているからです。それでも30分前になれば行けるだろうと思いきや、30分前でも反応せず。(涙)
同じように映画に来ていた若い方や有馬からのご夫婦と、「遅いな~」とか「開館時間を表示していない」と不満続出!(怒)
止む無く私は国際会館の周りを散策ですが、目の前には、神戸市役所がそびえ建ちます。
さらに、こんな飲食店ビル。
ん?ニューミュンヘンがあるのではないですか。こちらの唐揚げは絶品。
こちらは「西村屋」です。城崎温泉の老舗旅館である「西村屋」の飲食店です。そんなところで、冬場のカニ料理がお勧め。
9:10になって戻ると、大体、30人ぐらいの方が映画館へのエレベーター待ち。こりゃダメだろ!ということで、電話をしても上映案内の音声メッセージが流れるだけ。(再怒)
他にも電話された方がおられ、その方も「一体、どうなっているんや」と怒り心頭!
結局、上映15分前にやっとエレベーターが動き出し、11階に到着すると、チケット購入する方の行列!私はギリ上映時間に間に合いましたが、私より後の方(約20人)は間に合わなかったと思います。
あまり文句は言いたくありませんが、この映画館はあまりに不親切。こちらの映画館は、以前に来た時も接客態度に問題があり怒ったのですが、今回も同じようなところ。正直、「もう来ることは無い」と心に誓いました。(再々怒)
で、観る映画は「島守の塔」です。こちらの映画館での上映は昨日のみ。そして今日の元町映画館で、神戸での上映は終わります。そんなこともあり、朝から多くのお客さんが集まったものです。
この映画は、5月ぐらいから地元新聞で何度も紹介されました。
この映画の主人公は、太平洋戦争末期、沖縄戦時の沖縄県知事である島田叡さん。神戸市須磨区出身で、旧第三高等学校(現在の兵庫高校)を卒業後、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部へ入学し卒業。内務省を経て沖縄県知事となりました。
沖縄に米軍が上陸するのは必至の状況の中、島田叡さんは沖縄県知事を引き受け、沖縄戦の前から県民の安全確保と食料確保に奔走しましたが、沖縄戦が始まると県民の命を守ることと、日本軍守備隊である第32軍からの住民への命令が相反することから、心労を重ねることとなります。そして沖縄戦の終了間際に行方不明となりました。
前置きが長くなりましたが、映画「島守の塔」の予告編をどうぞ。
映画を観終わった私の感想ですが、残念ながら映画としては「★★☆☆☆」としましょう。先ず沖縄戦の状況を理解していないと、この映画のストーリー展開は難しいでしょう。なぜ首里攻防を諦め、司令部が南部に移動したか?その結果、さらに多くの県民を巻き込む戦いとなったか?です。
このあたりは、同じ沖縄戦を描いた映画「激動の昭和史 沖縄決戦」を先に観られた方がいいでしょう。ただ子供が観るには、あまりに悲惨な場面が多いです。
沖縄戦は、サイパンの戦い同様、住民を巻き込む戦いとなりました。沖縄県民がどのような状況であったかは、沖縄戦も終わりに近づく6/6に発信した、海軍陸戦隊大田実海軍少将の電文で分かります。少々長いですがお読みください。
海軍次官宛の電報(現代訳:ウィキより引用)
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。沖縄県民はこのように戦い抜いた。県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。
映画を観終わると、三ノ宮駅内の御座候と551の肉団子を買って、
ささっと三ノ宮を離れ明石に帰着。三ノ宮駅周辺には喫煙所が無いので、先ずは明石駅前の喫煙所。^^
続いて、ピオレ内の「すし道場」で昼食。
こちらのサービスランチがお目当て。(^^)
他にも、こんなランチメニューがあります。
お酒のメニュー。冷酒を飲みたいところですが、バイクですので我慢。明石の地酒である「来楽」がお勧め。
この刺身やお寿司に使う「たまり」は、東京方面では見かけないですね。東京の居酒屋で刺盛を注文して、普通の醤油で食すのはあまりに味気ない。(涙)
東京方面の方から「濃口醤油ですか?」と聞かれるかもしれませんが、濃口醤油ではございません。別に濃口醤油は置かれています。(冷奴用かな?)
サービスランチ(上盛合せ)が出てきました。こちらのお寿司屋さんですが、握りよりも穴胡巻が美味しいです。
この後は雨雲が迫ってきたので、ダッシュで帰宅。何とか雨に当たらず済みました。とりあえず有意義な夏休みを過ごせました。
8月になると終戦の日ということで、先の太平洋戦争関係のTV番組が増えます。終戦から77年。ミリタリーの飛行機や戦車が好きな私から語るのは僭越ですが、戦争とはいかに悲惨なことであることを、あらためて太平洋戦争から学ぶ必要があると思います。
サービスランチ(上盛合せ)はコスパ大ですね・・・他の定食も美味そうです~・・・(^^)
戦争に関するTVや映画は、我が家ではあまり見ないことにしてます・・・非常につらい気持ちになるので・・・m(_ _)m
すし道場に限らず、居酒屋のサービスランチは、どこもコスパ高し。ちなみに、こちらのお寿司はギュッと御飯が固めていますので、結構、お腹一杯になります。(^^)
戦争関連のTVや映画を観ないのは、それもまた正解です。何せ命の奪い合いです。私がホラー系を観ないのと同じかな?です。^^
映画館は困ったものです。
なぜここに行かれたのかと思いますが、件の映画はここでしかやってなかっのかな?
XJRはカラーリングがかつてのXJのイメージですね。
たしかに4st400マルチのバイクは、今や貴重品です。
でも時々の状況をちゃんと情報提供してくれないとイライラですよねぇ~
兵庫県出身の島田知事・・・チトマニアックな作品なので、行政の息のかかった国際会館限定の上映だったのでしょうねぇ~
映画館は記事のとおり、この映画館と翌日の元町映画館の2か所だけで、二日間限定上映でした。元町映画館は小さな映画館ですので、選択の余地はありませんでした。(涙)
XJRの最終型は青と黒の二色のみ。画像のXJRは中期のタイプですね。かってのXJは良かったな~。この頃の4メーカーは、全て400・4気筒がありました。
カメラ設置とまでは言いませんが、開館前に状況確認は必要だったと思います。せめて上映30分前に開館していれば、これだけの不満の声は無かったでしょう。
沖縄戦での島田知事のことは存じていましたが、まさか神戸出身とは・・・ん?国際会館は行政と関係あり?そういえば息子の大学の卒業式は、こちらでした。^^
並んでて上映に間に合わないとかあり得ませんよね。
以前にも怒ったようですがもっと皆んなで声をあげていかないと伝わらないでしょうね。。。
というか改善する気もないのでしょうか。
しかし最後は美味しそうなランチ。
お酒は残念でしたがこれで日本酒飲みたいですね(笑)
チケットを買う時に、「遅いやないか」と言われている方もいました。皆さん、怒りまくりです。^^
お寿司には日本酒ですね。二店ほど隣に「菊水ピオレ店」がありますが、こちらの方はもっと美味しそう(^^)。但し、お寿司だけでも3千円以上の出費となります。