二日目となりました。この日の目的地は、能登の千里浜海岸と学生時代の下宿跡です。レンタカーで行こうとも思いましたが、費用的にはやはり電車の方が安価。そんなところで、金沢駅から能登半島を走る七尾線に乗車です。
能登半島地震もありましたが、七尾線には豪華な食事も楽しめる「花嫁のれん」も運行されているようです。
電車がホームに到着。主に北陸方面を走る521系。京阪神では見かけない車両。
それでも座席は、223・225系新快速と同じクロスシート。このあたりは、JR西日本の共通仕様。^^
七尾線と北陸線の分岐である津幡駅までは混んでいましたが、津幡駅を過ぎると一気にガラ空き(^^)。金沢駅から1時間ぐらいで羽咋駅に到着。
羽咋駅を撮り、
駅前にはUFOの電飾。羽咋市は「UFOのまち」で町おこし。「宇宙科学博物館 コスモアイル羽咋」なんて、宇宙服やロケットの模型を展示した科学館があります。
それでは千里浜に向かいましょう・・・ですが、歩くと25分かかりそう。寒くて雨もパラついていましたので、駅前からタクシーに乗車。
運転手さんから「冬場の千里浜(なぎさドライブウェイ)は走れませんが、いいですか?」と念を押され出発。何度も自身のクルマやバイクで走った千里浜。写真を撮るだけで十分です。
能登半島地震では津波が来なかった羽咋市ですが、それでも市内の多くの場所で液状化となり土砂が噴出したそうです。そんな話を運転手さんから聞きながら、千里浜レストハウスの駐車場に到着。冬場で観光客が少ないですが、サンドアートが置かれていました。
駐車場から望む日本海。寒々と寂しいですが、荒々しい海に感動。
駐車場から海岸まで行って撮影。私以外誰もいない、一人だけの孤独な世界。
それでも、ウミネコが一羽いました。私を迎えに来てくれたのかな?
動画でもどうぞ。豪快な波の音を聞きながら、いつまでも眺めていたかったですが、怖さも感じる日本海でした。
千里浜は、年々、波で砂が流され幅が狭くなっています。要因はいろいろあるのですが、何にしても10年も経てば、クルマやバイクで走れなくなるかもしれません。
羽咋駅に戻り、金沢への電車待ち。時間があるので、駅舎内の撮影。現在の千里浜の幅は、大体半分ぐらいになっています。
乗車時間が近付いたのでホームへ。ホームにも「UFOのまち」らしくUFOと宇宙人。^^
ここが、かって北陸鉄道・能登線の羽咋駅があった場所。1972年に廃線となりました。
三明駅までの約25km区間でしたが、線路跡は「羽咋県民自転車道」として使われています。三明駅跡については、7年前に家族で行った「家族旅行で、能登・金沢です。(その1:千里浜~能登金剛巌門~三明駅跡)」を参照です。
金沢駅行の電車が到着です。金沢から千里浜まで、結局、往復電車代+タクシー代で3千円少々使いましたが、それでも来た価値がありました。この度の旅行で一番良かったところです。
金沢駅に到着し、昼食のために駅構内の「金沢百番街」(明石駅でのピオレ)に向かおうとすると、C58蒸気機関車の動輪。旅客用蒸気機関車の動輪の直径は1,750mmが多いのですが、C58は1,520mm。これは特急のように速度を求められない普通列車と、貨物列車も牽引できるように設計されたためです。ある意味、万能蒸気機関車。
昼食は、前日に下調べした「8番らーめん」。地元のラーメン店です。
メニューとオーダーは、テーブルに置かれたタブレット。
こいつにしましょう。(バター入りが好き)
しばらくすると、ガストで見かける配膳ロボットが近付き「どうぞ」です。^^
ナルトの「8」が、「8番らーめん」らしいところ。
麺は太めの縮め麺。スープは、豚骨+ちゃんぽんに近いところ。あっさり目で、野菜の旨味を感じます。
パクパクと食べ終わり、再び改札を通り次に向かうは「IRいしかわ鉄道」です。この「IRいしかわ鉄道」とは、北陸新幹線開業と共に在来線は地元の第3セクターに移行した私鉄路線。
日本ではどこもそうですが、地方新幹線が開業すると在来線運営は地元に移行。JRにとっては赤字路線が切り離せて「やれやれ」でしょうが、地域の足を残さなければいけない地元自治体他は大変。もっともJRにとっても、新幹線運行が必ずしも黒字とならないので、こちらも大変。
結局、喜んでいるのは観光関連と、採算を無視して「我が街にも新幹線を!」と強引に計画を進め、新幹線が開業すると「私の実績だ」と誇らしげな政治家達です。(怒)
そんなことを思いながらホームで待っていると、停車している電車と駅名標の「IRいしかわ鉄道」のロゴが目に入ります。
電車が来ました。
カラーリングこそJR西日本とは違いますが、同じ521系。元JRの車両ですが、順次、整備なども含め「IRいしかわ鉄道」に移管されているそうです。ちなみに金沢駅の改札を通ることから、ICOCAやSuicaなどの交通系ICカードも使用可能。
次の西金沢駅で下車し、隣接する北陸鉄道・新西金沢駅へ。北陸鉄道は、バス路線も運営する石川県の老舗交通会社。ちなみに無人駅です。(学生時代は有人駅)
ホームは、島式1面2線。
電車が到着して乗車。
15分ぐらいで、目的地の最寄り駅で下車。北陸鉄道はバスも含め、ICOCAやSuicaなどの交通系ICカードは使えません。
金沢市より交通系ICカードの導入を北陸鉄道に要望したそうですが、「前向きに検討」という回答にとどまる状況。システムの導入費用やJRへの手数料支払いが、経営を圧迫するとのことです。一部のバスに「ICa」(アイカ)という独自のICカードを導入していますが、厳しい地方鉄道会社の実情が感じられます。
で、目的地の駅とは、学生時代の下宿最寄り駅である乙丸駅。
とてもシンプルな駅舎。
駅前のクリーニング屋さんは健在。
駅を出ると、遠くに学生時代に行っていた散髪屋さんが見えます。
踏切内から撮影。右側に並んでいる住宅街の一軒が、私が下宿していた住宅。
川沿いの道を進み、
左に曲がると、突き当りは北陸鉄道の線路敷。学生時代のバイクツーリング帰り道でしたが、「やっと下宿まで帰ってきた」と思いながら走ったものです。
線路敷沿いに進むと、右側に並ぶ住宅の中の一軒が、私が下宿していた住宅。
反対側から。もう既に建て替わり、私が下宿していたお家は無くなっています。7年前にジュークで通った時、隣のお家は学生時代のままでしたが、そちらも建て替わっていました。
親からの仕送りを受け取っていた銀行(加州相互銀行)は美容院となり、
同じ下宿仲間とよく行った、マンション1階の喫茶店や寿司屋は無くなっていました。
駅の方に戻りますが、定食屋さんは個人宅となり。
中華料理店はスポーツ用品店へ。
タバコ屋さんの場所は、更地になるという変貌ぶり。
もう40年以上前のことですから仕方ないでしょう。それでも街の雰囲気というか空気感は、学生時代のまま。とても懐かしく、まるで帰郷したようなところ。しばらく、街並みを眺めたかったです。
駅に戻ると、すぐに電車が来ました。私鉄車両には詳しくありませんが、経営が厳しい北陸鉄道。多分、関東や関西方面を走っていた中古車両でしょう。
往路と逆コースで金沢駅に戻り、北陸鉄道の金沢駅で、自分へのお土産として乙丸駅のキーホルダーを購入。
また、この日が金沢で動ける最後の日でしたので、家内への土産を物色。もちろんWESTERポイントを貯めるため、駅構内でのお買物。^^
さて、夕食はどうしましょうか。昨日、海鮮丼を食したし、明日は富山で富山湾寿司の予定。さすがに二日続けてのガストは遠慮したいところ。(^^)
そんなところで目に付いたのが、豪華な駅弁。超豪華な駅弁は売切れでしたので、こちらをチョイス。「立山」は、翌日に行く富山の地酒。
芝寿司という、金沢の老舗押し寿司店の駅弁。
こんな感じです、「おしながき」もどうぞ。
この日も、よく歩きました。
最後の三日目は、北陸新幹線を乗り継ぎ、黒部・宇奈月温泉と富山駅に行ったのですが、「その4」で紹介します。
能登半島地震もありましたが、七尾線には豪華な食事も楽しめる「花嫁のれん」も運行されているようです。
電車がホームに到着。主に北陸方面を走る521系。京阪神では見かけない車両。
それでも座席は、223・225系新快速と同じクロスシート。このあたりは、JR西日本の共通仕様。^^
七尾線と北陸線の分岐である津幡駅までは混んでいましたが、津幡駅を過ぎると一気にガラ空き(^^)。金沢駅から1時間ぐらいで羽咋駅に到着。
羽咋駅を撮り、
駅前にはUFOの電飾。羽咋市は「UFOのまち」で町おこし。「宇宙科学博物館 コスモアイル羽咋」なんて、宇宙服やロケットの模型を展示した科学館があります。
それでは千里浜に向かいましょう・・・ですが、歩くと25分かかりそう。寒くて雨もパラついていましたので、駅前からタクシーに乗車。
運転手さんから「冬場の千里浜(なぎさドライブウェイ)は走れませんが、いいですか?」と念を押され出発。何度も自身のクルマやバイクで走った千里浜。写真を撮るだけで十分です。
能登半島地震では津波が来なかった羽咋市ですが、それでも市内の多くの場所で液状化となり土砂が噴出したそうです。そんな話を運転手さんから聞きながら、千里浜レストハウスの駐車場に到着。冬場で観光客が少ないですが、サンドアートが置かれていました。
駐車場から望む日本海。寒々と寂しいですが、荒々しい海に感動。
駐車場から海岸まで行って撮影。私以外誰もいない、一人だけの孤独な世界。
それでも、ウミネコが一羽いました。私を迎えに来てくれたのかな?
動画でもどうぞ。豪快な波の音を聞きながら、いつまでも眺めていたかったですが、怖さも感じる日本海でした。
千里浜は、年々、波で砂が流され幅が狭くなっています。要因はいろいろあるのですが、何にしても10年も経てば、クルマやバイクで走れなくなるかもしれません。
羽咋駅に戻り、金沢への電車待ち。時間があるので、駅舎内の撮影。現在の千里浜の幅は、大体半分ぐらいになっています。
乗車時間が近付いたのでホームへ。ホームにも「UFOのまち」らしくUFOと宇宙人。^^
ここが、かって北陸鉄道・能登線の羽咋駅があった場所。1972年に廃線となりました。
三明駅までの約25km区間でしたが、線路跡は「羽咋県民自転車道」として使われています。三明駅跡については、7年前に家族で行った「家族旅行で、能登・金沢です。(その1:千里浜~能登金剛巌門~三明駅跡)」を参照です。
金沢駅行の電車が到着です。金沢から千里浜まで、結局、往復電車代+タクシー代で3千円少々使いましたが、それでも来た価値がありました。この度の旅行で一番良かったところです。
金沢駅に到着し、昼食のために駅構内の「金沢百番街」(明石駅でのピオレ)に向かおうとすると、C58蒸気機関車の動輪。旅客用蒸気機関車の動輪の直径は1,750mmが多いのですが、C58は1,520mm。これは特急のように速度を求められない普通列車と、貨物列車も牽引できるように設計されたためです。ある意味、万能蒸気機関車。
昼食は、前日に下調べした「8番らーめん」。地元のラーメン店です。
メニューとオーダーは、テーブルに置かれたタブレット。
こいつにしましょう。(バター入りが好き)
しばらくすると、ガストで見かける配膳ロボットが近付き「どうぞ」です。^^
ナルトの「8」が、「8番らーめん」らしいところ。
麺は太めの縮め麺。スープは、豚骨+ちゃんぽんに近いところ。あっさり目で、野菜の旨味を感じます。
パクパクと食べ終わり、再び改札を通り次に向かうは「IRいしかわ鉄道」です。この「IRいしかわ鉄道」とは、北陸新幹線開業と共に在来線は地元の第3セクターに移行した私鉄路線。
日本ではどこもそうですが、地方新幹線が開業すると在来線運営は地元に移行。JRにとっては赤字路線が切り離せて「やれやれ」でしょうが、地域の足を残さなければいけない地元自治体他は大変。もっともJRにとっても、新幹線運行が必ずしも黒字とならないので、こちらも大変。
結局、喜んでいるのは観光関連と、採算を無視して「我が街にも新幹線を!」と強引に計画を進め、新幹線が開業すると「私の実績だ」と誇らしげな政治家達です。(怒)
そんなことを思いながらホームで待っていると、停車している電車と駅名標の「IRいしかわ鉄道」のロゴが目に入ります。
電車が来ました。
カラーリングこそJR西日本とは違いますが、同じ521系。元JRの車両ですが、順次、整備なども含め「IRいしかわ鉄道」に移管されているそうです。ちなみに金沢駅の改札を通ることから、ICOCAやSuicaなどの交通系ICカードも使用可能。
次の西金沢駅で下車し、隣接する北陸鉄道・新西金沢駅へ。北陸鉄道は、バス路線も運営する石川県の老舗交通会社。ちなみに無人駅です。(学生時代は有人駅)
ホームは、島式1面2線。
電車が到着して乗車。
15分ぐらいで、目的地の最寄り駅で下車。北陸鉄道はバスも含め、ICOCAやSuicaなどの交通系ICカードは使えません。
金沢市より交通系ICカードの導入を北陸鉄道に要望したそうですが、「前向きに検討」という回答にとどまる状況。システムの導入費用やJRへの手数料支払いが、経営を圧迫するとのことです。一部のバスに「ICa」(アイカ)という独自のICカードを導入していますが、厳しい地方鉄道会社の実情が感じられます。
で、目的地の駅とは、学生時代の下宿最寄り駅である乙丸駅。
とてもシンプルな駅舎。
駅前のクリーニング屋さんは健在。
駅を出ると、遠くに学生時代に行っていた散髪屋さんが見えます。
踏切内から撮影。右側に並んでいる住宅街の一軒が、私が下宿していた住宅。
川沿いの道を進み、
左に曲がると、突き当りは北陸鉄道の線路敷。学生時代のバイクツーリング帰り道でしたが、「やっと下宿まで帰ってきた」と思いながら走ったものです。
線路敷沿いに進むと、右側に並ぶ住宅の中の一軒が、私が下宿していた住宅。
反対側から。もう既に建て替わり、私が下宿していたお家は無くなっています。7年前にジュークで通った時、隣のお家は学生時代のままでしたが、そちらも建て替わっていました。
親からの仕送りを受け取っていた銀行(加州相互銀行)は美容院となり、
同じ下宿仲間とよく行った、マンション1階の喫茶店や寿司屋は無くなっていました。
駅の方に戻りますが、定食屋さんは個人宅となり。
中華料理店はスポーツ用品店へ。
タバコ屋さんの場所は、更地になるという変貌ぶり。
もう40年以上前のことですから仕方ないでしょう。それでも街の雰囲気というか空気感は、学生時代のまま。とても懐かしく、まるで帰郷したようなところ。しばらく、街並みを眺めたかったです。
駅に戻ると、すぐに電車が来ました。私鉄車両には詳しくありませんが、経営が厳しい北陸鉄道。多分、関東や関西方面を走っていた中古車両でしょう。
往路と逆コースで金沢駅に戻り、北陸鉄道の金沢駅で、自分へのお土産として乙丸駅のキーホルダーを購入。
また、この日が金沢で動ける最後の日でしたので、家内への土産を物色。もちろんWESTERポイントを貯めるため、駅構内でのお買物。^^
さて、夕食はどうしましょうか。昨日、海鮮丼を食したし、明日は富山で富山湾寿司の予定。さすがに二日続けてのガストは遠慮したいところ。(^^)
そんなところで目に付いたのが、豪華な駅弁。超豪華な駅弁は売切れでしたので、こちらをチョイス。「立山」は、翌日に行く富山の地酒。
芝寿司という、金沢の老舗押し寿司店の駅弁。
こんな感じです、「おしながき」もどうぞ。
この日も、よく歩きました。
最後の三日目は、北陸新幹線を乗り継ぎ、黒部・宇奈月温泉と富山駅に行ったのですが、「その4」で紹介します。
今年は物でなく能登半島地震で被災した地域にしたんですよね。
千里浜は一度だけ行きましたがまた行きたいです。
素晴らしいところですよね。もう一度走りたいです。
千葉の海とはあきらかに違います。
今回は私事のコメントで失礼しますが
仲の良い神奈川の釣り仲間が十数年前に
珠洲市に移住しており、例の震災時に連絡が
取れなくなって心配しました。
その後ようやく連絡が取れ初詣に
行っており奥様共に身柄は大丈夫でしたが
住宅と家財、そして何より大切な仕事を
失ったと言う状況を知りました。
今現在神奈川へ戻ってきています。
最近になり、色々落ち着いてきたらしく
わざわざ自宅に報告に来て下さり
悲惨な現実を伺いました。
海のすぐそばの新居だったので
とても残念でなりません。
学生時代に下宿していた街ですから
色々な思いでがある街だと思いましたが
そんな友人が居住していた能登半島なので
その辺り、それぞれの事情を含めて
拝見すると色々な思いが沸き上がりました。
日本海側の海は何か
怖く見える事があります。。。
あくまでも動画を拝見した今の個人の感想です。
特に深い意味はありませんよ。
羽咋もそうですが、金沢に近い内灘も家が傾くほどの液状化だったそうです。タクシーから路面を見ると、あちこちで補修の跡が分かりました。
千里浜は素晴らしいです。約4kmほどバイクで砂浜を走れますが、こんなところは日本で唯一でしょう。クルマやバイクの広告にも使われる場所です。
海の近くということは、T波が押し寄せたのでしょうか。珠洲市のあたりは海岸沿いぐらいしか平地はなく、こちらでの住宅となれば、失われたのも重々察します。
日本海は美しいですが、冬場となれば、荒々しく人を寄せ付けない怖さがあります。太平洋側とは明らかに違いますね。