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太田牛一『信長公記(上)』

2008-09-08 18:24:57 | ノンジャンル
 高野秀行さんが推薦する太田牛一原著、榊山潤訳の「信長公記」の上巻を読みました。太田牛一は信長と秀吉に仕えた武士で、彼が自分の日記を元に信長の活躍を書いた本を、榊山潤氏が現代語訳したものです。上巻には全16巻のうち、首巻から8巻までが収録されています。
 とにかく戦についての単調な記述が多く、また人名に次ぐ人名でそれを読んでいくだけでも苦痛です。
 ただ、面白いエピソードには事欠かなく、平家の盲目の侍が所持していた名刀を持つ者は次々に目に不幸が起き、熱田神宮にその刀を奉納すると、それまで眼病を患っていた持ち主の目がすぐによくなったという話、信長が若い頃、だらしない格好で物を喰いながら外を歩いたので「大うつけ(馬鹿者)」呼ばわりされていた話、父の葬式に普段着で現れた信長が、抹香を仏前に投げつけて帰ってしまったという話、無礼な信長に対し斉藤道三が「まことに無念だ。将来こんな男の部下になってしまうとは」と言い、先見の明を示したという話、20里の海を1時間で行ってしまったという、嘘としか思えない話、踊りの宴を開き、信長自ら天人の衣装を着て、小つづみを打ち、女おどりをしたという話、大蛇を探すため、池の水を汲み出す「蛇替え」を行なったという話、誰が本当のことを言っているのかを知るため、真っ赤に焼いた鉄を握らせ、持てた方が本当のことを言っているという「火起請」という習わしを信長自らやってみせたという話、罪人をその者の女房や親、兄弟に火をたかせ、煮殺すということが行なわれていたという話、男色の相手役の若衆という者が公認されていたという話、信長が相撲見物をした話、敵の大将の生首を漆で固めたものを信長が酒の肴にした話などがあります。
 当時は城ぜめをする時、周りの町を焼いてしまい、城を垣で囲んで兵糧攻めにするのが定石だったことや、戦争で殺した武将の首を取り、翌日皆で集まってそれぞれの首が誰なのかを調べる「首実検」というものが普通に行なわれていたこと、屈強な侍が殺されても殺されても現れていることから、当時の侍はほとんどが屈強であったのでは、ということなどが分かりました。
 現代語訳なら飛ばし読みでも楽しめると思います。時代物が苦手な方にもオススメです。