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四方田犬彦『谷崎潤一郎――映画と性器表象』その3

2013-06-25 06:51:00 | ノンジャンル
 52年前の今日、ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで、ビル・エヴァンスとスコット・ラファロとポール・モチアンが伝説的なライヴを行い、それが『ワルツ・フォー・デビー』と『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』の2枚のアルバムとして結実しました。この2枚のアルバムは現在も日本で人気が高く、特に『ワルツ・フォー・デビー』については、未だにジャズで一番人気の高いアルバムとして知られています。中でも冒頭の一曲『マイ・フーリッシュ・ハート』は、ビルの最高傑作だと言う人もあり、必聴の曲です。まだ聴いたことがないという方には、是非聴かれることをお勧めします。

 さて、三池祟史監督の'12年作品『逆転裁判』をスカパーの日本映画専門チャンネルで見ました。カプコンから発売された法廷バトルアドベンチャーゲームの映画化で、映画もゲームと同じくCGを多用した荒唐無稽な作品に仕上がっているようでしたが、冒頭の10分を見て、その後を見るのを断念しました。その10分の中で、巨大な侍風船が膨らむショットがあるのですが、「これはここから撮ったら巨大さが伝わらないだろう」と思われるショットが1つあり、それで一気に期待が萎んでしまったためです。その後も早送りで見ましたが、2時間15分もかけて、全部見る価値はないように思いました。

 さて、また昨日の続きです。
 「ここでわたしは視点をいささか移動させ、(花魁の)菖蒲に憑依した人面疽とはそもそも何であるかという問題を、より広い文化的・神話的文脈のなかで思考することを試みてみたい。映画史はこの時点でほぼ役割を終えることになる。代わってわたしに導きの糸を差し出してくれるのは、精神分析と神話学である。」
 「女性の性器が視覚的に嫌悪感を与えるという事実については、洋の東西を問わず、これまで数多くの言説や映像がそれを論じてきた。」「では、なぜ女性性器はグロテスクかつ不気味に感じられるのか。この問いをめぐって誰よりも真剣に思考したのは、精神分析の創始者ジークムント・フロイトであったように、わたしには思われる。」「女性の性器が不気味に見えるのは、それが見る主体である者の『故郷』であり、『かつてなれ親しんだもの』であるためである。フロイトのこの命題を受け入れるためには、誰がいかにしてこの結論に到達したか、その探求の過程をつぶさに追跡してみなければならない。わたしはここで、彼が迂回に迂回を重ね、シェリングからホフマンの幻想小説まで、数多くのテクストをモザイクのように並べ立てて築き上げたこの論考を、冒頭から読み直すという作業に入ることとなる。」「ここで先に掲げたシェリングの言葉が、文字通り回帰してくる。『不気味なものとは、隠されているべきものが外に現れたものである。』棹後の結論としてフロイトは、論の冒頭に長々とした語源探求に立ち戻り、決定的な警句を書き付ける。『unheimlich(「無気味な」という意味のドイツ語)という語の前綴りのunは、抑圧の刻印なのである。」
 この後、著者は“抑圧”が実際に『人面疽』の中でどのような形で現れてきているかを検証し、オットーの『聖なるもの』にも言及し、『人面疽』の中における人面疽の過激な攻撃性に注目し、ギリシャ神話のバウボが性器開闢(かいびゃく)を通して、周囲を哄笑へと誘うこと、同じくギリシャ神話のゴルゴがやはり性器開闢をして相手を恐怖に固まらせてしまうことにも触れ、最後に、2011年の8月、パリで著者が日本の怪奇映画上映の企画で会場を訪れた際、東陽子が休憩時間の間、劇場内で貞子に扮したパフォーマンスをしているのに出会ったエピソードが書かれて、この論文は終わります。

 この要約の中では触れることのできなかった谷崎の映画作りに関する様々なエピソードも非常に興味深く読ませていただき、大変勉強になった論文でした。東陽子の話はどこまで本当で、どこからがフィクションなのか、読んでいて判然としませんでしたが、もし全てが本当の話だとしたら、四方田さんも、蓮實先生と同じく、“神に選ばれた”方なのでしょう。そんなことも感じさせてくれる、面白い論文でした。

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四方田犬彦『谷崎潤一郎――映画と性器表象』その2

2013-06-24 04:58:00 | ノンジャンル
 ロジャー・コーマン監督・製作の'67年作品『自由の幻想』(原題『The Trip』)をWOWOWシネマで見ました。CMディレクターのピーター・フォンダが、ブルース・ダーンに導かれて、LSDを体験し、幻覚の中で妻のスーザン・ストラスバーグを愛し、他の人々も愛していることを確認しますが、明日のことは分からないと悟るという内容の映画で、サイケデリックな色彩と映像にあふれた映画でした。

 さて、昨日の続きです。
 「(谷崎が製作した映画)『アマチュア倶楽部』の脚本は、それ以降の日本映画の脚本とは異なり、すぐさま撮影に使用できるよう、ショットごとに区分され、カメラアングルまでが細かく規定されている。(中略)フィルムは全体として、当時ハリウッドで流行していたスラプスティックス喜劇であるが、歌舞伎の舞台が破壊されて役者が逃亡するという世代的な要請を読み取ることは困難ではない。(中略)旧劇の追放とは裏腹に、フィルム全体にわたって強烈な印象を放ったのは、主演女優、葉山三千子演じる千鶴子の肉体の、圧倒的な現前であった。」
 「(谷崎はインタビューでこう語っている。)『アマチュア倶楽部のようなものではなく、もっと私の欲しているものを写真にしたいのですが、それはとても許されそうにありません。』ここで谷崎がふと口を滑らした『もっと私の欲しているもの』とは、はたして何であったか。(中略)谷崎の目的とは、より陰惨にして危険な映像の試みであった。1918年初頭に彼が発表した短編『人面疽』の存在が、ここで大きく浮かび上がってくる。」
 (『人面疽』では)4、5年前にロスへ渡り、向こうで成功した女優・百合枝が、国内の映画会社から高給で迎えられ、日本に帰ってきますが、しばらくして、自分が主演する『ある物凄い不思議なフィルム』が新宿や渋谷の場末の映画館を巡回しているという噂を耳にします。その映画とは、「花魁がアメリカ人に惚れられ、秘かに足抜けすることになるのですが、そのアメリカ人の手足となって働いていた、醜い日本人が花魁に恋してしまいます。花魁は当然のこととして、その日本人を相手にせず、絶望した日本人は自殺してしまいます。花魁は置き屋を脱出するために、トランクの中に身を隠したまま、アメリカ行きの船に乗せられますが、やがて自分の膝に自殺した日本人の顔が現れてきます。花魁はアメリカに着くと、その事実を隠蔽しようと、普段から膝に包帯をぐるぐる巻きにし、膝上まである靴下をはいていました。いよいよ花魁とアメリカ人の披露宴の夜。花魁は悦びにあふれ、社交ダンスを踊り始めますが、やがて膝から滴り落ちる血がドレスを汚し始めます。以前から花魁が膝を隠すのを不審に思っていた男爵が花魁の膝を調べてみると、膝の顔が包帯を口で噛み千切り、目と鼻から血をほとばしらせながら、呵々と大笑していました。花魁は発狂し、自室で胸を刺して死にます。しかし膝の顔は相変わらず大笑し続けた」という内容でした。百合枝は、自分がそのような映画に出演した記憶が全くありません。「谷崎は百合枝と(その映画を知る)H氏との対話を通し、この最終場面の映像は単なる焼き込みだけでは成立しないと説き、このフィルムをより謎めいたものにしている。」「H氏による事情説明は、フィルムの出自の怪しさを物語っているばかりではない。それが映写技師を狂気に追い込むほどの攻撃的な性格をもち、近い将来に製作されるであろう複製によって、人面疽の映像をさらに増殖させ遍在させる結果になることが告知されている。(中略)今日のグローバリゼーションの状況下にあって、映像という映像が起源から離脱して匿名的に流出し、際限もなく増殖してゆくさまを日常的に見知っているわれわれとしては、谷崎が一世紀前になしえた予言の正確さに、今さらながらに驚嘆しないわけにはいかない。」
 「これまで日本映画史を参照軸としながら、『人間疽』に対し注釈を施してきた。映画をめぐる谷崎の溢れんばかりの夢想と情熱が、同時代のハリウッド映画からドイツ映画まで、ありとあらゆる映画体験を動員し、当時可能とされていた最新の映画的手法を駆使して、この短編に結実していることが、これで明らかにできたのではないかと思う。」(また明日へ続きます‥‥)

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四方田犬彦『谷崎潤一郎――映画と性器表象』その1

2013-06-23 06:05:00 | ノンジャンル
 スカパーの日本映画専門チャンネルで、伊藤大輔監督・脚本の'54年作品『番町皿屋敷 お菊と播磨』を見ました。殿様の播磨(長谷川一夫)とお女中のお菊(津島惠子)との悲恋物語で、他にも田崎潤、東山千榮子、進藤英太郎、清水将夫らが脇を固めていて、見事な“ショット”とその連鎖からなる映画でしたが、ここで言う“ショット”は構図的に決まっている“ショット”という意味であり、演出は、加藤泰監督のそれが“メイクなしの演出”だとしたら、この映画における演出は“メイクアップされた演出”になっていて、時代とともに古びてしまう種類のものであると思いました。連鎖の部分もクレーン、オーヴァーラップ、フェイドイン、フェイドアウト、移動、パンと見事なつなぎになっていました。そういった点では、最近撮られている映画より数段に上を行っている映画なのかもしれません。

 さて、「月刊新潮」'13年6月号に掲載されていた、四方田犬彦さんによる論文『谷崎潤一郎――映画と性器表象』を読みました。200枚という文量の論文です。
 「わたしはどこに足を向けようとも、谷崎を知る人々と出会い、彼らが思慕と情熱をこめて谷崎について語る場に廻りあわせてきた」と書く著者が、「まったくの偶然から東陽子と知り合うきっかけになったのは、イタリアの大学でバゾリーニの勉強に一段落をつけ、帰国して以前の大学での教職に戻った1985年のこと」でした。「あるとき東陽子はわたしに向かって、頼みごとがあるといった。実は遠い親戚にあたるある人物が老衰で入院しているのだが、あまりに高齢すぎて、係累もなければ知人友人もいない。自分がときおり会いに行くのを除けば、誰も見舞いに来てくれる者もいない。ひどく孤独な気持ちでいるらしく、自分の到来を実の孫のように悦んでくれる。もしよければいっしょに見舞いに行ってくれないだろうかという申し出だった。わたしが唐突さに理解できないでいると、東陽子はさらに言葉を重ね、驚くべき事実を披露した。
 その人は和嶋せいといって、谷崎潤一郎の昔の愛人だった。その後、和嶋彬夫という人物と結婚した。(中略)二人は半世紀にわたって仲よく暮らしたが、十年以上前に夫には死なれてしまった。」「若き日の谷崎は、一年半ほどの短い期間ではあったが、小説執筆のかたわらで映画製作に血道を上げていたことがある。せいは葉山三千子の芸名のもとに、その最初の製作作品で主演女優を務めた。このとき共演したのが、私淑する谷崎を訪れてきた無名の岡田時彦であった。」「わたしは東陽子に訊ねた。ひょっとしてその人は、『痴人の愛』のナオミの原型となった女性ではないのだろうか。(中略)東陽子はごく当然のように、『そう、ナオミなんです』と答えた。」「二回目のお見舞いは叶わなかった。というのもわたしたちが池袋病院を訪れた日から二週間ほどして、せいは生涯を閉じてしまったのである。1996年6月23日のことだった。翌朝の新聞の死亡欄で、わたしは彼女の享年が正確にが94歳であることを知った。」「このひどく寂しげな葬儀に唯一、色を添えていたのは、、瀬戸内寂聴から贈られた巨大な花束だった。これは後になって理由が判明した。葉山三千子と瀬戸内寂聴は昔に一度、『婦人公論』で対談をしたことがあり、それを寂聴が縁として記憶していたのである。」
 さて、「(谷崎の)『独探』の一節は、日本においてチャーリー・チャップリンの名が語られた最初のものではないかと、わたしは睨んでいる。付言しておくと、この短編には、一般に流布していた『活動写真』という表現と並んで、『フィルム』『写真』『映画』という単語が使われている。」
 「日本の近代文学において、最初の映画少年の世代とは誰であったか。わたしにはそれが、谷崎潤一郎であるように思われる。」「要するに谷崎は現時点での映画状況の先を見通して、エプスタンやドライヤーが活躍する1920年代以降の映画的想像力を夢見ているのだ。いまだに地上に存在していない、にもかかわらず存在しているべきである架空のフィルムについて言葉を重ねることこそ、この時期に特徴的な、映画的情熱のあり方であった。」(明日へ続きます‥‥)

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増村保造監督『巨人と玩具』その2

2013-06-22 04:34:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 西は路上で幼い頃から大学まで一緒だった横山に出会います。大学時代に溜まり場だった歌声喫茶を訪れる2人でしたが、2人は「歌ってる連中がバカに見える」と言います。西の勤めるワールドのライバル会社であるジャイアンツに、やはり宣伝部として勤めている横山は、自分の会社の次の特売の懸賞が生きてる動物だと明かし、今度の特売がお互い関ヶ原の戦いになると言います。今は敵味方に分かれたので、お互いに腹のさぐり合いになるから、今日はここで別れようと西は言いますが、横山は「お互いに探りっこなしだ!」と言って、行きつけのナイトクラブに西を連れていきます。「ここなら会社のツケで飲めるんだ」と言う横山。そこにやって来た若い女性を横山は「アポロの宣伝部の倉橋さん」と言って、西に紹介します。アポロも西が勤めるワールドの強力なライバル会社でした。倉橋は特売の懸賞の話を持ち出し、自分のところが何を懸賞にしたかは言えないが、と言って、西に「宇宙服のアイディアなんてどう?」と言います。
 翌日、西が課長に会いに行くと、課長はジャイアンツの懸賞が生きた動物であることを既に知っており、「アポロの懸賞の情報がほしい」と西に言います。西が宇宙服のアイディアを言うと、課長は3ヶ月前から自分も宇宙服のアイディアを考えていたと言います。そして課長は重役会議で、市場調査の結果、懸賞には宇宙に関するもの、例えば宇宙服、宇宙銃などがいいと力説します。
 一方、娘は課長から電話をもらい、課長の車に乗り込みます。課長は娘に試写会の切符を手渡し、これからカメラテストを受けてもらうと言います。こんな服と今の化粧じゃ嫌だ、と言い出す娘は、車から降りようとしますが、課長と西は娘を羽交い締めにして、何とかスタジオまで連れていきます。
 スタジオでは写真家の春川(伊藤雄之助)が待ち構えていて、18歳で名前は今日子だという娘を自在に操り、写真を撮っていきます。西に「そばにいて」という京子。
 ジャイアンツのシルバーキャラメルの宣伝カーと、そばを通るデモ隊。
 一方、西は倉橋を誘い出し、キスして、アポロの懸賞を聞き出そうとします。取材責めに会う今日子。課長は自分たちとの関係はまだ秘密にしておくように、と今日子に言い含めます。「稼いだお金は全て、生活に困っている家に入れている」など、模範回答を今日子に教え込む課長。今日子についての取材を受ける春川。政治談義をしていた学生たちは、カメラ雑誌の表紙を飾っている今日子を見て雑誌を手に取ると、「稼いだ金を全部家に入れてるなんて、今どきいい子だなあ」と話し合います。いよいよワールドのCMの録音に入る今日子。
 西は相変わらず倉橋に探りを入れますが、なかなか倉橋は懸賞について話しません。特売に今日子の写真を使うと課長が部長に言うと、自分の仕事を取られた部長はうなだれます。他の会社のCMに出ないことを条件に20万の契約金を払う課長と、うっとりと札束を見つめる今日子。
 今日子はアポロの女性から電話をもらったと西に言い、西は倉橋に会いに行くと、倉橋は今日子に電話をかけたことをあっさりと認め、アポロの懸賞は“一生の生活資金”だと西に教えます。西はすぐに課長にそれを報告すると、課長は「母親は皆それに釣られてアポロを買うだろう」と言い、激しい戦いになることを予想します。宇宙服を着た今日子の写真を撮る春川。ジャイアンツとワールドの宣伝カー同士の争い。宣伝カーに同乗してる課長は「3日寝てない」と言い、メディアはアポロの売上が3社の中で断然リードしていると伝えます。やがて今日子はジャイアンツに引き抜かれ、課長は血を吐き、ラスト、西は課長を見捨てることができず、自分が宇宙服を着て、街角を歩き、人々の笑いを誘います。硬い表情で歩く西に、寄り添ってきた倉橋は「笑って!」と言うと、西は吹っ切れたように笑みを浮かべ、映画は終わります。

 機関銃のように話す男性陣の口調が印象的で、見ていて“ショット”にはあまり意識がいきませんでしたが、優れて演出的な映画ではあったと思います。画面については改めて見直す必要があるかもしれません。

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増村保造監督『巨人と玩具』その1

2013-06-21 04:33:00 | ノンジャンル
 増村保造監督の'58年作品『巨人と玩具』をスカパーの日本映画専門チャンネルで見ました。
 道を埋める出勤者の波の中を歩く、新入社員の西(川口浩)。始業サイレン。専務(山茶花究)は窓からその様子を見て「皆、キャラメルの顔に見える。売上が下がってきているのは分かってる。一番の責任は宣伝部長にある。(と言って、宣伝部長(信欣三)に目をやる。)大衆がいる限り、キャラメルは売れる。他社は新製品を続々と打ってきてる」と機関銃のように早口に言います。胃薬を飲む宣伝部長。彼はキャラメルの売上が伸びなくなった頃から胃を悪くしたと言います。そこへやって来た宣伝課長の合田(高松英郎)は、くわえたタバコにライターで火をつけようとしますが、なかなかライターの火がつきません。なかなかつかないライターのアップに、工場でキャラメルが作られて行く様子が二重写しになります。店でキャラメルを買う子供の映像になって、ようやく二重写しが終わり、ライターに火がつきます。専務は「何かパーッとした懸賞のアイディアはないのか?」とまた宣伝部長に迫ると、宣伝部長は胃の辺りを押さえて、体を折ります。
 宣伝部。「もしもし、新日本広告さん? あ、こちらワールドの宣伝。困るね、おたくでやったネオン、切れてるんだよ、品川の‥‥」と電話で言う古株社員。「近頃、キャラメル1つ売るのも骨だね」「大衆はどんどん先を行き、取り残されるのは我々メーカーさ」「会社の首脳部はヒステリーを起こしてるみたいだね」「大体、係累会社はダメだね。重役が皆、社長の親戚なんて会社は」「俺たち、血のつながりのない社員は、いくら頑張っても出生できないって訳だな」(と言った社員は玩具を手で弄びます。)「ウチの部長ね。首にならないでしょ。社長のまたいとこだからですよ」。西が「しかし実際は課長が部長の代わりに‥‥」と言うと、古株社員が西の発言を遮り、「課長は38歳。この会社では異例の出世です。その理由、分かりますか? 課長が部長の娘を奥さんにもらったからです」。課長が現れると、それまで雑談にふけっていた社員たちが自分の懸賞のアイディアを売り込み始めます。課長は西に「君は学生時代にラグビーやってたんだって?」と言い、西が「そうです。フォワードでした」と答えると、「僕はハーフバックだ。下の喫茶店にお茶、飲みに行こうか?」と課長は言って、西とその場を去ります。「入社1週間で課長とお茶飲めるとはね。あ~あ、俺もやっときゃよかったな、ラグビー」と言う古株社員。
 「特売の懸賞のいいアイディアはないかい? 何か新鮮なのが」と言う課長に、「しかし懸賞をつけてまで、キャラメルを売らなきゃならないんですか? 外国じゃそんなこと、聞いたこともありません。もしキャラメルが本当に大衆の‥‥」と西が言うのを課長は西の背後から銃を突き付けて、「手を挙げろ! (びっくりする西を見て)ハハハハ、アメリカ製だよ。(と、オモチャの銃を見せ)よくできてるだろ?」。2人は喫茶店に着きます。「僕らは人間がひしめく日本にいるんだ。すべてが競争。血みどろの戦いだ」「しかし‥‥」「しかし、じゃない。まごまごしてると、競争相手の会社につぶされるぞ。ひと粒でも多くキャラメルを売った方が勝ち。君、女、好きか?」「ええ、好きです」「あの子、どう思う?」喫茶店のウインドウの中に飾られているメニューを食い入るように見て、微笑む娘(野添ひとみ)。「カッパみたいですね」「呼んでこい」「ここにですか?」「早く!」。西は強引に娘を誘おうとしますが、西のことを不審に思う娘に警官を呼ばれてしまい、退散します。テーブルに戻ると、課長は消えていて、間もなく娘と一緒に現れます。女優の整形の話で娘を釣る課長。「今度、映画の試写会の切符を送りましょう」と言って、娘の住所も聞き出します。課長は西にチョコの詰め合わせを買いに行かせると、娘は調子に乗って「映画の次に好きなのは自動車。だからタクシー会社で働くことにしたの」と言って、今の職場への不満を口にします。「もう辞めちゃったけど、1人イカすの、いたんだ。(チョコを買ってきた西を見て)似てんだ、それが。歩き方までそっくり」と言います。西が「何ですか?」と言うと、娘は課長に何か耳打ちし、「秘密よ!」と言います。娘がチョコを持って去った後、課長は「あの子はいける。カメラテストだ」と西に言います。(明日へ続きます‥‥)

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