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ロバート・ゼメキス監督『フライト』その2

2014-02-13 08:37:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 ニコールは仕事が決まり、時給も1.5倍、夜勤もできないかと言われたと喜ぶ。その後、ニコールに誘われウィトカーはアルコール依存者の会に行くが、自発的に自分がアル中であることを認めるのに反発を感じ、中座する。
 ニュースでは今回の事故でひどいケガを負い、一生歩けなくなったエヴァンス氏がインタビューに答えていて、ウィトカーは彼を訪ねるが、彼は搭乗時にジンの匂いがしたと言い、それを許すために、妻とウィトカーの手を取って祈りを捧げる。
 ウィトカーがセスナ機を整備しているところに現れたニコールに、彼は若い頃にこのセスナ機でジャマイカまで飛んだ話をし、明日一緒にジャマイカまで行って新しい生活を始めようと誘うが、ニコールがウィトカーがまだリハビリの最中だと言うと、ウィトカーは怒り出し、ニコールを侮辱して、怒ったニコールは一旦去る。部屋に戻ったウィトカーは、墜落した時酒が入っていたことを認め、一生刑務所かもと言う。私はヤクの世界に戻りたくないと言うニコール。ジャマイカまで行ったら一緒に病院に行き、俺が酔ったら出ていっていい、昼前には出発だ、俺は優秀なパイロットだ、きれいなものが一杯あるぞ、と言うウィトカー。
 翌朝、ニコールは手紙を置いて去る。目覚めたウィトカーは手紙を読み、電話がかかってくると、空き瓶を壁に投げつける。その後、チャーリーからいい知らせがあると電話がかかってくる。
 彼らは裁判に勝てる見込みとなり、安全委の推定原因に“不可抗力”を加えたと弁護士は語る。ウィトカーには質問はなく毒物検査書もつぶした。証拠も証人もない。しかし1点だけ気になることが。ギャレーでウォッカの空瓶2本が見つかり、それに触れられるのははウィトカーとトリーナだけに絞られたと弁護士に言われると、ウィトカーは「俺が3本飲んだ、1本はどっかにいったんだろう」と言う。弁護士は10人のパイロットに事故時のシュミレーションをさせたところ、不時着できたのはゼロだったと言い、公聴会では冗談は通じず、今のような態度で証言したら、我々の努力も水の泡だと言われる。
 ウィトカーは酔っ払いながら離婚した妻と息子に会いに行くが、妻だけでなく息子からも「帰れ!」と言われ、外に出ると報道陣に囲まれる。チャーリーの家を訪ねたウィトカーは、公聴会までここに置いてくれと頼み込み、チャーリーは禁酒を条件に置いてやる。9日間禁酒を続け、公聴会の前日にホテルの部屋に泊まるウィトカー。弁護士に模範解答の冊子を渡されるが、酒の誘惑には結局勝てずに終わる。
 翌朝、ウィトカーの部屋を訪ねたチャーリーと弁護士はひどい二日酔いでトイレに横たわるウィトカーを発見する。ウィトカーはハーソンを呼び、呼ばれたハーソンはコカインでウィトカーに正気を戻させる。
 公聴会でねじジャッキの磨耗が事故の原因だと結論づけるブロック。最後にギャレーで見つかったウォッカの空瓶の話になり、飲んだ可能性のあるウィトカーとトリーナのうち、飲んだのはトリーナだと思うか?と質問されたウィトカーは、迷った末、自分が飲んだ、事故前の3日間も飲み過ぎるほど飲んでいた、今も酔っている、私はアル中だ、と証言し、公聴会は大騒ぎとなる。
 囚人らを前にして「終わった、おしまいだ。あれ以上ウソはつけなかった。4~5年はここで過ごすことになるだろう。飛行免許も取り消され、空を飛ぶことはできなくなったが、しょうがない。愛する人を失った家族に手紙を書いている。謝罪を聞いてくれた人、許さない人、それぞれだ。酒は断った。こんなことを言うのもなんだが、人生で初めて自由になった気分だ」と話すウィトカー。そこへ息子が面会に訪れ、先日贈った贈り物を喜んでくれ、進路指導の先生が卒業エッセイ“僕が出会った最高の人”を書くために父に会いに行くように言ったのだと言う。「あなたは誰?」という息子の問いに、ウィトカーは「いい質問だ」と微笑んで答えるのだった。

 途中からアルコールを飲むか、飲まないかのサスペンス映画となり、見ごたえ十分でした。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

ロバート・ゼメキス監督『フライト』その1

2014-02-12 10:17:00 | ノンジャンル
 ロバート・ゼメキス監督・共同脚本の'12年作品『フライト』をWOWOWシネマで見ました。
 悪天候の中、鼻歌を歌いながら旅客機を操縦するウィトカー(デンゼル・ワシントン)。離陸の際には乱気流のわずかな隙間を最高速度を越えて抜け出し、乗客から拍手をもらう。一方、ヤク中のニコールは家賃を滞納しているのを家主のフランに責められる。家主を部屋から追い出したニコールは、しばらくするとヤクを打って意識を失い倒れたところをフランに見つけられる。居眠りしていたウィトカーは、昇降舵が動かないと副機長に教えられ、機はバランスを失う。油圧装置が利かなくて急降下する機。ウィトカーは燃料を捨てさせ、背面飛行をして平行飛行を取戻す。左エンジンが出火し、ウィトカーは元に機体を戻すと、野原に不時着させる。白煙が上がり、白と黒の画面が交互に続き、やがて充血したウィトカーの目のアップの画面となる。飛行機事故のニュースを見るウィトカー。旧友のチャーリーが付き添っていて、彼から乗務員を含め102人中96名が助かり、6人が死亡、内訳は2人が乗務員、4人が乗客と知らされる。医師は1日から3日で自宅へ帰れるとウィトカーに言う。乗員の死亡者が誰だったか訊くと、チャーリーはカミー・サトーとウィトカーの飲み仲間だったトリーナだと教えてくれた。トリーナは自分のベルトを外し、子供をかばって死んでいたらしい。チャーリーは今は引退しパイロット組合の幹事で、安全委員会の窓口の仕事をしていると言った。
 ハーソンという怪し気な男が面会しに来る。報道陣から英雄視されているウィトカーに、彼はタバコと酒を持ってくるが、ウィトカーは酒はもう止めると言う。その夜、雷鳴で目が覚めたウィトカーはタバコを吸いに階段へ行くと、そこでニコールに出会う。注射でヘロインを打つ女性は死ぬ確率が高いと言うニコールは、元カメラマンで今はマッサージ師をしていると言い、ウィトカーはそのうち遊びに行くと言う。
 ウィトカーは退院すると自宅ではなく祖父の家である“ウィトカー農薬散布飛行機”へ向かう。電話に入っている着信127件はすべて記者からのものだった。ウィトカーは家の中にある酒もヤクもすべて捨てる。セスナ機と家族の写真に見入るウィトカー。チャーリーからの電話で、明日一緒に朝食を食べようと言ってくる。
 行くと弁護士を紹介され、彼は死者6人の責任を航空会社と飛行機の製造元で争っていると言い、乗員と乗客の毒物の血液検査も事故当日に行なわれ、ウィトカーの血液からは0.24%のアルコールが検出され、車なら0.08%以上で即刑務所送り、それにコカインも検出されたと言い、重罪なら最高12年の刑、4人の過失致死も含まれると終身刑だと語る。しかし弁護士は報告書を握りつぶすつもりだとも言ってくれる。
 ウォッカを浴びるように飲んで、ニコールを訪れたウィトカーは、7百ドルを要求してニコールとケンカしていたフランに4百ドルを押しつけ、彼女の荷物をウィトカーの実家へ運ぶ。マッサージから肉体関係に陥るウィトカーとニコール。
 弁護士は「見せたいものがある」と事故現場にウィトカーを誘い出し、そこで盛んに仕事をしている安全調査班のボス、エレン・ブロックからは公聴会で厳しい質問が飛んでくるので覚悟しておいてほしいと言う。そして航空会社のオーナーは我々の味方になり、政府にもコネがあるとも教えてくれた。
 航空界者のオーナーに、弁護士は血液検査器は定期検査期を18ヵ月も過ぎていて、採血ビンもいつ誰が触ったのか分からず、加えられた保存薬が発酵して高い数値が出た可能性もあると言う。製造元との訴訟に負けたら、航空会社はつぶれると言われたオーナーは、どうせ保険会社のものになるだけだと言う。
 ホームビデオを見ながら、自宅で深酒をするウィトカー。ニコールが現れると、空瓶に足を取られて倒れ込み、そのまま寝てしまう。毛布をかけてやるニコール。翌朝、見事な夜明けの写真が撮れたと言うニコール。ウィトカーはここは祖父の農場で、父はパイロットだったが離婚し、母は死んだと言い、ニコールはママに育てられ、末期のママとの幸せだった時を語る。
 トリーナの葬儀で、乗員のマーガレットの息子に「あなたは母を救った」と声をかけられたウィトカーは、マーガレットに、事故の前の晩トリーナとワイン2杯だけ飲んだということにしてくれと頼むが、一晩中トリーナと飲んで一睡もせずに当日現れたのに?と激しく反発される。(明日へ続きます‥‥)

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吉田喜重『メヒコ 歓ばしき隠喩』&松浦寿輝『エッフェル塔試論』

2014-02-11 10:38:00 | ノンジャンル
 北野武監督・脚本・編集の'10年作品『アウトレイジ』をスカパーの日本映画専門チャンネルで再見しました。暴力団の抗争の結果、三浦友和演じるヤクザがトップを取るまでを描いた作品で、北野さんも傍役ながら最後は刑務所で刺される役を演じていました。激しい暴力に満ち、多くの黒い車と不吉なフェイドアウトが見られました。
 また、山根貞男さんが朝日新聞で紹介していた、ヴィンセンテ・アモリン監督の'06年作品『オイ・ビシクレッタ』をDVDで見ました。家族が仕事を得るために自転車で旅する実話に基づいたロードムービーで、多くの歌が歌われ美しい空が映されていましたが、目的地のリオに到着し、妻が「もう旅はしたくない」と言うとカメラが上昇し、雲の上に行くと映画が終わるという唐突なラストシーンでした。

 さて、吉田喜重さんの84年作品『メヒコ 歓ばしき隠喩』を読みました。本文から引用させていただくと「(前略)こうした会話を耳にしながら、わたし自身はこの現実に起こりつつある旅とは異なる、いまひとつの旅のことを想像していた。それは現実の裏側に隠された〈内面の旅〉という意味のものではなかった。むしろ外に向ってあくまで開かれた制限のない旅。わたし自身が旅をするのではなく、開かれた世界がこのわたしを旅に誘いこむ。『われらが思い至るのではなく、思いがわれらに来る』と語ったハイデッガーの言葉のように、思う主体としての〈わたし〉と〈世界〉との関係が反転するのだ。それも歓喜に充ちて、というべきだろうか。
 いま試みようとしているラ・パスへ旅にしてもそうだ。あと何時間待てばバハ・カリフォルニアの南端ラ・パスの街に行きつけるというのだろうか。『誰が知ろう?(キエン・サーベ)」メキシコの人びとの諦めの感情を表すこの言葉が、いまのわたしには限りない自由への徴しとして軽やかにひびく。〈世界〉がわたしを呼ぶのであれば、待たされるのは当然であったろう。もっともこのばあいの〈世界〉とは前人未踏の処女地などではなく、かつてデカルトが書物としての学を捨て、『世界という大いなる書物』に向って旅を試みようとした、あの世界のことであり、スペインの劇作家カルデロンがいう『劇場としての世界 El gran teatro del mundo.」、そしてシェイクスピアがみずからの劇場、地球(グローヴ)座の入口に『世はあげて俳優を演ず』と掲げたように、まさしく人間がかかわりあう〈世界〉である。(後略)」
 また、松浦寿輝さんの'95年作品『エッフェル塔試論』も読みました。こちらは本文の冒頭部分から引用させていただくと、「いわゆる『世紀末デカダンス』なるものが歴史概念として成立しうるのかどうかはもはや必ずしも自明ではないけれども、今仮に、十九世紀後半の一時期の西欧で、あたかもこれ以上自然な出会いもないと思われるような滑らかで『終末』と『頽廃』とが溶融し合い、その『頽廃』的な『終末』意識が、1880年代から90年代にかけての『文学』作品や『美術』作品に、黄昏の色調と甘美な腐臭とを同時にまとわせていった、と――通念に従ってとりあえずそう考えておくことは、決して歴史の遠近法を歪めた状況認識とは言えないだろう。その場合、そうした『頽廃』的『終末』ないし『終末』的『頽廃』に対してもっとも親和的であった感受性の持ち主の一人として、他の誰よりもまず『さかしま』の著者の名を挙げることに、異論を唱える向きは少ないはずだ。フランス文学史の上では、一般に、『自然主義』から出発しながら『神秘主義』へと移行し、やがて『世紀末デカダンス』を代表する存在となるに至ったといった言葉遣いでその道程が要約されるジョリス=カルル・ユイスマンス。実際、小説であれエッセーであれ、彼の文章の多くのものは、黄ばんだ薄暮の光を照り映えさせながら、行き着くところまで行き着いてしまった者のみが浸りうる頽廃の甘い薫りを漂わせている。(後略)」
 どちらも私には難解な文章で、読み始めてすぐに上記の文章と出会うことで、先を読むことを断念しました。上記の文章の内容がすらすらと頭の中に入ってくる方にはお勧めかもしれません。

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大島渚監督『戦場のメリークリスマス』

2014-02-10 10:22:00 | ノンジャンル
 大島渚監督・共同脚本の'83年作品『戦場のメリークリスマス』をWOWOWシネマで見ました。
 “ジャワ 42年”の字幕。韓国人の金本がオランダ兵士にホモ行為に及んだとして、追及されています。今ここでホモ行為を再現すれば切腹させてやると言う原軍曹(ビートたけし)に、金本はやってやると言いますが、通訳をしているローレンス(トム・コンティ)は止めます。オランダ人は数日前から傷の手当てをするなど金本は優しかったのが、昨日急に襲ってきたと言います。上官のヨノイ大尉(坂本龍一)を呼ぶ原。
 ヨノイは本部に呼ばれ、捕虜のセリアズ(デイヴィッド・ボウイ)を裁く法廷に参加します。彼はゲリラ作戦に携わっていましたが、村人の安全のために投降したのでした。彼はインド英国軍の指示で作戦を行っていたと言い、そうなら彼は捕虜として扱うべきとヨノイは言います。拷問で殴られた跡を見せるセリアズ。協議の間、本来なら銃殺か刀の試し斬りが相場だと知らされるセリアズは、判決が延期になったと知らされます。
 ヨノイらの元にセリアズがやってきますが、彼とローレンスはリビア戦線で一緒でした。ローレンスは彼のことを兵士中の兵士だと称えます。ヨノイは弱りきったセリアズを1日も早く回復させるように命じ、俘虜長を呼び、兵器や鉄砲に詳しい俘虜の名のリストを出すように命じますが、俘虜長は拒否します。
 翌日、原はロレンスとセリアズを見に行き、ヨノイはなぜセリアズを助けようとしているのだろうと思いますが、一方、セリアズは原の顔を見て、変な顔だが目が美しいと言います。ヨノイは真剣での剣道で気合いをつけますが、その声に怯える俘虜が出始め、ヨノイは止めます。満開の桜の木の下で皆と酒を飲みたいと語るヨノイ。ローレンスが東京は雪のイメージがあると言うと、ヨノイは2・26事件の時は雪で、自分は満州にいたので参加できず、仲間は皆処刑されてしまったと語ります。ようやく金本の処刑が行われることとなり、上級将校や被害者も参加させられます。切腹はうまくいかず結局介錯して終わりますが、被害者がショックで舌を噛み切り死にます。ヨノイは死者を弔う“行”として、これから48時間の飲み食いを禁止します。
 セリアズは赤い花を摘んで来て、皆に配り、査察の目の前で花を食べ、捕まり、無線機も見つかります。もうすぐクリスマスということで、その歌を歌う兵士たち。その後、ヨノイは毎晩セリアズの元を訪れていると知った兵士Aは、ヨノイがセリアズに誘惑されていると思い込み、セリアズを殺しに行きますが、セリアズは脱出し、吊るされていたローレンスも助けます。ヨノイと対峙したセリアズはナイフを地面に刺し、戦う気がないことを示します。切腹する兵士A。
 原が読経し、ヨノイとローレンスが参加して兵士Aの葬儀が行われます。自殺者だと恩給が出ないので戦死扱いして欲しいと言う原。明日にも書類がそろってローレンスを処刑できるようになると言うヨノイ。無線機が見つかったぐらいで死刑なのかと言うローレンスは、処刑の前にセリアズと会いたいと言います。一方、幼い頃の弟との思い出に浸るセリアズ。
 クリスマスの日、原はセリアズとローレンスを呼びだし、「自分がサンタクロースだ、メリークリスマス」と笑顔で原が言うのに、ローレンスは原もやっぱり人間だと言い、セりアズは狂ってると言います。原は無線機を持ち込んだのは韓国人で既に処刑したと語り、セりアズとローレンスは釈放したと報告します。ヨノイは俘虜長が相変わらずリストを出そうとしないので、5分以内に全員整列しろと言い、病棟の者からは死人が出ます。ヨノイはヨノイを批判する俘虜長を斬ろうとしますが、セりアズはヨノイの前に立ち、彼の両頬にキスします。殴る蹴るの暴行を受けるセりアズ。セリアズは首だけだして地面に埋められ、死にます。
 “4年後 1946年”の字幕。明日に処刑を控えた原の元をローレンスが訪ねます。ヨノイは死んだセリアズの髪を切って神社に奉納するつもりでしたが、その前に処刑されてしまったのでした。ローレンスはヨノイの中にセリアズが花を咲かせる種を捲いたのだと言い、別れ際、原は満面の笑みで「メリークリスマス、Mr.ローレンス!」と言うのでした。

 ところどころにワンシーンワンショットに近いシーンが見てとれたような気がします。
 
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天童荒太:文&荒井良二;絵『どーしたどーした』&大岡信『折々のうた』

2014-02-09 10:22:00 | ノンジャンル
 今日は手塚治虫さんの26回忌です。私に社会正義というものを教えてくれた手塚さんに改めて感謝したいと思います。

 さて、天童荒太:文&荒井良二;絵の'14年作品の絵本『どーしたどーした』を読みました。誰にでも「どーした」としつこく聞いてしまい、うっとうしがられている主人公の全(ぜん)が、登校途中で出会ったDVの被害者の子供に声をかけることによって、彼を救う道が開け、最後には多くの人が「どーしたどーした」と被害者の子供の部屋に駆けつけ、その子供は無事に救われ、彼から全は手紙をもらい、最後には人に「どーした」と声をかけられると痛みが半減することを知るという物語でした。多くの人が被害者の子供の部屋へ駆け付ける画面に圧倒されました。

 また、大岡信さんの'00年作品『折々のうた』を読みました。序文から引用させていただくと、「(この本は)日本の代表的新聞『朝日新聞』の第一面に、多少の休養はあったものの、20年以上にわたって毎日連載されてきた。1979年1月25日に始まったこのコラムはすでに5,000回を越えている。大岡さんは一つの短詩あるいは長詩からの数行をとり、作品の魅力を語り、難解な語句を解説する。その選択範囲は広く、伝統的な俳句、短歌から漢詩、沖縄のおもろ、18世紀の狂歌、西洋詩の翻訳にまで至る。(中略)20世紀初頭、詩歌と俳句を現代に復活させた詩人兼批評家、与謝野鉄幹と正岡子規の伝統を受け継いで、大岡信は読者が詩歌を形態で分類するという表面的区分から解放され、詩歌としての根源的統一性を見るよう求める。(中略)大岡さんは言う。「『折々のうた』で私が企てているのは「日本詩歌の常識」づくり、和歌も感詩も歌謡も俳諧も今日の詩歌も、ひっくるめてわれわれの詩、万人に開かれた言葉の宝庫。この常識を、わけても若い人々に語りたい。(中略)
 コラムが集積すると詩は二行、解説は180字に限定された。しかし大岡さんはそれを「限定」と考えず、「ほとんどの場合その制限内で書くことが一種の楽しみでさえあった。」と書いてある。本のときは解説に、30字の増加が許されたが、大岡さんは省略をいくらか展開するためにとどめ、新たな変更は行わなかった。『折々のうた』には現在では新書や文庫もあり、1992年に始まる14册のシリーズとなっている。」
 本の構成は左のページに、選ばれた詩と大岡さんの解説、右のページにジャニーン・バイチマンによるそれらの英訳が掲載されています。
 私が興味を惹かれた詩は
 「核弾頭
  五万個秘めて
  藍色の
  天空に浮く
  われらが地球
         加藤克巳」
 「留守と言え
  ここには誰も居らぬと言え
  五億年経ったら帰って来る
         高橋新吉」
でした。また湯川秀樹も詩を読んでいたことを知りました。
詩がわりに苦手な私でも、最後まで読むことができました。詩の好きな方には特にお勧めです。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/