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斎藤美奈子さんのコラムその111&前川喜平さんのコラムその72

2022-04-16 02:14:00 | ノンジャンル
 今日はちょうど、チャールズ・チャップリンの生誕130年に当たる日です。素晴らしい数々の作品を残してくれたチャップリンに改めて哀悼の意を表しようと思います。

 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず4月6日に掲載された「ハリウッドに続け」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「セクハラや性暴力を告発する「#MeToo」運動の引き金になったのは2017年、ハリウッドで発覚した大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏の性暴力事件だった。三十年間も、彼は多くの女優や自社の女性従業員に性的虐待を行ってきたのである。
 地道な取材を重ね、この件をウェブ上の連載の形で明るみに出したのは『ニューヨーク・タイムズ』紙の二人の女性記者(ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイー)だった。その経緯は『その名を暴け』という本にまとめられている。ワインスタイン氏の行為が公になるにつれ、当初は取材を拒んでいた有名女優が続々と証言をはじめたという話が興味深い。ジョディとミーガンは疑問を抱く。被害者はいったい何人いるのだろう。
 日本でも同じような動きが起きている。三月、『週刊文春』が映画監督で俳優の榊英雄氏および俳優の木下ほうか氏による複数の女性への性的行為の強要を報じたのに続き、四日には『週刊女性』が映画監督・園子温氏から性的被害を受けたという女優の告発を報道した。
 伊藤詩織さんによる性暴力の告発や財務事務次官のセクハラによる辞任といった動きはあったものの、芸能界の性加害にはまだ不透明な部分が多い。三月には映画監督有志による、性暴力に反対する声明も出された。この際、徹底解明を望みたい。」

 また、4月10日に掲載された「「明治の日」は嫌だ」と
題された前川さんのコラム。
「七日、超党派の「明治の日を実現するための議員連盟」の設立総会が開かれ、古屋圭司会長ら自民党議員に加え、立憲民主党大島敦氏、日本維新の会馬場伸幸氏、国民民主党前原誠司氏など野党議員も参加した。目的は11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称する祝日法改正案を国会に提出することだ。
 文化の日は1948年に祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と定められた。それは46年のこの日に公布された日本国憲法の理念と重なる。
 47年の教育基本法の前文は新憲法がめざす国を「民主的で文化的な国家」と謳(うた)った。文化の対義語は野蛮だ。野蛮な国は戦争をするが、文化的な国は戦争をしない。
 明治天皇の誕生日だった11月3日は27年に明治節とされ、4月29日の紀元節、4月29日の天長節などと同様、児童生徒は学校で教育勅語奉読などを行う儀式に参列させられた。「明治の日」は明治節の復活にほかならない。
 日本国憲法下の天皇は国民の総意に基づく「象徴」だが、明治天皇は「統治権の総攬(そうらん)者」であり、その権威は神話に由来していた。「明治の日」制定の策動は、天皇を神格化し「神国日本は故人を超越する」という観念を国民に植え付けようとするものだ。そんな祝日は嫌だ。「文化の日」を守ろう。」

 そして、4月13日に掲載された「曲がり角の年齢」と題された斎藤さんのコラム。
 「「39歳」。三月末に最終回を迎えるまで・Netflixで人気上位を占めて以降親友で、現在アラフォーの女性三人組を軸にした恋愛ヒューマンドラマ、と紹介されていた。
 年頃の女性三人の物語は一種の定番。古くは山田太一の脚本による「想(おも)い出づくり。」(1981年)が思い出される。古手川祐子、田中裕子、森昌子の三人を主役にしたドラマでは二十四歳が人生の曲がり角の年齢に設定されていた。
 最近でいれば日本テレビ系「東京タラレバ娘」(2017年)だろう。吉高由里子が売れない脚本家を、榮倉奈々がネイリストを、大島優子が父の居酒屋を手伝う看板娘を演じたこのドラマでは三十歳(原作のマンガでは三十三歳)が崖っぷちの年齢とされていた。
 女性が結婚や仕事で踏み迷う年齢は三十数年で二十四歳から三十歳に上がった。それがついに三十九歳か…。と思ったのだが全然ちがった。
 「39歳」では仲良し三人組の一人が末期のすい臓がんと診断され、余命宣告を受けるのである。彼女のために女友達は何ができるのかというシリアスな課題を、物語は三人の恋愛模様や家族の感情もからめて丁寧に描きだす。陳腐な予想を超えた友情の物語。これが日本のドラマのはるか先を行くといわれる韓ドラの底力か。」

 どの文章とも一読の価値のある文章だと思いました。

和田誠監督『怪盗ルビイ』その2

2022-04-15 01:11:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

 グラリときた徹はまたまたノセられてしまう。「今度はうまくやるさ」と張り切ってしまうのだ。ニコリとしたルビイはテーブルにイヤリングを取り出す。「金儲けの近道はなんといっても詐欺よ。労力はいらないし、走り回ることもないし、お洒落だわ」と言い、2000円のイヤリングを50万円で高く売りつけようというのである。
 スタイリスト・留美が用意した衣装を身につけて大金持ちの息子に化けた徹は宝石店に乗り込んだ。母の形見のイヤリングの片われを探しているというふれこみだ。お金は幾らでも出すから対にしてほしい……そして後日、今度はルビイが乗り込む番だ。高そうなイヤリングを拾ったのだけど……宝石店の店員(斎藤晴彦)が欲にかられて買ってくれたらしめたもの。
 しかし結果はまたまたプランと違ってしまった。電卓をはじいてみるルビイ。スーツの借り賃やネクタイのお金、名刺作成代金等々大いにモノ入りの犯罪となってしまった。赤字の計算を前にガッカリするルビイ。ヘマした時に掴まるのはどちらか、と心配していた徹はホッとした表情である。だが、ルビイは負けない娘だった。「でっかいヤマはるのよ。それっきゃないんじゃない?」……
第4の犯行は豪華マンションに忍び込んで金目のものを盗みだそうおt言うのである。高級マンションだからガードは固い。鍵の型を手に入れるためのルビイと徹のアタック……管理人を巧みにダマして二人は鍵の型をとることに成功する。そしてスペアーキィを作って、ある夜二人は狙い定めていた山之内さんの部屋に入ることに成功した。
 懐中電灯の光の中に高級そうな家具調度が浮かび上がる。「やったね!」と喜んだ二人だったが、とんだトラブルが待ち受けていた。緊張しきった徹がトイレに駆け込んだのだが、出ようとした際、ポロリとドアのノブがとれてしまい、ぶつかっても蹴飛ばしても、ドアはビクともしないのだ!
 何か道具がないとダメね、とルビイはつぶやき、「すぐ戻ってくるわよ」お言い残して部屋から出ていった。手の打ちようがなくトイレの中でオロオロしている徹。ところが、山之内さん(木の実ナナ)と愛人(岡田眞澄)が突然帰ってきたのである。肝を冷やす徹。しかし山之内さんたちは開かないドアに文句を言いながら寝入ってしまう。
 やがてルビイがやってきた。知恵と機転を利かせて正々堂々正面から、ドアの修理人の格好をして山之内宅を訪れ、徹を救い出したのだ。「よく助けにきてくれたね」と感謝する徹。あきれ顔のルビイ。
 ことごとく犯罪計画が未遂に終わってルビイのプランは止まったかに思えた。ところが彼女はもっと難題の犯罪を徹に依頼したのである。それはルビイの恋人がからむものだった。最初は嫌がった徹だが、やはり彼女のために腰を上げざるをえない。そしてそれは徹一人っきりでやらねばならない“犯罪”だった。ルビイが恋人に書いた別れの手紙を、恋人の郵便受けから盗んできてほしいというのだ。前日の行動を目撃した中年女性(富士真奈美)の通報を受けて、待ち受けているパトカー、警察署━━だが徹はそれとも知らずに出かけていく。徹は現行犯で捕まり、署に連行される。
 徹は手紙の中には菌が入っていて、封を切って中の紙に触れると必ず死んでしまうと警察で話す。鑑定員(名古屋章)は調べた結果、本当に「カンケチワ」という菌に手紙が汚染されていたと言い、徹を解放してあげる。ルビイの部屋を訪れた徹に、ルビイは「犯罪はわりに合わないわね。もっと他のことをしましょうか?」と言って、徹にキスしてくる。キスを返す徹。二人は窓から夜空を見上げて、徹がルビイに星や星座の名前を教えてあげているのを俯瞰で撮り、映画は終わる。

 なんともチャーミングでお洒落な映画でした。第4の犯罪の前に、ルビイの部屋で二人が歌うミュージカルシーンも魅力的でした。小泉今日子の代表作の一つとなると思います。

和田誠監督『怪盗ルビイ』その1

2022-04-14 01:19:00 | ノンジャンル
 和田誠監督・脚本の1988年作品『怪盗ルビイ』をWOWOWシネマで観ました。
 パンフレットの「ものがたり」に加筆修正させていただくと、
「夏も過ぎようとしていたある日の朝、彼女は突然陽の光の中から彼の前に現れた━━
 彼、林徹(真田広之)はダイレクト・メール等を扱う会社アイワ・メール・システムに勤める平凡なサラリーマン。東京郊外の小綺麗なマンションで時たま近所の美容院の手伝いに出る母と二人きりの生活を送っている。いつものように遅刻して出勤しようとした彼に上の方から声が掛かった。徹の部屋の真上に彼女(小泉今日子)が引っ越してきたのだ。仰ぎ見る陽光の中から現れた若い女は小柄だが長い黒髪の美女。スルリと人の心の中に飛びこんでくるようなキャラクターの娘だった。そして、引越しのドサクサにまぎれて徹がこぼれていた彼女の水着写真をそっとポケットに入れてしまったことから、彼の平穏だった日々は大いなる変貌をとげることになってしまった。
 彼女の名前は加藤留美。仇名は“ルビイ”で職業はフリーのスタイリストということだ。━━ところがある日、ルビイは徹にビックリするようなことを打ち明けた。なんと自分の本業は犯罪者だというのだ。━━思わず、「どんな犯罪?」と聞いてしまう徹。「さしあたって泥棒ね」とルビイ。「お金のため?」「そ、でもそれだけじゃないわ。よくわからないけどサムシングがあると思うの。協力して!」と迫るルビイ。自分は犯罪者向きじゃないと逃げ腰になる徹にルビイの鉄槌が下された。「私のもの盗ったことなかった?」━━グウの音も出ない徹。「あなた素質があるのよ」とキッパリ宣告したルビイは、さっそくある完全犯罪のプランを切り出した。
 ターゲットは良い物ばかりを扱って小銭をためこんでいそうな食料品屋。親父(天草英世)一人の店だから“仕事”もやりやすかろう……。
 食料品屋の店構え、親父の行動を念入りに調査・研究した結果、売上金がまとまって親父が銀行へ持って行く時を狙うのが一番、とルビイは結論づけた。そして“襲撃”に必要なのは自転車の行動力━━徹が憮然とした表情で言った。「ぼく、自転車乗れない」。さすがに一瞬絶句したルビイだがすぐさま日曜日に猛特訓を命じる。決行の日は徐々に近づいてきた。その日を前に悪夢にうなされてしまう徹。
だが、彼の心配をよそに、ちょっとした手違いはあったものの計画は成功して、狙っていた親父のバッグは“怪盗ルビイ”と徹の手に入った。しかし……バッグの中身は予想を大きく裏切って収穫はほぼゼロ。調査や行動に使ったお金を換算すると収支は赤字になってしまった。何やらホッとしてしまう徹だが、ルビイはてんでメゲない。
「私たちは大犯罪者よ。こんなはした金じゃプライドが許さない!」とすぐに第2のプランを徹に打ち明けた。
「今度は確実にお金のあるところを狙わなくちゃね。確実にあるのはどこ?」「銀行!」「そうよ。今度は銀行を襲う。計画はもう立ててあるから」
 話を聞いて思わず飛び上がってしまう徹。だがルビイは映画みたいにギャングまがいのことはしあんくていい、簡単に、スマートにお金を手に入れる方法があると言う。再び始まる調査と研究の日々。徹にとってはまた悪夢に悩まされる毎日となる。「お前、何か悩みがあるんだったら話しておくれ」と心配した母が言うが、こんなことは話せるわけがない。そして遂に犯罪決行の日となった。
 心臓が爆発しそうな徹に比べ、ルビイは度胸満点だった。しかし今回も徹のちょっとした手違いから、襲撃は徒労に終わってしまう。
 でも、ルビイはあきらめなかった。「今度こそヘマはやんないからね」と第3の犯行プランを徹に話そうとするのだ。
 ちょうどその頃、徹はルビイにはずっとつき合っている恋人(陣内孝則)がいることを知ってしまっていた。また会社では年上だが色っぽいOL(伊佐山ひろ子)が徹をデートに誘おうとする一幕もあった。
 逡巡する徹。今度のプランは一人じゃ出来ないと迫るルビイ。「留美さんにはパートナーがいるんだろ…彼は君が犯罪者だってこと知ってるの」と徹。「知らない筈よ、言ってないから。打ち明けたのは、あなただけだったんだから」持ちルビイ。

(明日へ続きます……)

中島みゆき『劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016』&ヴィム・ヴェンダース監督『ベルリン 天使の詩』

2022-04-13 00:20:00 | ノンジャンル
 中島みゆきさんの『劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016 歌旅~縁会~一会』を「あつぎのえいがかんkiki」で観ました。彼女の圧倒的な声量に、完全にノックアウトされました。

 また、ヴィム・ヴェンダース監督ペーター・ハントケ脚本の1987年作品『ベルリン 天使の詩』を「あつぎのえいがかんkiki」で再見しました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」を修正加筆させていただくと、
「東西を壁に分断されたベルリンの街を、塔の上から男性の天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)ともう一人の男性の天使が見下ろしていた。彼ら天使は人間の心の声に耳を傾け、寄り添っていたが、目に映る世界はモノクロだった。
 ダミエルは街のあちこちを散策しながら、その日にあった出来事を親友のカシエルと情報交換するのを日課としていたが、霊としての永遠の存在に疑問を感じ、人間の持つ感覚に憧れていた。
 ある時、ダミアンはサーカスのテントを訪れると、中では団員のマリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)が空中ブランコの練習をしていた。ダミアンが彼女に見入っていると団長が現れ、サーカス団が破産したため、今夜のショーを最後に解散すると告げる。むなしさにかられ、不安や絶望、孤独な思いを心に浮かべて愛を求めるマリオンにダミエルは惹かれていく。
 ダミアンが見守る中、失敗するかもしれないという死への恐怖に打ち勝って最後の演技を成功させたマリオンは、ショーが終わるとひとりライブハウスへと向かう。彼女に寄り添っていたダミアンは込み合う会場の中で踊るマリオンの肩に手を触れる。その夜、彼女の夢の中に天使の姿をしたダミエルが現われ、彼女は孤独な思いから解放される。
 街のコーヒースタンドでダミエルは俳優のピーター・フォークに出会う。見えないが存在を感じる、というピーターは、ダミエルに天使では経験できない、人間としての喜びを話して聞かせ、人間の世界へ来ることをすすめる。そして友達だという彼が差し出した手にダミエルも応え、2人は握手を交わす。
 翌日、カシエルとともに散策していたダミエルは、マリオンに恋していることを打ち明け、人間になる決意を告げる。正気を疑うカシエルが振り返ると、そこには天使ではつくはずのない足跡があり、気づくとダミエルはカシエルの腕の中で天使としての最期を迎えていた。
 空から落ちて来た天使の鎧が頭にぶつかって目を覚ましたダミエル。頭の痛みにふと手をやった彼は、手についた血の赤い色に初めて色彩のある世界を実感して感動する。ピーターに出会ったコーヒースタンドで初めてコーヒーを口にすると、彼に会いに撮影所へ向かう。ピーターと再会したダミエルは、ピーターも元天使だったことを知り、人間としての教えを請おうとするが、ピーターは自分で見つけるよう言い渡す。
 人間となった彼はなかなかマリオンを見つけ出すことができないでいたが、カシエルが近くにいることを感じている彼は絶対に出会えるという確信があると告げる。マリオンを探して街をさまよっていたダミエルは、以前彼女が訪れたライブハウスで演奏していたロックバンドのポスターを目にし、ライブ会場に向かう。そこで吸い寄せられるようにダミアンに近づいたマリオンは、彼が夢に見た天使だと気づき、再会を果たした2人は運命に導かれるように口づけをし、抱きしめ合う。
 空中ブランコの練習をするマリオンを手伝う彼のそばには、今も2人を見守るカシエルの姿があった。」

 映画には「子供が子供であったころ、不思議に思った。私がなぜあなたではないことを。ここではなくなぜそこなのだということを」というナレーションが繰り返され、映画にアクセントを与えていました。今から35年前の作品であるにも関わらず、古臭さは一切感じず、私自身が年を取ったこともあり、逆に初公開当時より、新鮮に、そして深く見ることができました。ヴェンダース作品では一番ロマンチックな映画で、ブルーノ・ガンツの代表作でもあり、恋人と見に行くことをお勧めします!

オオタ・ヴィン監督『夢みる小学校』

2022-04-12 17:14:00 | ノンジャンル
 オオタ・ヴィン監督・製作・撮影・編集の2021年作品『夢みる小学校』を「あつぎのえいがかんkiki」で観ました。
 パンフレットの文章を一部加筆省略して転載させていただくと、
「教室に張られた時間割に大きく書かれているのは「プロジェクト」の文字。体験学習のことで、授業の6割ほどはその時間に当てられています。衣食住をテーマにした5つのプロジェクト(中略)から、好きな活動ができる場所を自分のホームルームに選び、1年間在籍します。年齢別のクラスは存在せず、「小1」も「小6」も一緒。(中略)
(中略)プロジェクトで、子どもたちが問題にぶつかると、まるで小さな科学者のようにじっくりと向き合い、解決しようとあれこれと試し、確かめる時間を大人たちによって守られています。(中略)
「基礎学習」ではプロジェクトから派生した知識を整理していきます。学校の教育目標は「自由な子ども」。それを実現するために、1,自己決定の原則(子どもがいろいろなことを決める)、2,個性化の原則(一人ひとりの違いや興味が大事にされる)、3,体験学習の原則(直接体験や実際生活が学習の中心)の3つを基本方針にしています。
 この学校にいわゆる「先生」はいません。教師は、ふかてぃ、まるちゃんなどのニックネームで呼ばれています。子どもたちを教え、導く存在ではなく、子どもたちとともに歩む「アドバイザー」「お助けマン」的な存在です。
 個々の体験には点数がつけられません。(中略)
映画の主な舞台は、山梨県南アルプス市にある南アルプス子どもの村小学校。晴れた日には富士山が見え、敷地内に飼われたヒツジやニワトリの姿も見えのどかな光景が広がります。ここに通うのは、小学生約140人、中学生約60人。2棟の校舎のほか、体育館そして3棟の寄宿舎もあり、小学校と中学校の共用です。
 映画の撮影時のプロジェクトは「むかしたんけんくらぶ」「おいしいのをつっくる会」「アート&クラフト」「クラフトセンター」「劇団みなさん」の5つ。それぞれのプロジェクトは20人前後、2人以上の「おとな」が担当しています。オオタ監督も、一年間この学校に撮影のために通いました。
南アルプス子どもの村中学校の加藤博校長は、こう語ります。
『ごにかく学校は楽しいだけでいいんだ、というスタンスで、職員は働いています。世の中の人たちは、「がんばれ、がんばれ」と常に言うんですよね。だけど、「がんばらなくていいよ」というメッセージをあえて送る必要もあると思います。
 この学校は、子どもたちも自由ですが、おとなたちにも自由があります。プロジェクトの進め方は、担当するおとなたちの裁量に、かなりの部分が任されているのです。ここは、子どももおとなたちの裁量に、かなりの部分が任されているのです。ここは、子どももおとなも、楽しい学校です。卒業していく子どもたちを見ていると、楽しいことをたくさんできた子のほうが、その後もすごくのびのびと自分の人生を歩んでいると確信しているからです。』」。

 やはりパンフレットから、実際に自分の子どもを南アルプス子どもの村小中学校に通わせている作家の高橋源一郎さんの言葉。「(子どもたちをこの学校に通わせることになった)決め手は、子どもたちの「自由」を尊重してくれるところ。特に、感心したのは「入学を祝う会」。会場の子どもが並んでなかった。行事の時に整列させないんですね。整列すると前が見えないから。つまり合理的な思考なんですよ。普通の学校のシステムは不合理です。(中略)
 自由を尊重するのは、正直言って難しいことです。なかなか理想通りにはいかない。だからこそ「理想」がある。つまり、この学校は、高い目標があって、常に上を向いてそこを目指しげいるということなんですね。それは、なかなかできないことです。」

 私が一番感動的だったのは、小学校の高学年たちがグレタさんの活動に触発され、気候変動を止めるための事案を考えていく場面、「卒業を祝う会」で、一人の女の子が「みんなでレボリューション(革命)と叫ぼう!」と言い、「せ~の」の音頭の後、生徒がみんなで「レボリューション、レボリューション」と叫ぶ場面、一人の先生の「人間みな発達障害なんですよ。ジョブズ、エジソン、アインシュタインらは皆、発達障害でした。今の世の中に適性を求めること自体がナンセンスなんです」と発言する場面、エンディング・タイトルのブルー・ハーツのノリノリの音楽などなどでした。
 自由にものを学べる場を、子どもたちがどれほど求めているのかが分かる映画です。小中学生を子に持つ親に、そして学校の先生たちに特に見てほしい映画でした。