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濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』その2

2022-04-11 00:01:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

「助手席でご覧になりますか?」「…いや」変わらない速度計、滑らかな車線変更━━。「カセットテープを再生してくれないか」家福はみさきに言うと、いつものように『ワーニャ伯父さん』の台詞を暗唱し始める。
 瀬戸内の海に臨む宿。2階の窓から外を眺める家福は、下にいるみさきに「明日の朝、8時に来てくれ。早くて申し訳ない」と言う。
夜。オーディションの書類に一枚ずつ目を通す家福は、様々な国の役者の顔が並ぶなかに、かつて音から紹介された高槻の写真を見つけ、手を止める━━。
 翌日、オーディション会場。日本人の女性と、フィリピン人の男性の役者がそれぞれの母国語で『ワーニャ伯父さん』のワンシーンを演じている。台詞のタイミングが合わず、困惑する日本人女性。「OK.ありがとう。サンキュー」と家福。
 家福が、次の参加者を会場に呼び込む。女性(ソニア・ユアン)に続いて、高槻が扉を開けて入ってくる。「(英語で)ジャニス・チャン。台湾人です。母語は北京語。エレーナ役を希望します」「高槻耕史です。アーストロフ役を希望します」「二人は立ち上がり、演技を始める。「━━もうたくさん!」「━━いいですか。これは避けがたい運命です」熱を帯びる二人の演技。高槻は、ジャニスにキスをする。見入っていた家福は思わず立ち上がる。「そこまで、失礼。ありがとう。サンキュー」
「次が最後です。少し変わっています」家福の隣に座るユンスが囁く。女性(パク・ユリム)が入ってくる。椅子に座ると、手話で話し出す。「イ・ユナさん。韓国手話を使うと自己紹介されています」韓国手話の分かるユンスが通訳をする。「━━大切な、たった一人の私の伯父さん。お願い、返して。あたしたちのことを想って悲しみを耐え抜いて」手話で表現しながら、涙をこぼしてソーニャ役を演じるユナ。
 オーディションの結果発表。役者が集められ、家福が配役を伝える。「セレブリャコフ:ロイ・ルセロ、エレーナ:ジャニス・チャン、ソーニャ:ユナ、ワーニャ:高槻耕史、アーストロフ:リュウ・ジョンイ……」「すみません。僕がワーニャということですか? 歳が違いすぎませんか」ワーニャ役に抜擢され、驚く高槻。「意に沿わないなら、誓約書にサインしなければいい。別の役者に役が行く」家福は淡々と答える。サインをしているまわりの役者たちを見て、意を決したように高槻もペンを執る。
連日、役者たちとともに稽古を続ける家福。本読みを終らせ、みさきが待つ駐車場に向かう。「家福さん、もしよかったら一杯いかがですか? 僕のホテルのバーとか」後ろから高槻に声を掛けられる。
みさきの運転する車で、家福は高槻が宿泊するホテルに向かう。バーでの二人の会話は次第に家福の泣き妻、音の話になっていき、例の空き巣の話になる。家福は、あこがれの同級生の男子の部屋に空き巣に入っているうち、我慢ができなくなって、半裸になりオナニーを女子生徒がしていると、そこへ誰かが入って来て、というところで話が終わっていたが、高槻はそれには続きがあるという。入ってきた男も空き巣で、女子生徒の半裸姿に刺激され、彼女をレイプしようとしたところ、女子生徒はペンを相手の目やのどに突き刺し、相手を殺してしまう。しかし翌日その男子は何事もないかのように登校してきて、殺人事件もまったく表ざたにならない。そこで女子生徒は新たに設置された監視カメラに向かって「私が殺した。私が殺した。私が殺した」と叫ぶという最後であることを家福に告げる。
 そしていよいよ演劇祭の初日も近づき、舞台稽古をしていると、そこに刑事がやって来て、高槻に同行を求める。高槻はここでその理由を言ってほしいと言うと、刑事は「×月×日×時×分頃、×の場所で男の顔を殴ったことを認めますか?」と聞き、高槻が「はい」と言うと、刑事は「その男は昨晩亡くなった。後は署で詳しい話を聞く」と言って、高槻を連れていってしまう。
 ユンスは家福に「上演を中止にするか、ワーニャ役を家福がやるかの二者選択しかない」と言い、家福は考えるのに二日の猶予をもらう。
 家福はみさきに「君が育った場所が見たい」と言い、二人は北海道へ向けて車を走らせる、2日2晩車を走らせると、雪が積もった家の残骸に付く。家はみさきが中学生の時に起った地滑りでつぶれ、1度目の地滑りの後、なんとか脱出に成功したみさきは、母を見殺しにして2番目の地滑りの前に行動をしなかったことを悔やむ。抱き合う家福とみさき。家福は「大丈夫」と囁く。
 舞台のワーニャ役は結局家福が務め、舞台は成功する。みさきはそれを見届け、犬とともに旅立つところで映画は終わる。

 ほぼ3時間にわたる映画でしたが、あっという間に見終わりました。ただ評判のわりにはつまらなかったと思いました。

濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』その1

2022-04-10 00:47:00 | ノンジャンル
 濱口竜介監督・共同脚本の2021年作品『ドライブ・マイ・カー』を「あつぎのえいがかんkiki」で観ました。村上春樹の短編を映画化した2時間59分の大作です。
 パンフレットの「STORY」に一部加筆修正させていただくと、
「夜明け前の薄暗い寝室。
「彼女は時々、山賀の家に空き巣が入るようになるの━━」ベッドの上で音(霧島れいか)は静かに話し始める。家福(かふく)(西島秀俊)は驚いた様子もなく、妻が口にするその謎めいた物語に耳を傾ける。
 翌朝、家福は愛車のサーブを走らせながら、助手席にいる音に昨晩聞いた物語を語り直す。「変な話」セックスの後に自分の話が語った話を音は覚えていない音は、笑いながらスマホに物語の要点をメモする。脚本家の彼女は、その話を作品にしようと考えているらしい。
「ゴドーを待ちながら」の舞台。演出を手掛ける家福は自らも役者として舞台に立ち、外国人の役者と異なる言語で台詞を交わす、背後のスクリーンには日本語・インドネシア語・英語が代わる代わる投影される。
 終演後、音が知り合いの役者を紹介したいと楽屋に入ってくる。「はじめまして。高槻です。奥様にはお世話になっています」音の脚本作品の常連だという高槻(岡田将生)は、彼女と親密そうな雰囲気を漂わせる。「家福さんの演出法は音さんから聞いていて、拝見したかったんです。とても感動しました」高槻は、観終えたばかりの舞台の感想を興奮気味に話す。
 早朝、ウラジオストクの演劇祭から招聘された家福は、トランクに荷物を積める。「『ワーニャ伯父さん』の上演台本、吹き込んどいた。もう要るでしょう?」出掛けに、音からカセットテープを受け取る。
 空港へ車を走らせる家福。音の声で吹き込まれた『ワーニャ伯父さん』の台詞を聞きながら家福は、ワーニャ役の部分を暗唱する。
 空港の駐車場に到着した直後、演劇祭からメールが届く。“寒波が来ており、フライトはキャンセルされました━━”ため息をつき、家福は自宅へと引き返す。
 玄関のドアを開けると、喘ぎ声と大音響で流れるクラシックの曲が聴こえてくる。そっと部屋に入る家福。裸の音が男と身体を重ねている姿が鏡に映っている。家福は気づかれないように静かに家を出ると、再び空港の近くのホテルへと車を走らせる。
「無事に着いた?」「うん」ホテルで音とビデオ通話をする家福。ウラジオストクに到着したと思い込んでいる音に、家福は何事もなかったかのように振る舞う。
 雨の日、寺。小さな女の子の写真と位牌が置かれている。喪服姿の家福と音は並んでお経を聞いている。帰り道、車を運転する音が家福に聞く。「本当は、もう一度、子供が欲しかった?」「…わからない。誰もあの子の代わりにはなれない」「私ね、あなたのことが本当に大好きなの」音の手を握る家福。
 帰宅後、家に着くなり求め合う二人。そして再び音は謎めいた物語の続きを語りだす━━。
 翌朝、「昨日の話、覚えてる?」「…ごめん」物語の続きを知りたい音をはぐらかすように、家福はありもしない用事を告げて家を出ようとする。「今晩帰ったら少し話せる?」音の言葉に普段とは違う決意のようなものを感じ取る家福。
 目的もなく車を走らせながら、音の声が吹き込まれたカセットテープをかける。「なんてつらいんだろう。この僕のつらさがお前に分かれば━━」家福はワーニャの台詞を暗唱し続ける。
 夜。家福は意を決したように帰宅するが、部屋の明かりは消えている。ふと床を見ると音が倒れている。「音、音━━」声をかけても反応がない。救急車を呼ぶ家福。
 寺。祭壇には音の遺影が置かれている。喪主を務める家福。「急ですよね。くも膜下って…」遠くで囁く声が聞こえる。次々と訪れる弔問客の中に高槻の姿が見える。高槻は悲しみを湛えた面持ちで家福に頭を下げる。
「二年後」の字幕。家福は、広島国際演劇祭から『ワーニャ伯父さん』の演出を依頼され、東京から広島へと車を走らせる。「お疲れじゃないですか?」到着した劇場エントランスで、演劇祭のプログラマー柚原とドラマトゥルク兼韓国語通訳を担当するユンスが出迎える。
 アジア各国から集まった応募書類を渡され、家福は今後のスケジュールや滞在先についての説明を受ける。加えて、柚原から演劇祭の原則で滞在期間中は運転しないよう、専属ドライバーを手配したと告げられる。「運転の時間に、僕は戯曲の台詞を確認します。僕にとって大事な習慣です」申し出を断る家福に、ユンスはテストドライブをして判断してはどうかと提案する。
「渡利みさきです」駐車場。家福の愛車の前に、キャップを被った小柄な若い女性(三浦透子)が立っている。左頬には傷が見える。

(明日へ続きます……)

四元良隆&牧祐樹監督『テレビで会えない芸人』その2

2022-04-09 03:22:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

 2019年5月1日、元号が令和に改められた。街には号外、メディアは祝賀ムード。しかし、松元は連日のマスコミ報道に違和感を持っていた。「森友学園の問題もいまだに何も解決していないのに、みなさん令和になりましたよと、リセットして前のことは忘れて…」。松元がカメラのレンズにぶつけた。「問題なのは、こういったテレビとかが煽り立てて、一緒になってやっていること。“改元なんて関係ないよ、仕事もないんだよ”という人もいるはずなんですけど、テレビはそれを流さないだろうし。だから、誰かが水を差さないといけない。そんなに騒ぐなよって。だって、何にも変わってないじゃないですか」。
 松元を支える言葉がある。「テレビに出ている芸人を、俺はサラリーマン芸人って呼んでいるんだ。テレビからクビにならないようなことしか言ってない、他の人が言えないことを代わりに言ってやるのが芸人だ。お前を芸人と呼ぶ」。言葉の主は落語家・立川談志。「最高に嬉しかったですね、この人が言ってくれたんだから、よし、芸人になろうおt思ったんです」。コメディアンのすわ親治さん(66歳)が松元の自宅に招かれた。ザ・ドリフターズのステージにも立ち、志村けんは兄弟子にあたる。松元とは、鹿児島実業高校の同級生だった。酒を酌み交わし、懐かしい話に花が咲いた。「すわが入って、堅いことを言っているなかに庶民の笑いも出てきたら、みんなが笑ってくれた。俺たちはそれがほしかったんだ」。「ザ・ニュースペーパー」でともに活動し、テレビでもブレイクしたが、その後2人は脱退することとなった、すわさんはこう振り返るl「テレビはスポンサーがいる。言い換えなどを求められ、牙を抜かれて何も毒がなくなっちゃった.“じゃあいいです。うちは舞台で勝負しますから”って、一貫性があればよかったんだけど…」。松元もうなずきながら、「俺、一人になって、カミさんと二人だけだから、好きなことを言おうと思って」。「いいよ、好きなことやった方が」とすわさんが応えた。別れ際、駅の改札前、「ありがとう、がんばって」と互いに声を掛けあう。
9月3日。松元はいつものように稽古に励んでいた。話しているのは、先月に亡くなった杉浦正士さんのこと。「ザ・ニュースペーパー」の仕掛人、芸能事務所の社長である。松元は入院していた杉浦さんの元を何度か訪ねていた。ほとんど意識のない状態だったが、松元の言葉にまばたきで応じたという。杉浦さんのことを語っているうちに、どろどろとしたものがフッと浄化されたという。「いろんな人のおかげで今の自分があるなと思ってね…」。(中略)
 松元には、永六輔から託されたものがある。2016年3月、永が亡くなる4ヶ月前、ラジオ番組「六輔七転八倒九十分」(TBSラジオ)に招かれたときのこと。闘病中の永はスタジオにはいなかったが、松元へのメッセージを番組に預けていた。「ヒロくん、9条をよろしく」。松元が20年以上も続けている演目「憲法くん」は、日本国憲法を擬人化した一人芝居だ。「こんにちは、憲法です。わたしがリストラになるかもしれないという噂を耳にしたんですけど、ほんとうですか?」。日本国憲法の成り立ちなどをユーモアを交えて語っていく。「どうしてわたしを変えるんですか?! そしたら言われましたよ、“現実”に合わないからだよと。だけど、変ですよね? わたしって“理想”だったんじゃないでしょうか」。松元は観客一人ひとりを見つめて、日本国憲法前文を滔々とそらんじる。そして最後に語りかける。「わたしをどうするかはみなさんが決めることです。わたしは、“みなさんのわたし”なんですから。“わたし”を今日のみなさんに託しましたよ」。
 2021年春の公演。新型コロナウイルスが猛威を振るい、政治や五輪に世間が翻弄されるなか、松元は変わらず、弱者の立場から政治や社会をそしてメディアを鋭く斬り続けていた。痛快な風刺に、会場がどっと笑いで包まれる。しかしそれだけではない。松元の笑いには、不思議なやさしさがある。
「いわゆる多数派は“世の中の空気を読めよ”って言う。テレビは本当に空気を反映しますよ。でも、空気を反映して戦争になったこともあったんです。世の中の空気を読むんじゃなくて、“ちょっとおかしくないのかい?”って、本当は言うべきなんですよ。“このカメラ”も、本当はそういうのを映し出すものなんですよね」。

 とても面白く、また現在の与党の横暴さをユーモラスに指摘している痛快な映画だったのですが、欲を言えばもっと舞台のシーンを見てみたかったです。

四元良隆&牧祐樹監督『テレビで会えない芸人』その1

2022-04-08 01:47:00 | ノンジャンル
 四元良隆&牧祐樹監督の2021年作品『テレビで会えない芸人』を「あつぎのえいがかんkiki」で観ました。
 パンフレットの「ストーリー」に加筆修正させていただくと、
「鹿児島テレビ放送の副調整室、いわゆるサブ。複数のモニターに映し出されたのは、芸人・松元ヒロ(66歳)。かつては数々の番組に出演し人気を博したが、今、テレビで彼を見ることはできない。松本ヒロは、なぜ「テレビで会えない」のか? 「今のテレビは気楽に見られるもののほうが好まれる…」「やっぱり際どいネタを扱っているからでしょう…」「社会の“空気”なんですかね…」「クレームとかトラブルとか…まあ予防線は張っておきたいという…」。そう話す声の主は、報道制作局長、制作担当局長、制作部長といった鹿児島テレビの現場を取り仕切る幹部たち。
 松元の舞台は年間120本。毎年春と秋に開催するソロ公演「ひとり立ち」はいつも満員。チケットは入手困難。これほど人気があるのに、なぜ━━。2019年3月、鹿児島テレビのクルーが取材を始めた。「番組で使っていいところ、悪いところってあると思います?」と尋ねる監督に、「それを考えながらテレビに出るのがイヤなんです」と松元。この日、車で向かったのは東京・西東京市の貸スタジオ。「ひとり立ち」の春公演を数週間後に控え、稽古の真っ最中だ。「チケットは、ほぼ完売です。最初のころは本当にテレビに出たくてやっていた。今はテレビに出なくても、わたし生きていけますよ、というのがすごく嬉しいんです」。131冊目になるギャグノートにはアイデアが書きこまれ、新聞の閣僚一覧の切り抜きなどが貼り付けてある。演目は毎回、新しいネタを入れて構成され、政治など時事問題の風刺から本や映画を題材にいsたものなど多岐にわたる。
 5時間に及ぶ稽古の合間に、妻・俊子さんの手作りおにぎりをほおばる。「カミさんが作ったメシじゃないとダメなんです。食べ物は保守的」とスタッフを笑わせた、大学時代、映画のチャールズ・チャップリンに憧れた松元。パントマイム教室で俊子と出会い、26歳のときに結婚。経済的な困難も二人で乗り越えてきた。1983年、31歳でコミックバンド「笑パーティー」を結成し、テレビ番組「お笑いスター誕生!!」ではダウンタウンなどを抑えて優勝。37歳のときに立ち上げた社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」では、日々のニュースを笑いに変え、テレビにも出演した。しかし、一人息子の大地さんはいつの間にか松元が出る番組を見なくなっていった。「どうせ同じことをやっているだけなんだし」。そんな息子の一言が松元を変えた。「息子に胸を張れない仕事はよくない」。テレビで面白いことをただ言うだけだったら自分じゃなくてもいい、もっとはっきりとモノを言いたいと、46歳のときに独立。松元のソロ活動に俊子さんも協力した。「最初から信念や思想があったわけじゃないんです」と夫婦二人、笑ってみせた。
 松元が舞台直前に必ず足を運ぶ場所がある。東京・渋谷ぬある理容室「ウッセロ」。店の壁に額に入った永六輔の言葉が飾ってある。「生きているということは誰かに借りをつくること 生きてゆくということはその借りを返してゆくこと」。「ザ・ニュースペーパー」を観た永が、松元を自身のラジオ番組に呼んだ。テレビ創成期から活躍した永だったが、晩年はテレビから距離を置き、旅をしながらラジオを中心に活動を続けた。その永が常連だった店で散髪してもらう松元。「いつもこれで自信をもって舞台に立てるんです」。
 迎えたソロ公演の初日。東京・新宿の紀伊國屋ホールに向かう車中、ハンドルを握る松元にネタで笑いにすることの境界線を訊くと、「人間性の否定はしたくない。でも、権力者が弱者を笑うなら、弱者の立場からその人を笑いたい。そういう意味では覚悟をもっています」と答えた。この日の400席も完売。会場内は、松元のステージを楽しみに待つ大勢の客で賑わっていた。幕が上がった。大きな拍手が松元を迎える。松元が政治や社会情勢を小気味よく斬るたびに会場は沸き、麻生太郎のモノマネをしながら連発するジョークに何度も拍手と笑いが起きる。続いて、今回のメイン、ノンフィクション「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(渡辺一史)を題材とした演目へ。本番直前まで、どう表現すべきか苦悩していた演目だ。「必要なことは人に手伝ってもらうこと。健常者だって、みんな、助け合いながら生きているだろう!」。松元が発する主人公のセリフは力強く、最終稽古のときの迷いは微塵も感じられない。会場に溢れる温かな拍手を背に、舞台を後にする。楽屋には、息子・大地さん(39歳)の姿があった。父の仕事について、「他にはいないから何をしているか説明しづらいけど、そんじょそこらのお笑い芸人よりは誇れます」と話した。

(明日へ続きます……)

斎藤美奈子さんのコラム・その110&前川喜平さんのコラム・その71

2022-04-07 00:11:00 | ノンジャンル
 伊藤彰彦氏の2016年作品『映画の奈落 完結編』を読みました。深作欣二監督作品『北陸代理戦争』の脚本を書いた高田宏治と主人公のモデルだった川内弘についての本でしたが、念入りな取材と、それをうまくまとめあげた点で評価されていい本だと思いました。

 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず3月23日に掲載された「男女別出席簿」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「本紙連載大型企画「ジェンダー平等/ともに」を楽しみに読んでいる。二十日の一面と社会面に掲載された記事も盲点をつくものだった。
 〈「男女別」出席簿まだ一部で 小学校6.8%、中学は25.3%〉
 首都圏の小中学校の男女混合出席簿の普及率を調べた記事で、そんなのとっくに100%達成されているだろうと思っていた私には意外な内容だった。都内では小学校の混合出席簿導入率が9割を超える一方、中学校で導入ゼロの自治体が十六。埼玉県川口市と千葉県船橋市では小中学校ともに導入率15%未満というのが目を引く。
ジェンダー平等の達成にとって、自治体ごとの差を数値化、見える化するのはきわめて有効な手段といえる。八日に初めて発表された「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」はそのお忌みでかなりおもしろい試みだった。行政分野のトップ5は鳥取、徳島、市が、島根、岐阜。教育分野のトップ5は広島、神奈川、石川、高知、岡山で、必ずしも「進んだ都会/遅れた地方」という結果になってはいないのだ。
 ちなみに埼玉県の教育分野のランキングは47位、千葉県は36位だった。出席簿の問題も他の自治体と比較されたら、いずれ放置できなくなるだろう。混合出席簿は平等教育の基本中の基本。他県の導入率も知りたい。」

 また、3月27日に掲載された「ヤジと民主主義」と題された前川さんのコラム。
「25日札幌地裁で、公道でヤジを飛ばした人を警察が排除したことを違法として賠償を命じる判決があった。2019年参院選で安倍首相(当時)の街頭演説に向かって「安倍やめろ」とか「増税反対」と叫んだ人たちを北海道警察の警察官たちが拘束し排除した。これが人身の自由と表現の自由を侵害する行為であることは明らかだ。当然の判決である。
この事件については北海道放送が製作した「ヤジと民主主義~小さな自由が排除された先に~」という優れたドキュメンタリー番組がある。今もユーチューブで見られるが、ヤジを飛ばした人を直ちに警察が排除する様子は歴然としている。「もめ事になる可能性がある危険な事態だった」という警察の主張に根拠がないことは明らかだ。
恐ろしいのは、ヤジを排除した警察官たちに何のためらいも疑念も感じられないことだ。彼らはただ上司の命令に忠実なだけだ。しかし国民の命令である憲法は上司の命令より上位にある。いくら上司い命じられても、人間の自由は決して侵してはならない。
 今のロシアでは「HET BONHE(戦争反対)」と口にするだけで警察に拘束される。これはよそ事ではない。日本の警察もロシアの警察のようになりかけている。日本の警察を憲法に従う組織に作り直さなければならない。」

 そして、3月30日に掲載された「論理国語と文学国語」と題された斎藤さんのコラム。
「新年度から高校の国語教育が変わる。
 従来の国語総合」に変わり、新しい必修科目は論理的・実用的な文章を扱う「現代の国語」と、文學に特化した「言語文化」に分けられる。2023年度以降の登場する選択科目も「論理国語」や「文学国語」に再編されるのだそうだ。
 批判の声は多い。受験対策上「論理国語」が優先されるのは必至。このままでは文学作品にふれる機会が減るばかりだ。そもそも「論理国語」と「文学国語」を分けたりできるものなのか。
 私は文章指南書界の長い論争を思い出した。
 発端は、谷崎潤一郎が『文章読本』で「私は、文章に実用的と芸術的の区別はないと思います」と書いたことだった。これはなかなかの爆弾発言で、以来、文章読本の書き手はみな谷崎に反発し「区別はある」と主張してきた。本多勝一『日本語の作文技術』は、文學的文章として詩歌・純文学・随筆・大衆小説を、事実的文章として論文・批評・解説記事・新聞記事をあげている。
 たしかに詩歌と新聞記事とではテイストが異なる。が、そのテイストの差は両方知っていないと区別できない。谷崎潤一郎の主張は今から思うとラジカルだった。詩歌も小説も評論も、多様な文章を雑食させてきた日本の国語教育もラジカルだった。論理性と文学性は両立する。当たり前の話だろう。」

 どれも一読に値する文章だと思いました。