どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

責任転嫁

2004年11月14日 | 日記
お酒を飲みながらの読書は、いつも失敗に終わる。

頭に描いているのは、ブランデーグラスを回しながら、分厚い本の頁を繰る姿。

悪いのは、飲み物だと気づいた。ビールじゃ、チビチビってわけにはいかない。

ガーッと飲んで、横取りされる心配もないのにつまみもムシャムシャと平らげ・・・

気がつけば、開いた本は2,3ページ読んだだけで眠くなっている。

ワインにしてみよう。

半分ほど空いてくると、もう少しいいよね、と自分と相談。

3分の2ほど空いてくると、どうしようかと思う。

気が抜けず、読書どころではない。

全部空けたら、完全に寝てしまう。

やっぱり、読めない・・・

ひょっとしたら、大きな机と壁面いっぱいの書棚がある、書斎と呼べるような部屋が無いせいかもしれない。

7畳の寝室の他に、6畳の勉強部屋。これを、書斎と呼べるだろうか。

書棚の上には靴箱が積んであるし、机だって中学時代からのものだ。

第一、机の前に座って読書はしてないし・・・

それに、御用はありませんか、と訊きに来るバトラーもメイドもいない。

父親をバトラーと呼び、母親をメイドと呼べるのならば、いないこともないが、

こちらが飲む頃には、しっかり寝ている。

仮に呼んだら、明日からダンボール・ハウスで暮らすことになるだろう。

そもそも、蔵書と呼べるような分厚い本も持ってはいないのだ。

私が、お酒を楽しみながら読書をすることに失敗するのは、これらの理由のせいに違いない。
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東京散歩(其の伍)

2004年11月14日 | 日記
震災慰霊堂は、橋を渡るとそぐそばにあった。

可愛い忠太の鳥たちが、屋根や廂に止まっている。

慰霊堂の中に入ってみた。

一人の老人が、お線香をあげて手を合わせていた。

今年81歳になった父は、震災の10日前に東京で生まれた。

その時、祖母はどうしたのだろうか。

父は、自分の母親に尋ねたことがあるが、あまり多くを語らなかった、と言っている。

冗談で、きっと俺はひどい扱いを受けたのだろうと言うが、命があったことには感謝しているようだ。

亡くなった人の御霊に合掌。

外に出て、あらためて忠太の鳥たちを仰ぎ見る。

魂を守る鳥たち、魂を黄泉の世界へと運んでくれる鳥たち、そんなふうに見えた。

さて、いよいよ喉の渇きを癒す時がきた。

人は、私が一人で散歩をすることに、淋しさを感じるらしいが、全くそんなことは無い。

いつ、どこでやめようが、どこまで足を延ばそうが、どこで休もうが、どこで寄り道しようが、

すべて自由。自分との会話で決めていける。

中華料理を食べる時は、友達と一緒のほうがいいけれど。それに、お酒を飲みながらの馬鹿話も。

だが、買い物と散歩は基本的に一人がいい。

散歩の間の、ちょっとした思索も楽しいものだ。

さあ、ビヤホールに到着したぞ。―続く―
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