どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

頑張る背中

2007年07月07日 | 日記
先日の朝の通勤電車の中でのこと 小学生にその母親が話しをしている

小学生は女の子で2年生くらいだろうか 某有名私立大学付属小学校だと制服から判る

昔 ある幼稚園でお入学を巡っての殺人事件があったが その小学校だ

おそらく 学校までの見送りなのだろう

なにやら 母親がある行事への反省を娘に促しているようだった

人って不思議だね 背中だけしか見えなくても頑張ってるかどうかって判るんだよ

なんて言ってる

そう言われているということは その娘は頑張ら(あるいは 頑張れ)なかったのだろう

口調はきつくは無かったが あ~このお母さんは教育熱心なんだろうなぁ~と思った


長い人生には頑張れない事もあるし 姑息にも頑張ってるフリをする事もある

頑張っているのに わざとそれを他人には見せない人もいるし

最近では 頑張らない事をモットーに掲げる人も多い

頑張るとは 自分のあらゆる能力を知った上で力の出し惜しみをしない事だと思う

だから あらゆる状況でそれは変化するし 昨日と今日でも違うだろう

それに そもそも好きな事には頑張ったりなんかしない そういう意識は無いはずだ


私は子供の頃 教師から頑張りやだと思われていた

高校で あんなにも頑張らない生徒となった事を知ったら 我が目の無さに臍をかむ思いだろうと思う 

先日の社長との話でも 頑張ってくれていると評価されたが それは全身くすぐったい思いである


面白いからやっている それだけの事だ

好きな自分でいたいからやっている それだけの事だ

自然体で流れるような姿に生き生きとした美しさを感じるような

そんな背中のほうが私は好きだし そういう背中の持ち主になりたいと思う


だけど 子供は頑張るべきだ

だって 己を何も判っちゃいないのだし 可能性は秘められているのだから

そして 私の年金を支えてくれ

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忘れられたお弁当

2007年07月07日 | 日記
昨日の朝 おニューのお鍋で御飯を炊いた

出来は上々♪

冷蔵庫は空っぽに近かったが なけなしの材料を総動員してお弁当を作った

サクランボも用意した

行きの電車の中で 持って出るのを忘れた事に気が付いた

慣れない事をすると こんなものだ


何でもだが 習慣になると自然と身体も頭もそう動く

練習や訓練の積み重ねが大事なのも同じである

一日休むだけで それを取り戻すのに数日かかるとプロはよく言う

だが ちょっとした機会からそれを失ってしまうことも多いものだ


習慣と思っていることの儚さや脆さは 確かにある

だから 習慣とは恐ろしいと良く言うが どんな悪習であっても意識一つで取り除く事は可能でもある

一番の問題は 悪習を悪習と意識するかどうかなんだけどね・・・ 

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