どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

前置きが長過ぎた

2008年02月09日 | 日記
父方のいとこは4人 全て弟の子供だ

母方は…はっきり判らないが(母は再婚同士の結婚で生まれたので把握できないほど^^)20人はいると思う


父は弟と仲が悪かった

父が子供の頃の事だが 近所の子供たちとグループで対決といった事態になると 父と一歳年上の兄とは勿論味方同士

ところが この弟は何故か反対のグループにつくのだそうだ

彼は 勉強は良く出来たが中学受験に失敗した

以来 不良仲間と付き合うようになったという

父に赤紙が来て戦地に行くことになった時 既に兄は南方に出征しており 男はお前だけだから頼むと言ったのに

自分から志願したそうだ(あの馬鹿者がと父は言っていた)


戦後の混乱期にさっさと女を作って(相当年上の素性の知れない女性らしかったが) 家族の心配もしない

戦死した兄の代わりに(祖父は病弱だったし)父が家族を守った

母と知り合ってから結婚まで 長く待たせたと言っていた


結婚してからも この弟は散々迷惑をかけ 何度父が助けたことか

その父のことでさえ 平気で騙すような人だった

お金が廻っている時は何様というような格好で豪遊 無くなるとホームレス同然

我が家に一家で転がり込んできたこともある

住居不定で学校にも通えない子供に それでも勉強だけはさせていたのを覚えている

どの子もよく出来て国立大学に行き そこそこの人生

長男は防衛大に行ったあと 国立の医学部に入り直した


父は自分が死んでも彼には知らせるなと言った(死の床にあってもそれは変わらなかった)

私が彼に話しかけるときは名前であり 叔父さんと呼んだことは一度も無い

叔母が知らせたのか父の死後すぐに電話があったが 内々で済ませるからご足労は及ばないと言った

すぐに彼の末娘(従姉妹)から電話があり 父の気持ちをわかって欲しいと言われた

気持ちだけ受け取ります と答えた


貴方には判っていない

どれだけ彼が私たち家族に深い傷を与えたか

家族想いの強い父は それでも精一杯の事をして 散々裏切られてきたのだ

貴方に罪は無いけれど 従姉妹と思ったことは一度も無い

覚えているかな

幼稚園からキンダーブックを持ち帰った時 私は同い年の貴方に最初に見せてあげなさいと言われたのよ

ピアノを弾くのさえ貴方たちに遠慮して 近所に知られたくなかった両親は 家の建替えで来ているのだと


母は おやつを平等に分ける

幼かった私のおやつも物置小屋で分捕るような奴だったよ 貴方の長兄はね

言う事がふるってる それが平等だと

自分が先に食べてしまって 残っている人のものを分配しようというのだ

親父譲りだね

だから きっと良い医者になってると思うよ

医療計算は最高だろう


父には お酒は美味しく飲むこと その時に政治と宗教の話はしないこと

きょうだいは仲良くすること

仕事はきちんとすること(なんでもだし 二度手間になるようなことはするなと)

それと ユーモア

それしか教わらなかった


父が死を覚悟した時 私に財産の一切を託すと書いてサインしてくれた

一人身の私を思い まさか姉は寡婦になるとは思っていなかったから 

だけど ○子にも少し残してやってくれよ そう言われた(勿論そうしたし 今後もそのつもりだ)

姉の生活と自分の生活 これは葛藤でもある

だが 決して父との約束を破る気は無い


家族っていうのは実に面白いと思う

私はこんな家族を見て それでこんな風に育ってきた

奇麗事も言いたくないが 約束も守る

父の思いを大事にしたい


ところで 母方のいとこの話

実はこれを書こうと思っていたのだが それはまた後日

前置きが長過ぎた^^
コメント
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