どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

私はこう思うし こうありたい

2009年01月23日 | 日記
以前 此処の日記に 躾という漢字は 身が美しいと書く といった内容を記したことがある


電車の中 特に朝のラッシュでの立ち居振る舞いには 誰しもが一過言あることだろう

化粧をする女性も珍しくは無くなったが それを立ったままであの混雑の中でしているのを見た時には

化粧をしない私ではあるが 驚きを通り越してそのテクニックに感心してしまった

最近は女性ばかりではない

地下鉄の通路で ジージーと音がする

何かと思って辺りを見回したら 若い男性が髭を剃りながら歩いていた

それ以後 同じ男性のジージーに何度か遭遇している


全て法律で規制されているわけではない

だから 何をしようと自由というわけなのだな

子供の頃 教室でちょっとした言い争い―特に男女間で―になると それって法律で決められているのか とか

へ~ 誰が決めたの?何時?どこで?何時何分?なんていう下らない科白が飛び交ったものだが

それは 12歳以下の子供だから許されるイノセントの世界


気取ったりすかしたり自意識過剰だったりは野暮

けれど 人ごみの中を歩く時 ちょっと我が身を横にしたり 鞄がぶつからないように抱えたり

そういう配慮って 美しくない?


同じビルの労働者とロビーで出会ったら 朝の挨拶をする

そのロビーに入って来る人が居たら エレベーターをちょっと止めて待つ

自分がボタンの傍にいたら 何階ですかと尋ねて押す

誰もが急ぐ朝だからこそだ


しなくてもよい

罰則は何ひとつ無い

ただあるのは お互いに気持ちが良いだろうということだけ


こんなことを言いたくなったのは 帰りの電車で そこそこの老紳士がスポーツ紙を読んでいて

ラッシュというわけでもなく 折り畳んでいたから それはそれでいいのだが

ふと見たら 彼が読んでいたのは明らかにその手の新聞によくある小説のところだった

別に小説自体に何の異論も差別も無いが それはこっそり何処かで読んで欲しいなぁ と思ったわけで

見栄を張れとは言わないけれど 私にはカッコ悪いことに見えてしまうのだ


冴えない容貌でも 振る舞いの美しさでイイ男(女)に見えることもある

どんなに容貌に気遣い 高価なものを見につけようとも それゆえ一層貧相な人格を見てしまうこともある

何がカッコイイかは 人によって違うだろうけれど 私はこう思うし こうありたいと思う
コメント
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