昨年のことだが 友人と飲んでいた時に 話が大学時代のことになった
友人が私と最初に言葉を交わしたのは校舎のスロープのところだったのを はっきりと覚えている と言い出した
続いて彼女の家出事件にまで話は発展し ちょっと酔っていたのだろうか あの時の恩は一生忘れないと
その事件は 今では大笑いなのだが 卒業後に起こった
当時の私は悩み多く 家族間のことも自分自身の人生も袋小路といった感じだった
姉と二人で部屋を借りて生活するという今では何の不思議も無いようなことを やっとの思いで両親に話す
父は 此処に家があるのに何で家を出るのだ と かなりのショックと怒りと寂しさを顕わにした
それでも まとまったお金を私たちに用意してくれた(その必要は無かったのだが これが親の愛なのだろう)
そうして姉との二人の生活が始まった矢先のことだった
友人が両親と喧嘩をした
聞けば 化粧道具のセットをローンで購入したという
働き始めたばかりでの分割払いに 親は経済観念の無さを責めたのだ
確かに私の親の世代ならば よほどの大きな買い物以外には ローンも借金
私も未だにカードも持たず 分割で物を買った事が無いくらいだ
もう家を出るから しばらくおいて欲しいと言う
姉もこの友人とはすでに顔見知りであったし 自分たちだけの生活にウキウキしていたところだったので
二人も三人もどうってことない という 半ば合宿気分だった
私と友人は 朝仕事に行く
自営業の姉は午後からで 夕方帰る私たちが夕食の支度をして姉の帰りを待つ
勿論彼女から生活費を取ったりはしなかった
時々 彼女も仕事帰りに食材を買ってくることもあった
そんな生活が2週間ほどだったか 続いた
友人のお姉さんが時々様子を見に部屋に寄り 両親との橋渡しをし そして友人はやがて帰っていった
実はその間に友人と一緒に部屋を探しに行ったのだが 支払える家賃と部屋に大きなギャップがあった^^
いくらなんでもあんな生活は出来ないと まぁ 家出気分も萎えてしまったのだろう
その時のことを彼女は言ったのだ
今の私だったら とてもあんなことは出来ない 迷惑だっただろうにと思うと・・・
私はこう言った
あの時はそれもまた楽しかったし 何よりも私ではなく 姉がそういう大きい人なのだと
―余談だが 姉が私にお弁当を作って大学まで持ってきてくれたことがある
学生が多く降りる地下鉄の駅を出ても 校舎は二手に分かれており 姉はよく知らない
なんとなく前を歩いている女の子の後をついて行けばよいかと
そうしたら なんとその目印だった子が校門のところで姉を待つ私と話し始めているではないか
それがこの友人だった―
今になって思うと あれが若さかなと思う
その後私は家に戻り 両親の最期まで時を共に過ごした
友人はというと両親健在の家を出て 部屋を借りての独り暮らしを続けている
概ね 不満のタネは自分自身にあるというホッファーさんの言葉を知る以前に 遅まきながら気がつき
処し難い自分と付き合っていく覚悟も強さも 齢の為せる技のせいか なんとか身につけた
自分の人生を振り返ってみても 自分の中では辛かったこともあったはずなのに
それがどんどん希釈されて 愉快な思いでばかりが蓄積されていくのも 私が偉いからだと言いたいところだが
本当の事を言えば すべては私と深く関りあった人たちのお蔭なのだという気がしている
後日談一つ:前にも書いたのだが 私と姉が家を出てからのこと
二人の生活も新婚気分で楽しかったな と ずっとあとになって父が言った
母の命日まで あと数日
友人が私と最初に言葉を交わしたのは校舎のスロープのところだったのを はっきりと覚えている と言い出した
続いて彼女の家出事件にまで話は発展し ちょっと酔っていたのだろうか あの時の恩は一生忘れないと
その事件は 今では大笑いなのだが 卒業後に起こった
当時の私は悩み多く 家族間のことも自分自身の人生も袋小路といった感じだった
姉と二人で部屋を借りて生活するという今では何の不思議も無いようなことを やっとの思いで両親に話す
父は 此処に家があるのに何で家を出るのだ と かなりのショックと怒りと寂しさを顕わにした
それでも まとまったお金を私たちに用意してくれた(その必要は無かったのだが これが親の愛なのだろう)
そうして姉との二人の生活が始まった矢先のことだった
友人が両親と喧嘩をした
聞けば 化粧道具のセットをローンで購入したという
働き始めたばかりでの分割払いに 親は経済観念の無さを責めたのだ
確かに私の親の世代ならば よほどの大きな買い物以外には ローンも借金
私も未だにカードも持たず 分割で物を買った事が無いくらいだ
もう家を出るから しばらくおいて欲しいと言う
姉もこの友人とはすでに顔見知りであったし 自分たちだけの生活にウキウキしていたところだったので
二人も三人もどうってことない という 半ば合宿気分だった
私と友人は 朝仕事に行く
自営業の姉は午後からで 夕方帰る私たちが夕食の支度をして姉の帰りを待つ
勿論彼女から生活費を取ったりはしなかった
時々 彼女も仕事帰りに食材を買ってくることもあった
そんな生活が2週間ほどだったか 続いた
友人のお姉さんが時々様子を見に部屋に寄り 両親との橋渡しをし そして友人はやがて帰っていった
実はその間に友人と一緒に部屋を探しに行ったのだが 支払える家賃と部屋に大きなギャップがあった^^
いくらなんでもあんな生活は出来ないと まぁ 家出気分も萎えてしまったのだろう
その時のことを彼女は言ったのだ
今の私だったら とてもあんなことは出来ない 迷惑だっただろうにと思うと・・・
私はこう言った
あの時はそれもまた楽しかったし 何よりも私ではなく 姉がそういう大きい人なのだと
―余談だが 姉が私にお弁当を作って大学まで持ってきてくれたことがある
学生が多く降りる地下鉄の駅を出ても 校舎は二手に分かれており 姉はよく知らない
なんとなく前を歩いている女の子の後をついて行けばよいかと
そうしたら なんとその目印だった子が校門のところで姉を待つ私と話し始めているではないか
それがこの友人だった―
今になって思うと あれが若さかなと思う
その後私は家に戻り 両親の最期まで時を共に過ごした
友人はというと両親健在の家を出て 部屋を借りての独り暮らしを続けている
概ね 不満のタネは自分自身にあるというホッファーさんの言葉を知る以前に 遅まきながら気がつき
処し難い自分と付き合っていく覚悟も強さも 齢の為せる技のせいか なんとか身につけた
自分の人生を振り返ってみても 自分の中では辛かったこともあったはずなのに
それがどんどん希釈されて 愉快な思いでばかりが蓄積されていくのも 私が偉いからだと言いたいところだが
本当の事を言えば すべては私と深く関りあった人たちのお蔭なのだという気がしている
後日談一つ:前にも書いたのだが 私と姉が家を出てからのこと
二人の生活も新婚気分で楽しかったな と ずっとあとになって父が言った
母の命日まで あと数日