どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

今日もつまづく

2020年07月08日 | 日記

先日 地質時代区分でつまづいたものの 気を取り直してノートを取り始めたのもつかの間 今度は「旧石器時代」で手が止まる

無論この言葉は知っていたが 私の手あかにまみれた古い「要点整理」によれば 「無土器時代」と記されていたからだ

「旧石器時代」とは最古の石器時代であり 磨製石器を伴わない文化の時代であり 日本では縄文土器の出現前までをさす

確かに無土器ではあるのだが 今では「旧石器時代」という用語のほうが一般的らしい

そしてこの時代の出土品として有名なのが 群馬県岩宿の関東ローム層から発見された黒曜石製の石槍

うんうん あまりにも有名な「岩宿遺跡」の名前は良く知っている

何しろこの発見が 旧石器時代の日本列島に人類は住んでいいなかったという説を覆したのだから

戦前にだっていくつかのそれらしき発見はあったのだが 認められることは無かったのだ

 

それで思い出したのは 以前に見た(まだ数年前のことなので YouTubeで見たのだと思うが 定かではない)「相沢忠洋」物語のような番組

独学で考古学を学んでいた彼の発見は 興味を抱いたある院生から助教授の手に渡ったことで発掘作業は進むのだが 次第にその功績は助教授と大学のものへと移っていく

そんな内容だったと思うが その院生芹沢長介氏が 私の大好きな芹沢銈介氏のご子息だということは知らなかった

なるほど 以前 静岡県にある芹沢銈介美術館に行ったことがある

白井晟一設計の建物も素晴らしく もう一度行きたいと思う場所のひとつでもあるが 登呂遺跡のある公園の一隅にあったのは ご子息が考古学者だったことと関係があるのだろうか

その時に仙台にも芹沢氏の工芸館があると知っていたものの この工芸館の館長をつとめたのがこの長介氏であったことは大して気に留めてはいなかったのだが ウィキによれば あの時の助教授との対立がもとで東北大学に赴任し のちに東北福祉大学へとうつり その縁でこの大学に工芸館ができたとある

あの時の再現ドラマには 若き芹沢氏の相沢氏への思いが描かれていたようにも思うが 残念ながらあまり思い出せない

 

色々なことにつながりを感じて こんな風にして横道・裏道・獣道に紛れ込んでは 切り株に足を取られ 水たまりに足を濡らし 行き止まりに唖然とし 遅々として進まない

そのうえ この話は私の中でさらに広がって・・・

To be continued.

コメント (2)
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