気持ちの良い気候になってきた
明日を最後にもう30度を超えるような日はなさそうなので ここ数日 日に一本ずつ夏用のパンツを洗っている
Tシャツも整理したし 決して玄関から出られない夏の部屋着ともいよいよお別れ
今年の夏は たった二枚の部屋用ショートパンツ(デカパンというかトランクスというか)を 毎日着回した
少なくとも20年はたっている代物なので 着古して捨てたいと頑張ったところ ついにオシリのあたりの生地が薄くなってきた
やったね!
このやり切った感というか どうだ 参ったか(何と勝負している?)という満足感がたまらない
貧乏性なのでしょうか
先日 「深まる」と言う言葉は秋にしか使わないのだろうか と ラジオでふかわりょうが話していて ふむと考えてしまった
俳句には「春深し」という季語も 「春深む」という季題もあるにはあるのだが 日常的にはあまり使わないように感じる
夏にも「夏深し」という季語があるのだが 夏は深くなるというよりも 視野が広くなるような解放感のほうが強いように思う
勿論 冬にもある
それにもかかわらず習慣的には 「深まる」のは「秋」に限るといった感じ
私の個人的な感覚で言うと それは「下降」と「深い」がシンクロするからではないかと
作物の収穫が終わり 木々は紅葉から落葉へ 昼の時間は短くなり そして当然気温も下がる
「季節が進む」だけでは物足りない感情が 「深し」と言わせるのではないか
今週からいよいよ秋が深まっていくらしいが まだ秋に不慣れなまま