どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

目からうろこ

2023年04月07日 | 日記

軽い気持ちで百人一首でも覚えようかなあと思った私

とりあえずノートに書き写し 意味を知ったところでなんだかダジャレのようだったり 音に二重の意味を持たせたり 「待つ」という言葉を出すのにわざわざどこかの土地の松を歌ったりと 機知というのか ウィットというのか あるいは大げさに語って見せたりと ややこしいことするんだなあと思いつつ でも全然古くない! すごい遊びだと悟ったことは数日前に書いた通り

検索で最初に見たものは歌とその意味しか載っていなかったのだが 別のHPではその歌が詠まれた背景についても書かれて これがまた大事というか 必要であり 鑑賞もぐっと深くなるということがわかった

いわゆる詞書というものだが これが無いと唐突に何言ってるの と思う歌もある

 

たとえば 小式部内侍の「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立」

「ふみ」は「踏み」と「文(ふみ)」を掛けた掛詞になっているのだが なんで文が「母からの手紙」となるわけよ 

歌と意味だけでは全然わからないが 実はこの歌には長い詞書があって・・・

 

作者の小式部内侍は年少ながらも非常に歌がうまいと評判の娘

ところが 彼女の母親があの和泉式部とあって 母親が代作をしているのではないかという噂が出た

たまたま母親が夫とともに丹後国へ行っていた時 ある男が「お母さんからの(代作を書いた)手紙はまだ来ないのか」と皮肉った

すかさず返した時の歌が これなのだ

「いく野」と「行く」 「踏み」と「文」の掛詞 そして「踏み」は橋の縁語でもある

しかも歌枕を三つも入れ込んだトリプルアクセル(大江山・生野・天橋立)

皮肉を口にした男は あまりの才能に感心して返歌を忘れたとか・・・

ここまでわかれば この小気味よい情景と歌が見事に一体化する

 

いやはや 目からうろこの日々

コメント (2)
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