どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

旅の記憶を辿る―11.再び京都

2013年08月16日 | 日記
旅の始まりと同じように コインロッカーに荷物を入れる

そのあと 5時台の新幹線を2時間早めて3時過ぎに変更してもらったことは序章に書いた通りである

始まりは まず忠太へ挨拶

あいつら 相変わらず可愛い顔しとるわい


西本願寺から東本願寺裏を通って五条の橋まで出る

そこから先は高瀬川に沿って北上する

川沿いの木々たちが流れに影を作り それがいかにも涼しげである




「鮒鶴」なんぞという有名な料亭のことなどつゆ知らず しかしそこを通った時 何者かではあるなという気配を感じた

木屋町というところは バーも含めて飲食店の多い場所である

センスの良い店はどうしても写真に収めたくなる

そうこうしているうちに四条に着く

まだ菊水は開店前の時間

見るつもりの無い花見小路などを歩き 祇園の一力亭ってのはこれなのかぁ~ 妙に怪しい通りだなぁ~ なんて完全に観光客気分で歩いてみる


この付近で白い近代建築を見る

イタリアンレストランになっている

知っている人は思い出すかもしれないが この通りは狭い歩道の上に雪よけなのか日差し避けなのか 庇が作ってある

これが最悪

ビルの景観を台無しにしてしまう

しかも 電線もすごく込み入っている

おそらく千年以上の歴史を誇る町では わずか100年足らずの建物などは なんの若造 小賢しいわ ってなものなんだろうなぁ


高瀬川沿いをさらに北上して三条まで出る

この川には石碑があり 角倉了以のことが書かれていた

思い出した 日本史でひたすら覚えたこの名前を

7万5千両という私財を投げ打って この高瀬川を運搬用の水路としたのだ

角倉了以別邸跡には 山縣有朋なども住んだことがあるらしいが 現在は「がんこ高瀬川二条苑」というお食事処になっている

どうやら関西方面では有名な 和食やお寿司のチェーン店のようだ


二条で島津製作所創業記念資料館とその旧本社ビルを見る

後者は武田五一が関わっているようだ 

設計なのか監修程度なのかは不明だが 現在は結婚式場などに使われているらしい

なかなか綺麗な建物である


「京都御幸町教会」可愛い煙突のついたヴォーリズ作品である

定礎の年代を刻んだ石 この文字を彼が書いたのだと思いたいのだが




この先も町を歩きっぱなし 

ラストは丸太町の大丸ヴィラを前回と同じように 貧乏な子供がショーウィンドウを覗き込むように眺め 聖アグネス教会はすごいと思いつつ 京都府庁を見て京都駅に戻った

午前中 「進々堂」という京都では有名かつ老舗らしいパン屋さんでモーニングを食べた

それっきりだったのでお弁当でも買おうかと思ったのだが どうも気に入ったものが無い

結局 ビールとつまみを買って京都を後にした

名古屋までは 写真を見たりしていたのだが そのあとは記憶の無いほど眠り込んでしまった

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