一度この目で見てみたいと思っていたスカイツリーの見物がこの機会に実現した。しかもこの見物の後、根津という下町の風情を見るという楽しみも加わった。この日、天候は曇り、スカイツリーの遠景は低い雲のなかに霞んで見えた。だが、次第に近づいていくと、その巨大さに目を瞠る。かつての下町に、このツリーを見ようとする人たちが、吸い寄せられるように集まってくる。慣れない道を、車で行ったが案内の婿殿とカーナビのおかげでソラ町の駐車場のに車を入れる。夏休みということもあって子ども連れとアジアからの観光客が多く見られた。
展望台へは上らず、水族館やソラマチで軽食という予定であったが、開館10時ですでにチケット待ち20分の表示を見て、この予定も中止。ソフトドリンクで喉を潤して、次の根岸散策へ向かう。
根津は坂道と小路の多い下町だ。道を挟んだ住宅が軒を接するような小路に、昔ながらの店がひっそりとした佇まいを見せている。大通りには車や買い物の人が多く歩いているが、ひとたび小路に入ると、ひっそりとしていて人影をみることもあまりない。昭和のかおりが強く漂っている。雨がぽつりぽつりと落ちてくる。曇りではあるが、気温が高くとにかく蒸し暑い。
若き日の由美かおるをモデルに使った蚊取り線香の看板が錆を浮かべて捨てられずに立っている。この蚊取り線香が今もあるのか疑問だが、看板の存在が由美かおるの根強い人気の証でもある。彼女の出演したテレビ時代劇「水戸黄門」は、今も再放送で人気である。8時45分には、どんな難題も黄門さまの印籠で必ず解決する。単純なストリーが品をかえて登場するドラマがなぜこんなに長く人気を保つのか、昭和の七不思議のひとつである。
お昼になって「根の津」という店で、名物の讃岐うどんのぶっかけを食べた。手打ちのうどんは腰が強くおいしい。奮発した海老天は、揚げたてでぷりぷりしている。この味を求めて店の前で順番待ちの行列ができていた。狭い店で、この日は若い主人と女店員さんが二人で店を切り盛りしていたが、二人ともとても感じがいい。
根津神社がこのような壮麗な権現造りを見せるのは、徳川六代将軍家宣守護のため勧請されて大普請が行われたためである。家宣は悪評高かった徳川綱吉の「生類憐みの令」を廃し、碩学新井白石を登用して弊害になっていた諸制度の改革を行い善政を敷いた。江戸庶民からの人気も高く、壮麗を極める社殿には参拝者がひきもきらぬ盛況を呈した。やがて門前には繁華な門前町が形成されていく。岡場所が現れ、その後吉原と肩を並べる根津遊郭が維新後まで繁栄を極める。
この付近には明治の文豪森鴎外や夏目漱石が住み、その作品にはこの界隈の様子が描かれている。この付近の本郷に東京大学ができたため、根津権現付近の小路は下宿屋がびっしりと立ち並んでいたらしい。この旅行で見た根津の小路もかつては、学生を世話する下宿の町であった。
「坂を降りて左側の鳥居を這入る。花崗石を敷いてある道を根津神社の方へ行く。下駄の磬のように鳴るのが好い心持である。剥げた木像の据えてある随身門から内を、古風な瑞籬で囲んでいる。」(森鴎外『青年』)
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