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服部南郭は荻生徂徠門下の儒学者である。門下では太宰春台と双璧をなしたが、積極的な春台に対してあくまでも温厚な南郭、その性格は両極端であった。京都の裕福な家に生まれ、和歌や連歌の素養のある家で育った。経世家として世に出る春台に対して、詩文を愛し、平野金華らと人間性を重視する穏やかな学問の道に進んだ。詩文とともに画を描くことにも巧みで、柳沢吉保の認めるところとなり、18年間柳沢公に仕えた。後、江戸の不忍池の近くで塾を開いて、学問を教えた。
夜墨水を下る 服部 南郭
金龍山畔江月浮かぶ
江揺らぎ月湧いて金龍流る
扁舟住まらず天水の如し
両岸の秋風二洲を下る
金龍山とは浅草の待乳山のことである。まさに隅田川の辺で、毘沙門天を祀る待乳山聖天がある。ここには、推古天皇の御世に土地が突然盛り上がり、金色の龍が降り立ったという伝説がある。聖天のある小高い丘を金龍山と呼ぶ。山の辺の墨水に月の影が浮かぶ。そんな夜半である。月影が川面にきらきらと浮かぶ様は、伝説の金の龍が流れているようだ。その中を小舟がすべるように下っていく。舟の上では空と水の区別がつかないほど澄み切って見える。川の両岸は、一方が武蔵の国、もう一方が下総の国。その二つの国間を舟は下っていく。
この詩は、平野金華の「早に深川を発す」、高野蘭亭の「月夜三叉口に舟を浮ぶ」とともに、墨水三絶と称された。どの詩も、詩吟の人気の吟題になっている。詩吟を愛好するものには、忘れ難い詩である。服部南郭は宝暦9年(1759)6月21日、江戸に於いてその生涯を閉じた。享年77歳であった。