常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

桜、雨の中

2016年04月04日 | 日記


雨、気温はそれほどには上がらない。うつむき加減の花ではあるが、確実に開花した花の数を増やしている。京都や大阪の桜は満開で、連日たくさんの外国人を含めた花見客の様子がテレビで報じられている。ここ山形では、霞城公園などの桜の名所は10日ごろ満開となるらしい。坂巻川の桜は、1週間ほど先取りしていることになる。

さまざまの事思ひ出す桜哉 芭蕉

芭蕉がこの句を詠んだのは、『笈の小文』の旅で、東大寺を再建した重源上人の遺跡を訪ねたおりに詠んだものである。芭蕉の感慨は別にして、桜を見ながら昔を偲ぶもは誰もが経験することである。私の場合は、北海道の実家に近くにあった山桜を姉たちと見たことであった。ソメイヨシノのようにたわわな花もつけず、淋しげに咲く山桜であったが、それでも春が来たことのしるしであった。兄弟でも、女兄弟とはそんなに多くを語らなかったような気がする。単純に桜が咲いたことを喜んだ。あの寒い冬を乗り切った連帯感のようなものを確かめあったように思う。

それから何十年もして姉たちは、故郷を離れた地にいる私に、会いにやってきた。そのときも多くを語らず、別れ際に「元気で頑張れ」と言って涙を流した。それからまた十年が経って、二人の姉を癌で亡くした。「こんな病気にだけはなるものでないよ。」どの姉も、自分の苦労は語らず、幼い弟のことを按ずる言葉だけを残して逝った。桜には、そんなことを思い出させる力がある。

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