
種田山頭火は昭和7年2月から6月まで、九州地方の行乞の旅のなかにあった。特定の仕事を持たず、誰にも制約されない生活。行乞をしながら山野を跋渉する生活は憧れであったが、旅のなかにあっては苦しいこともあったらしい。そこで山頭火は、自戒三則をかかげて旅を続けた。
1.腹を立てないこと
2.嘘をいはないこと
3.物を無駄にしないこと(酒を粗末にするなかれ!)
家にあっては旅に憧れ、旅にあっては家で癒されたい。山頭火は抜け出すことのできないサイクルにはまりこんでいた。
昭和7年3月30日の日記である。「晴、宿酔気味で滞在休養。旅なればこそ、独身なればこそである、ありがたくもあり、ありがたくもない。此の宿には子供が多い、朝から喧嘩で、泣いたり喚いたり、いやはやうるさいことである。母親は子供をどなるために生存してゐるやうだ。」こんな風に日記に書いて、腹を立てない、という自戒について考えている。詠んだ俳句は3句、
朝の山路でなにやら咲いている
すみれタンポゝさいてくれた
さくらが咲いて旅人である