この夏、山形岳風会山形地区本部の吟詠大会で出される構成吟が「南北朝哀史 噫!大楠公」に決まった。河野天籟「大楠公」を連吟で構成吟の冒頭で吟じることになり、3名が集まって練習をしている。
赤坂の城千早の屯 妖雲漠々天を巻いていたる
夢は新たなり笠置山頭の暁 花は散り香は薫ず吉野の春
涙を呑んで児に別る桜井の駅 笑って死に就く湊川の津
南風競わず地に塗ると雖も 偉績長しえに伝う忠烈の神
正中(1324年)から弘元を経て、延元(1336年)元年に湊川の戦いに敗れて、弟と刺し違えて死に至るまでの正成の生涯を短い詩形式に詠み込んだのは見事というほかはない。後醍醐天皇という異形の王に、これほど忠節を尽くした武士はほかに例を見ない。南朝が目指したものは、何であったか。楠木正成の一面だけを取り上げて、歴史を語ってきた戦中の史観は葬りさるばかりでなく、その実態を目を凝らして見定めなければならない。
ユーチューブで「青葉繁れる桜井の」という唱歌を検索してみた。落合直文が詩文を書いた「大楠公」である。そこに出てきたのが、映画「彼岸花」の一シーンである。笠智衆は「楠木正行、如意輪堂の壁板に辞世を書するの図に題す」という長い題名の詩を浴衣姿で詩情豊かに吟じ、感銘を受けた同級生たち 全員が「青葉茂れる桜井の」を合唱するシーンである。
https://www.youtube.com/watch?v=F0ikQUQKos4
詩吟が小津安二郎の映画でこんな風に取り上げられていることに感銘を受けた。当時の社会に詩吟がどのように溶け込んでいたのか、想像するだけで楽しい。