未明に雪、春は逡巡してとどまっている。一昨日の夕方にには、山の端に夕陽が美しく沈んでいった。幕末の女流漢詩人に、亀井少琴がいる。福岡の漢学者亀井昭陽の娘で、少女のころから詩作に才能を現していた。少琴が漢詩の素材にしたのは、自らが住んでいた博多の姪の浜の自然であった。漢学者の家に育ったとはいえ、その詩才には目を見張るものがある。
江春晩望
古寺の疎鐘 水湾を渡り
紫煙偏に鎖す 夕陽の山
春江練の如く 流光遠し
一片の蒲帆 月を帯びて還る
詩の意味を見てみると、疎鐘はかすかな鐘の音。遠くからかすかに聞こえてくる古寺の鐘の音が入江の水を渡ってくる。紫の霞が夕陽に照らされた山の姿を隠そうとしている。春の入江の波は練り絹のように白く輝き、光となって遠ざかっていく。おりから一隻の帆舟が、月を背にして港に戻ってきた。
夕陽と出たばかりの月、海の波は白く輝き、その上を一隻の船が帰ってくる。この故郷の景色を少琴は、余すところなく詠みこんである。この詩は少琴が18歳のときの詩稿である。