梁川紅蘭
2017年03月29日 | 人
梁川紅蘭は幕末の漢詩人梁川星巌の妻である。頼山陽の後輩で、女流では江馬細香と双璧をなした。紅蘭はもともと星巌のまた従妹であり、星巌が主宰する梨花村草舎の生徒であったから、先生と生徒との結婚ということになる。婚約がなり輿入れの品も運び終り、いよいよ華燭の典をあげるばかりになって、星巌は「2、3ヶ月旅に出る。帰るまでに三体詩をそらんじておけ」と言い残して出て行った。留守中、紅蘭は家事のかたわら熱心に三体詩の暗唱に取り組んだ。頭もいい上、熱心で苦もなく三体詩を暗唱できるようになったが、帰るはずの夫からの音信がない。一年がたち、やがて三年の歳月が流れた。
親戚筋でもあてなならない星巌を待たないで、家をでてはと、紅蘭に勧める者もあった。しかし、紅蘭はその話に耳を貸さず、夫を信じて待っていた。すると、ふいに星巌が戻り、何事もなかってように「三体詩は諳んじられるようになったか」と聞いた。紅蘭は「はい」と答え、問われるままに、どんな詩でもすらすらと答えた。星巌は新妻に美しい着物を着せ、化粧をさせて、連れ立って旅をした。知人の儒者たちに紹介をかねた旅であったが、あまりの美しさに、まるで芸妓のようだという評判がたつほどであった。星巌は美人の妻が自慢でもあったらしい。
紅梅 梁川 紅蘭
暖は嬌容に入りて 一段と奇なり
珊瑚玉を綴る 幾枝枝
品題用いず 饒舌を労するを
喚びて佳人酔後の姿に做す
詩意は、紅梅のあでやかさを、いろいろあげつらって言う必要はない。佳人が酔ったさまに例えれば十分。品題は品評のことである。思い切った妖艶の例えではある。安政の大獄で、拘束されそうなった星巌が急病でなくなり、幕吏はかわって紅蘭に事情を聞いた。「夫は大事を女に話すような人間ではありません。皆さんは国の大事を奥方に相談されますか」と逆に聞いた。幕吏は紅蘭の言葉に二の句が継げなかったという。明治5年、朝廷は夫の勤王を助けた功に報い、扶持米2人分を与えた。同年3月29日、紅蘭は76歳で没した。