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なかなか晴れた春の日には恵まれないが、戸外へ出て散歩を楽しむ日が増えてきた。公園で紅梅の花がほころび、マンサクの花に癒される時間が持てた。家々の花壇には水仙の葉が土から伸びて、もう10日もすればあの黄色い可憐な花が咲くのを想像しながら歩を進めることもできる。
今日は雨で、散歩の楽しみも自粛する。本棚からギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』を取り出して、疑似散歩を試みる。
いつまで散歩しようと私は少しも構わないのである。家に戻らなければならない用事も
ない。どんなに遅くまでぶらついていても、心配したり気をもむ人もいない。春はいた
るところの小道や牧場の上に輝いている。道すがら、足もとから岐れてゆくあらゆる曲
折した小道に踏みいってゆかなければ申し訳のないような気がする。春は長いこと忘れ
ていた青春の力をほのぼのと蘇らせてくれた。私は疲れを忘れて歩く。子どものように
歌をくちずさむ。(春より)
ギッシングの筆致はすばらしい。イギリスの片田舎の郊外を散策する人の呼吸が文字の間に立ち上がってくる。そのまま自分をそこに散歩しているとしても少しの違和感もない。時空を超えて人間の楽しみは共通するものであることを教えてくれる。