朝の散歩で、路傍に泰山木の花が咲いているのを見かけた。泰山木は市立図書館の前で大木を見ているので、幼木の目の高さで咲いているのが、なかなかそれと断定することができなかった。家に帰ってネットで調べると、間違いなく泰山木であった。この花を見ると、思い出すのが斎藤茂吉の歌である。
ゆふぐれの泰山木の白花はわれのなげきをおほふがごとし 茂吉
詠まれている我の嘆きとは。大正6年、茂吉は長崎医学専門学校の教授に任じられ、精神科部長として赴任した。大正7年には、スペイン風邪のパンデミックが日本中で猛威を振るい、大正9年には長崎でも流行のきざしを見せていた。こともあろうに、長崎の医療センターにまで、パンデミックの食指は伸び、1月に茂吉もこの風邪にかかる。かなりの重病で、回復までひと月以上を要している。回復後も、咳が続き、6月になって初期の結核に感染したことが分かる。初期ではあるが、血痰が出ることもあり大事をとって、長崎市の県立病院に入院した。
茂吉は手帳に「6月25日、病棟7号に入院 壁白く厚きに見入る、蚊のむらがり鳴くこゑ暗のふかきになけり、こほろぎ鳴く」と書き入れ、『作歌40年』に「病院の庭に泰山木があって白い豊かな花が咲いて居る。それを見ておると病気の悲哀を忘れることが出来る。『おほふがごとし』であった。」と自注している。泰山木の花びらは厚く、悩みや嘆きを包みこむような力強さがある。