山ユリ
2017年07月22日 | 花
今日は天候が不安定のため西吾妻への山行を中止した。かわりに、千歳山に足馴らし。暑さにも身体が少しづつ耐性を得つつあるような気がする。山中で行きかう人は、手に手に団扇を持ち、あおぎながら歩いている。全山が山ユリの花盛りだ。ユリの香りが、登山道にたちこめている。
起ち上る風の百合あり草の中 松本たかし
ユリの香りにはどこか艶めいたあやしさがある。漱石の小説『それから』にも、白ゆりの花が出てくる。小説の主人公代助は、友人の平岡に金の工面をするが、その礼に妻の三千代が、ユリの花束を持って代助の家を訪れる。
「代助は椅子から立ち上がった。眼の前にある百合の束を取り上げて、根元を括った濡藁を挘り切った。「僕に呉れたのか。そんなら早く活けやう」と云ひながら、すぐ先刻の大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水を跳ねて飛びだしさうになる。代助は滴る茎をまた鉢から抜いた。さうして洋卓の引出しから西洋鋏を出してぷつりぷつりと半分ほどの長さに剪り詰めた。さうして、大きな花を鈴蘭の簇がる上に浮かした。」
明治の女性、それも既婚者が、独身の男性に百合の花を贈る場面である。今では花を贈るのは、よくあることだが、それでも花を異性に贈るのは、どこか恥じらいを感じる。男性が、花をを貰い、自分で不器用な手つきで花を活ける、というのはよほど稀なことであったろう。漱石の小説は、それほど近代を先取りしていたことが、この一場面で知ることができる。姦通罪を定めた法律が施行されたのは、明治41年である。『それから』を書いた漱石がこの罪を意識していたのは、言うまでもない。