常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

若葉

2017年07月03日 | 日記


空梅雨から、いよいよ梅雨らしい雨が始まった。昨夜など、夜通し雷がなる。雨を欲しがっていた野菜たちも喜んでいることだろう。文豪の作る俳句を読む?ことが好きだ。読むというべきか、多分私には、見るということの方がふさわしいだろう。

若葉して手のひらほどの山の寺 漱石

漱石は文学をかたわら漢詩にも非凡なところを見せたが、俳句は友人の子規の影響が大きい。句を作っては子規に見せ、褒められることをモチベーションにしたようなところがある。山のなかの寺が、手のひらに乘るほど小さく見える、作者の視線の動きを、子規は褒めた。子規が俳壇にある人物の二字評ということをしている。鳴雪 高華、碧梧桐 洗練、虚子 縦横、という塩梅だ。因みに漱石は活動、と評されている。また、見立てというのも座興にした。

漱石を見立てて渋柿。「ウマミ沢山、マダ渋ノヌケヌモノモマジリアリ」と注している。漱石は友人のこうした指摘を面白がり、自分が作った句によいものがあれば、積極的に褒め給え、と注文をつけた。これの応えて、子規は◎を多く付けて返し、漱石はさらに多くの句を送る、という風で、俳句を通して二人の友情はいっそう深まっていった感がある。
コメント
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