常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ひかりごけ

2017年07月28日 | 日記


ブログを更新していて、今日の話題は何にしようかと、思い悩むときがある。そんなときつい手が伸びるのが、本棚の奥の古い文庫本である。パラパラとページを繰りながら、つい引き込まれて読んでしまうものがある。武田泰淳の『ひかりごけ』も、そんな本の一冊である。思い起こせば、この小説を武田泰淳を代表作であると、推奨したのは、今はなき井上光晴である。「山形文学教習所」での、講義の席でのことであった。

この小説の舞台は、北海道知床半島にある羅臼、マッカウス洞窟。この洞窟には、大変に珍しい「ひかりごけ」が生育している。洞窟のような暗いところで、エメラルド色に光る植物である。自分で光るのではなく、この苔の体内にあるレンズ細胞がわずかな光に反応する。普通の苔のように見える植物が、人の立つ場所で緑色の光を放つ。次の瞬間、何事もなったように、もとの苔に戻っている。その珍しさを求めて、作家はこの最果ての地に、「ひかりごけ」を見る旅に出る。そこで聞かされるのが、この羅臼で起きた「人体損壊事件」である。

更科源蔵は『北海道の旅』で、この知床の事件を次のように紹介している。
「終戦の年の春、まだ残雪の多い知床から、全身フジ色に腫れあがった男が人家にたどりついた。この沖で撃沈された輸送船の船長で、一時、無人の知床の冬と闘った勇士として報道されたが、間もなくその越冬地を調べたところ、他の船員の白骨が発見され、知床の勇士は人喰いの汚名に変り、当局の取り調べを受ける身となった。船長が人を喰ったという場所は、ペキンノ鼻という絶壁のかげで、夏になっても船にたよらなければ近寄ることも、脱出することもできそうもない場所である。」

小説は、この事件を舞台劇の脚本にして描いている。船員の一人が言う。「人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うっすい、うっすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけというもんの光に似てるだと。」

この小説を読みながら、この9月に行く北海道の旅への思いを新たにした。北海道には、人間の想像を越える自然の厳しさがある。北海道開拓からまだ数百年の歳月である。この過酷な自然の営みに、つい意識が離れがちになっている昨今である。
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