やたらに暑い日が続く。今日は、山形市で今夏4度目の猛暑日となる。日差しが強くなって、元気を出すのは稲である。苗の分けつが進み、背丈も高くなった。広い面積になった田が、山麓の村で美しい姿を見せている。稲作が日本に伝わったのは、2000年以上も前と考えられている。元来、熱帯地方の原産である稲が、温帯である日本に根付くのは、一旦中国の温帯地域に伝わり、その環境に耐えた品種が朝鮮を経由日本に伝わってものであるらしい。
古代米が赤米であったのは周知のことだが、祭りなどの祝事に供される赤飯にその面影をとどめている。天皇陛下の生前退位が実現することになったが、新天皇の即位後の大嘗祭では、その年の秋に収穫された新米を祖先の霊とともに食べて、天皇霊を見に着けるための儀式が行われる。
『古事記』に稲にまつわる神話がある。須佐男命が高天原から出雲の国へ赴く途中、大気都比売に食べ物を乞うた。比売は、鼻や口や尻からご馳走を出して饗応した。須佐男は、これを見て汚いと思い、比売を殺してしまった。殺された女神の死体からは、頭から蚕、両目に稲、両耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生った。天照大神は、このものは、一般庶民が食すべきものと述べた。
稲作の伝来とともに、縄文人たちは稲作を受け入れ、日本全土に稲作が広がっていく。支配と被支配の関係があるもの、縄文人たちは弥生人へと変貌していった。