詩吟の吟題を選ぶとき、その詩の内容が気にな
る。年を重ねると、良寛の詩が何故か心に響く。
無心という心境が、この僧の本質であったよう
に思う。
花は無心にして蝶を招く
蝶は無心にして花を尋ぬ
花開く時蝶来たり
蝶来たる時花開く
蝶と花の関係は、蝶が生きるために、花の蜜
を求め、花は蝶に受精のために蝶に花粉をつ
けて飛び回って欲しい。しかし、そこに賢し
らな計算があるわけではない。人間も心を無
にするとき、何ごとかを成就する。
死を受け入れるときも、良寛の心はあくまで
も無である。
うちつけに飯を断つとにはあらねども
且つやすらひて時をし待たむ 良寛
貞信尼が食も薬も断っていると聞いて、かい
がなく無駄と思って、自らの命の消えるのを
待とうとしているのですか、という問いの便
りへの返事の歌だ。死に瀕したときの良寛の
心のあり様が示されている。昨日、亡くなっ
た樹木希林さんの心境もあるいはこうであっ
か。この暮の吟詠の課題吟に、私は良寛の
「時に憩う」を選んだ。
薪を担いて翠岑を下る
翠岑路は平かならず
時に憩う長松の下
静かに聞く春禽の声
翠岑は緑の山路。大きな荷を背負っているの
松の下で一休みする。そこで聞こえてくるの
は春の小鳥たちのさえずりである。
たきぎこりこの山かげに斧とりて
いく度か聞くうぐいすの声 良寛
山は良寛に、たつきとしての薪を与えてくれ
る。ワラビや山菜、その日、口に入れるわず
かばかりの春の味覚を手にしたのかも知れな
い。良寛の何げない日々の暮らしが、心に響
いてくる。
午後の散歩で見つけたシャッターチャンス。良
寛の詩の世界がそこにある。無心に咲く曼殊沙
華にアゲハチョウが無心に蜜を吸う。朝方アッ
プしたばかりの景色がカメラに収められる偶然
が訪れたことが何よりも驚きだ。