秋はふみ吾に天下の志 漱石
図書館という題詞のある漱石の句である。天下
の志とは、明治のインテリアが等しく持ち続け
た矜持である。「天下国家に有益な人たれ」と
言うのが、インテリが目指した目標であった。
自由に書を選び、自由に読み、そして自由に書
くことが、漱石の目指したところだが、それは
世のため、人のためになることが必要であった。
今の時代、そんなことを考えて本を読む人は少
ない。「読書は楽しみ」というのが、一番の本
を読むきっかけとなる。特に老年になってゆっ
くりと好きな本を読む楽しみは、何ものにも代
え難い。秋の夜長、これから灯火のもとに、本
を開く時間が増える。ある読書人が、言ったこ
とが、今に自分にすとんと落ちる。
「人生の務めを終えて、ようやく自分ひとりに
なったとき、好きな本を好きなように読めたら、
どんなに愉しいことだろう。もう教科書を読ま
される必要はないのだ。仕事上の必要から本を
読まなければならないという苦労もないのだ。
学問のためとか、世の中に遅れないないためと
か、そんな必要から本を読むこともいらないだ。
本を読んで、読んでいるうちだけ愉しくて、そ
して読み終わったら、すっかり忘れてしまって、
それで少しも差しつかえないのだ。これこそ理
想的な読書ではないか。」
ただひとつ惜しいことがある。灯火のもとで本
のページを開くと、少し時間が経つとやってく
るのが睡魔だ。そんなときも少しも、慌てない。
睡魔にまかせて眠りに落ちる。幸いなことに老
人は朝の来る前に目が覚める。眠る前に閉じた
本を再び読んで朝を迎える。
この秋もそんな読書生活が続きそうだ。因みに
今読み続けている本は、井本農一『良寛』であ
る。