いわき市小川町上小川。背後にあまり高くな
い二ツ箭山が控え、南方には阿武隈山脈の山
なみが見えている。コンビニもない集落の戸
数も少ない典型的な山村。この村で詩人、草
野心平は、明治36年(1903)5月12日に生
まれている。草野新平が作詞した町歌「小川
の歌」を紹介しよう。
阿武隈山脈 南方に
みかげ二つ箭 そびえたつ
ああ楕円の 起伏
ヤマメや藤や ひよどりの
美しきむらよ 小川
この自然のだけに恵まれている山村に、なぜ
高名な詩人が生まれたのか。それは、この家
庭のちょっと変わった家庭環境にあったかも
知れない。父は農業を営まず、政商のような
仕事をしていた。兄の民平、弟の天平も詩人
であった。心平は磐城中学を中退して、東京
の慶応義塾へ編入したが、ここも中退して中
国の大学へ留学という人がやりそうもないこ
とに挑戦。しかし排日運動の激化で、帰国を
余儀なくされた。詩作は中国時代に始めた。
中国から帰って、この小川町にひとまず落ち
着いたが、ここで心平が始めたのが、貸本屋
である。東京の知人から本をかき集め、それ
を背負って郷里へ帰り、本を並べて貸本屋を
始めた。心平は家に本を並べてじっと客を待
った。だが、人の少ないこの辺鄙な村でいっ
たい何人の人が来店したであろうか。後に東
京へ出て、収入のために居酒屋を始めるとい
う行動を起こしているが、この貸本屋はその
先駆けとなるものであった。
ぜんまいを干した。
日溜の筵の上のかげろうが。
そよかぜに。
なびいてはたち。
馬小屋からか。
梨からか。
棒のようにとんできて。
虻らしいのがにぶい音楽を筵に止める。
草野新平は蛙の詩人と呼ばれている。生まれ
育った小川の地で、見慣れた自然や、蛙や人
々の暮らし。懐郷の心は、この詩人の身体に
しみ込んで離れることはなかった。先日、二
ツ箭山を訪れたとき、道には草野新平記念館
への案内の看板がいくつも目についた。