散歩の途中で射干が咲いているのを見つけた。軒先の日の当たらない小さな場所に、目いっぱい花びらを開いている。もう射干が咲く季節、初夏になっているのを知らされる。季節の移り変わりの早さには、ただ驚くほかはない。山頭火の行乞記のページを繰ってみた。なんとやるせない旅であろうか。行乞を行いながら行く放浪の旅であるが、ある日は朝になってその気になれない。知っている人に無性に会いたい。さびしいのだ。この日記を読みながら、なお捨てがたいのは、この記がどこか人生の旅を暗示しているところがあるからだろうか。
「どこへ行っても日本の春は、殊に南国の春は美しい、美しすぎるほど美しい。
海から五月の風が日の丸をゆする
生まれたつちのからたちが咲いているよ
旅の人としてふるさとの言葉をきいてゐる
露でびっしょり汗でびっしょり」(種田山頭火)
行間に山頭火のこんな気持ちとありのままに詠んだ句を見出してほっとする。長かった連休も数日で終わりとなる。朝、畑に行って土をいじる。畝に先日蒔いた小松菜が、可憐な芽を出した。畑づくりをやっていて癒されるひとときだ。畑の隣人は、富神山へ登りに行った。帰りには、学校でそばを打って食べると言う。明日、御堂森の下見。