常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

翁草

2019年05月10日 | 日記

きのう、光禅寺に牡丹と翁草を見に行った。季節は思いのほか進んでいて、牡丹は散りはじめ、翁草も多くの花が終わり、綿毛に変わりつつあった。竹林には風がそよぎ、池には引き水が流れこんでいた。行く春を惜しむ季節である。たまに訪れていたのでは、細やかな季節の移り変わりを感じることはできない。永井荷風の句に

風きいて老行く身なり竹の秋 荷風

荷風のこんな句境が、なぜか身に沁みる。荷風の住んでいた近くに竹林があり、無聊をかこちながら吹く風の音を聞いていたのであろう。こんにも淋しい暮らしのなかで、荷風は夜になれば紅灯の巷に、時を忘れ、老いを忘れたのであろう。

夜の時間とは別に、荷風にはもう一つの気晴らしがあった。蝙蝠傘を引きずりながら、あてもなく日和下駄で東京中を散策することである。その楽しみについて、『日和下駄』東京散策記のなかで述べている。

「電車通りの裏手なぞにたまたま残っている市区改正以前の旧道に出たり、或いは寺の多い山の手の横町の木立を仰ぎ、溝や掘割の上にかけてある名も知れぬ小橋を見るときなぞ、何となく其のさびれ果てた周囲の光景が私の感情に調和して少時我にもあらず立去りがたいような心持にさせる。そういう無用な感慨に打たれるのが何より嬉しいからである。」

コメント
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